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最終更新日:2007年1月30日

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●「生麦事件」を歩く (2) 2002年11月23日 V01L02
 「明治維新シリーズ」として、江戸で起こった明治維新に関連する重大事件を掲載しています。今週は、横浜市鶴見区生麦で、薩摩藩主 島津久光の行列に騎乗した4名のイギリス人が遭遇し、内一名が刺殺された「生麦事件」の二回目として、事件後の一日を追ってみます。「江戸城無血開城」まで、あと4年です。
 
明治維新への事件簿
和暦
西暦
事  件 内   容
安政5年
1858
安政の大獄 吉田松陰、橋本左内ら処刑
万延1年
1860
桜田門外の変 桜田門外で水戸浪士が大老井伊直弼を暗殺
三田で、アメリカ公使館通弁官ヒュースケンを暗殺
文久1年
1861
第一次東禅寺襲撃事件 英国大使館の高輪東禅寺を水戸浪士が襲撃
文久2年
1862
坂下門外の変 坂下門外で水戸浪士が老中安藤信正を襲撃、負傷
第二次東禅寺襲撃事件 信濃松本藩士が高輪東禅寺に乱入、イギリス人を刺殺
生麦事件 薩摩藩主島津久光の大名行列に遭遇したイギリス人を刺殺

namamugi16w.jpg生麦事件現場>
 午後2時(八つ)頃に 島津久光公の行列が東海道の生麦村にさしかかると、馬に乗った男三人、女一人のイギリス人達(商人のウイリアム・マーシャルが中心で、ハード商会に勤務する友人のウッジロープ・チャールズ・クラーク、 クラークの友人のチャールズ・レノックス・リチャードソンとポロデイル夫人のマーガレット)が行列の前に立ちはだかります。この時代では、大名行列の前に立ちはだかれば、当然”斬り捨て御免”なのですが、イギリス人たちはこのことを知るよしもありませんでした。吉村昭の「生麦事件」では、「はるか前方に駕籠を先頑に陣笠をかぶった者たちが列を組んで進んでくるのが見えた。…小姓組の列が近づき、先頭の男が険しい眼をして、脇に寄れというように声をかけ、手を激しく動かした。…前方から久光の乗る乗物が、駕龍廻りの藩士にかためられて接近してきた。それらの藩士の中から長身の男が、顔面を蒼白にして走り出てきた。供頭の奈良原書左衛門で、乗物は停止していた。奈良原は、怒りにみちた眼をマーシャルたちに向け、手を激しくふり、「引返せ」と、怒声を浴びせかけた。その声に、狼狽したリチャードソンが青ざめた顔をマーシャルたちに向けた。同じように血の気を失った顔のクラークが、「引返ソウ」と叫び、マーシャルが、「落着ケ、落着ケ」と、声をかけた。その言葉に、リチャードソンが馬の鼻先を返し、マーガレットもそれにならった。が、切迫した気配に落着きを失っていたリチャードソンの馬が、小姓組の列の中に踏み込んだ。列が乱れ、馬が荒々しく足をはねあげた。奈良原のロから叫び声がふき出し、刀の柄をつかんでリチャードソンの馬に走り寄った。かれは、長い刀を抜くと同時にリチャードソンの脇腹を深く斬り上げ、刀を返し爪先を立てて左肩から斬り下げた。…」、このあと男三人、女一人のイギリス人たちは神奈川宿の方へ馬で逃げますが、リチャードソンだけでなくマーシャル、クラークも太刀をあびます。最も深手を負ったのはリチャードソンで、少し離れたところで落馬し死亡します。

左の写真の所が東海道生麦事件現場です。左側のお宅の塀のところに生麦事件現場の記念碑があります 。「奈良原らがマーシャルたちに斬りかかったのは、質屋兼豆腐商の村田屋勘左衛門宅の前で」、と書かれていますので、ここに質屋兼豆腐屋があったのだとおもいます。

namamugi20w.jpgオランダ領事館跡(長延寺跡)>
 安政元年(1854)から安政五年(1858)にかけて、徳川幕府はアメリカ、オランダ、イギリス、フランスと通商条約や和親条約を結びます。この条約により神奈川が開港され、神奈川宿のお寺に各国の領事館や公使館が設置されます。オランダ領事館が設置されたのが横浜市神奈川区新町の長延寺です。第二次世界大戦の空襲で焼けてしまい、現在は神奈川通東公園になっています。京浜急行の神奈川新町駅の浜側横ですのですぐに分かります。長延寺自体は神奈川県横浜市緑区三保町2440に移転しています。JR横浜線中山駅から徒歩で15分位の所です。各国の領事館になっているお寺の中では、長延寺は一番東側に位置しており、生麦事件で逃げてきたイギリス人たちがなぜ最初に逃げ込まなかったのか、疑問の残るところです。文久2年当時は、幕府が開港地を神奈川から横浜に変更したあとのため、各国の公使館、領事館が既に横浜に移っていたのではないかともおもわれます。

右の写真がオランダ領事館跡の記念碑です。現在は神奈川通東公園になっていますが、公園といっても町の中の小さな公園ですので、昔の面影はこの記念碑のみです。

namamugi24w.jpgフランス公使館跡(甚行寺)>
 フランスはオランダ領事館と同様に神奈川宿の甚行寺に公使館を設置します。アメリカ公使館の本覚寺とは現在の東海道線を挟んで丁度向かい側にあり、生麦からはオランダ領事館と同じく、こちらの方が近かったわけです。当時は既にフランス公使館も横浜に移っていたのではないかとおもわれます。

左の写真が甚行寺の門前にあるフランス公使館跡の記念碑です。第二京浜国道がJR東海道線を渡る青木橋の側にあります。東神奈川駅と横浜駅の間辺りです。

namamugi22w.jpgイギリス領事館跡(浄滝寺)>
 イギリス領事館も安政6年に神奈川宿の浄滝寺に設置されのですが、文久2年当時は、既に横浜に移っていたのではないかとおもわれます。

右の写真が浄龍寺の門前にあるイギリス領事館跡の記念碑です。

namamugi26w.jpgアメリカ公使館跡(本覚寺)>
 横浜市神奈川区高島台の高台にある本覚寺にアメリカ公使館は設置されます。横浜から神奈川宿を見渡せるこのお寺をアメリカ総領事ハリスは気に入っていたようです。入り口の山門を白ペンキでぬったそうで、日本で始めてのペンキが塗られた建物だったようです。斬られて落馬したチャードソンを除いた男二人、女一人のイギリス人たちは必死の思いで神奈川宿の入り口まで戻ってきます。「落馬したリチャードソンの傍らをはなれたマーシャルは、リチャードソンの馬をひいて生麦村の松並木を子安村の方向に馬を走らせた。子安村をすぎると、前方にクラークとマーガレットの馬が見えた。マーシャルは馬の速度をはやめ、神奈川宿の手前の橋の挟で二人に追いついた。かれらは馬の速度をゆるめた。神奈川宿にはアメリカ領事館のもうけられた本覚寺があり、そこに救けを求めよう、とマーシャルは言った。クラークの様子がおかしくなっていた。顔は青く、頭を垂れ、眼が薄く閉じられている。体が馬上でゆらぎ、手綱にもわずかに手をふれているだけであった。神奈川宿に入ったマーシャルは、自分は船着場の宮之河岸に待っている別当たちの所に行くから、アメリカ領事館に先に行くよううながした。その言葉にしたがって、クラークはマーガレットと領事館に通じる道を進んだ。が、クラークの意識は薄れ、ただ馬に身をまかせているだけであった。」、とあります。しかしマーガレット夫人だけは。アメリカ公使館にはいかずにこのまま横浜まで逃げていきます。そこで、事件の一部始終をイギリス公使館の代理公使ニールに伝えます。

左の写真は本覚寺の山門前にあるアメリカ領事館跡の記念碑です。

namamugi28w.jpg保土ヶ谷軽部本陣跡>
 事件を起こした薩摩藩主 島津久光の行列は、当日の宿泊が神奈川宿だったのを、一つ先の保土ヶ谷宿に変更し、外国勢からの反撃に備えます。「松方助左衛門が、簾どしに、「異国人、行列をおかし、今これを除きました」と、久光に報告した。乗物の中からは、声がなかった。…中山は大久保と話し合い、予定通り行列を進め、生麦村の立場茶屋の藤屋伝七方で久光に休息をとってもらうことになった。…一町ほど進み、乗物が伝七の店の前でおろされた。…予定では、その日の泊りは一里前方の神奈川宿で、先触れによって久光は本陣の石井源右衛門宅で夜をすごすことに定まっていた。しかし、神奈川宿は海をへだてて横浜村と至近距離にあり、そこで宿泊すれば外国の将兵がボートで乗りつけ攻めてくることが予想される。神奈川宿で泊ることは避け、行列を速めて神奈川宿から一里九町先の次の宿場である程ケ谷宿にまで行くべきだ、という結論に達した。…しばらくして前方に程ケ谷宿の家並が見えてきた。かすかに灯がともっている家もあり炊煙が所々に立ちのぼっている。先導組につづいて本隊が宿場に入った。すでに日が没していたので、槍持ちは槍を投げることをせず、宿場役人の案内で久光の乗物は本陣の苅部清兵衛宅の前でとまっlた。…所々に筆火をたき、宿場の入口と本陣の前にひそかに運んできた二斤野戦砲二門ず つを据え、鉄砲組を配置した。藩士たちは、槍と長刀の鞘をはらい、要所要所に詰めた。宿場は緊迫した空気につつまれた。」、とあります。事件の後も、急いでいるわりには”生麦村の立場茶屋”と”神奈川宿の本陣 石井源右衛門宅”で休んでいます。現代とはスピード感覚がかなり違うようです。

右の写真の右側が保土ヶ谷本陣の軽部本陣跡です(苅部なのか軽部なのか?)。現在も軽部氏がお住まいで、表札は”軽部”です。

結局、この日は生麦事件以降はなにも起こりませんでした。イギリスは幕府に対して猛烈に抗議しますが、薩摩藩はのらりくらりと逃げます。しかしながら結局、イギリス艦隊に鹿児島城下を攻撃され、西欧の強大な軍事力を目の当たりにして開国に向かうわけです。


「生麦事件」 横浜付近地図

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【参考文献】
・生麦事件 上・下:吉村昭、新潮文庫
・品川歴史館常設ガイド:品川区教育委員会
・品川歴史館 特別展 東海道・品川宿を駆け抜けた幕末維新:品川区教育委員会
・横浜市内東海道新旧対照名所図:東海道五区民合同セミナー連絡会議編
・旧東海道を歩く:第一巻、第二巻:勝田五郎
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