●鰻(池波正太郎)と瓦煎餅 初版2000年3月25日
今日の散歩情報は「風が吹けば桶屋が儲かる」風のお話です。
『今日は、つづいて歯科医院へ行き、終わって、久しぶりに高島屋楼上[野田岩]の、中入れ鰻丼。うまい 。鰻はここに限るとまではいわぬが何といっても行きやすい。地下鉄で銀座へ引き返し、和光へいく。』は池波正太郎の「銀座日記」の「夏のロースカツレツ」に出てくる一節です。(ちょっと長かったかな!)ここで出てくる「野田岩」は麻布に本店がある鰻屋で、鰻では東京で3本の指に数えられる有名なお店です。ここで書かれている高島屋日本橋店の別館4Fの特別食堂に出店しています。この食堂は普通の百貨店の上位階にある食堂とは違って、「帝国ホテル」洋食部、鰻の「野田岩」と割烹の「三玄」が入っているだけの高級食堂です。値段が高いせいか、お昼の時間帯でもあまり混んでいません。「野田岩」の鰻は利根川の天然鰻のみで、味は非常に淡白です。日頃、養殖鰻しか食べていないと物足りなく感じるかもしれません。でも、非常に美味の鰻です。(価格は3千円前後からあります)
<尾花> 鰻というと、東京ではもう一軒、言わないとまずいお店があります。場所は、少し都心からは離れていますが、味は天下一品です。難点は遠いのと、座ってから作り始めるため、1時間位掛かってしまうことです。お店の名前は皆様良くご存じの南千住の「尾花」です。右側の写真でもお分かりの通り、何時も並んでいます。写真を撮った時間は土曜日の11時20分頃でした。開く前から並んでいます。周りはなんにもない住宅街ですので、探すのに時間がかかるかもしれません。 住所:荒川区南千住5-33-1 ?Z03-3801-4670
<野田岩の本支店> 本店:゙港区東麻布1-5-4 ?Z03-3583-7852 定休日:日曜 横浜高島屋5F特別食堂 大田区大森北1-30-8 ?Z03-3671-4110 定休日:水曜 世田谷区北沢2-19-15 ?Z03-3413-0105 定休日:水曜
<鬼平犯科帳> 池波正太郎というと、やはり「鬼平犯科帳」ですね。(ここで桶屋の話にむかうのですが)「鬼平犯科帳」の主人公はご存じ長谷川平蔵(人呼んで鬼平)ですが、どこに住んでいたかご存じですか?
『亡き父・長谷川宣雄にしたがい、父が町奉行となった京都へおもむくまで、長谷川家は本所三目に屋敷があった。・・・ 横川河岸・入江町の鐘楼の前が、昔の長谷川邸で・・・』は「鬼平犯科帳」の第一部の「本所・桜屋敷」に出て来ます。昔の江戸切絵図(1863年)の本所の所を見てみますと、三ツ目橋と三ツ目通りから少し四ツ目によった所に長谷川というのがのっています。これは池波正太郎が「鬼平犯科帳」を書くときに昔の江戸切絵図を見ていたら、丁度、”長谷川”という旗本の家があったため、ここに決めてしまったといわれています。(現在の墨田区緑4丁目12番あたりです)
<瓦煎餅> ここでまた飛躍するのですが、『およしは、照降町の「翁屋」で、宋順好物の胡麻せんべいを買って戻ってきた。萩原宋順は、翁屋の胡麻せんべいで冷酒を飲むのが大好きなのだそうな・・・』と「鬼平犯科帳」の第六部の「のっそり医者」に出て来ます。煎餅の話は「鬼平犯科帳」のあらゆる所で登場しますし、種類も豊富です。ここで紹介するのは上野のアブアブ隣の有名な亀井堂です。瓦煎餅は香川県高松市の久つ和堂、上野の亀井堂本店、神戸の亀井堂総本店などが有名です。瓦煎餅ならやっぱり神戸ですが、神戸の瓦煎餅の起源は「紅梅焼」で、そこから明治4年頃に瓦煎餅を作ったとされています。上野亀井堂は明治23年に上野で開かれた「内国勧業博覧会」に神戸亀井堂が出店したのを契機に、のれん分けして上野で創業しています。
ここまでくると、『日本橋で鰻を食べると、上野で瓦煎餅も食べられる』ことになるわけです。飛躍しすぎかな!!
【池波正太郎(1923〜1990)】 大正12年(1923)、東京浅草生まれ。下谷区役所・目黒税務事務所など勤務の後、昭和30年に作家生活に入る。新国劇の舞台で多くの作品を発表。「錯乱」により昭和35年第43回直木賞を受賞。「鬼平犯科帳」などにより昭和52年第11回吉川英治文学賞を受賞。昭和63年には菊池寛賞を受賞。平成2年(1990)5月3日急逝。享年67歳。
【参考文献】 ・鬼平をあるく:毎日新聞社 ・池波正太郎の銀座日記(全):新潮文庫 ・鬼平犯科帳(全16巻):文春文庫
【交通のご案内】 ・高島屋日本橋店:JR東京駅徒歩8分、営団地下鉄銀座線日本橋駅徒歩1分 高島屋ホームページ ・上野亀井堂:東京都台東区上野4-5-6 JR上野駅/御徒町駅徒歩5分 亀井堂ホームページ
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