<本郷区根津宮永町三十五番地>
この主人公の山中信介が住んでいるのは根津宮永町、現在の根津2丁目8番辺りです。言問通りと不忍通りの交差点から上野の方へ少し歩いたところです。団扇屋については「思えばほんの数年前まで東京には二百五十軒の囲扇屋、扇屋があつた。それが現在は日本橋の伊場仙と根津の太田屋とうちの三軒だけになつてしまつた。しかも三軒とも今は仕事をしてゐない。」と書いています。根津の町とその周りについては「表通りを千駄木の方角に向ひ、山の湯のあたりから左に折れてS坂の方へ歩いで行く。坂にかかる手前を今度は右に折れると、そこが根津権現である。…… S坂の手前で右側の鳥居を潜り、花山岡岩の参道を社殿へ歩いて行く。下駄が磐のやうに冴えた一首で鳴るのが正月らしくていい。剥げた木像の据ゑてある随身門を入ったところで隣組の高橋さんに出合った。 …… 社地の西の外れに乙女稲荷や駒込稲荷へ登る赤鳥居がある。その鳥居の近くの丸い大石に腰を下ろすと、高橋さんは外套のポケットから戦前に責り出されたスモカ歯磨の空碓を取り出した。……「文豪憩ひの石です。この石に森鴎外や夏目漱石が腰を下ろして小説の想を練ってゐたことが、研究家の調査で分ったんですよ。」とあります。S坂とは、新坂が正式名なのですが、森鴎外の「青年」でS坂と呼んだ為、S坂と呼ぶようになったようです。”文豪憩ひの石”書いてあるので石があるのかとおもい
、根津神社の駒込稲荷、乙女稲荷の鳥居付近を探しましたが、それらしき石は残念ながらありませんでした。
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★左の写 真は不忍通りから一筋入った現在の文京区根津二丁目8番(旧宮永町)付近です。戦災で焼けていないため、戦前の木造三階建て等の古い建物がたくさん残っています。
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