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最終更新日:2017年10月28日


●池波正太郎と神田・連雀町を歩く
  初版2001年2月17日 <V01L06>
  二版2013年5月27日 <V01L01> 万惣(まんそう)が閉店しました。

 今回は池波正太郎の「むかしの味」「散歩のとき何か食べたくなって」に沿って神田・連雀町を歩いてみたいと思います。現在の地名で言うと神田・連雀町は万世橋と神田・須田町一丁目、淡路町二丁目に囲まれた界隈です。

<[甘味処]竹むら>
 「火盗改メ・同心の木村忠吾は、足袋屋善四郎の留守をさいわい、新堀端の竜宝寺門前までお雪をよび出し、松月庵という〔しる粉屋〕で逢引をしていた。当時の〔しる粉屋〕というやつ、現代の〔同伴喫茶〕のようなもので、甘味一点張りと思いのほか、ところによっては男客のために酒もつけようという……松月庵の奥庭に面した小座敷で、早くも木村忠吾、桃の花片のようなお雪のくちびるを丹念に吸いながら、八つ口から手をさし入れ、固く張ったむすめの乳房をまさぐっている。」は池波正太郎の「鬼平犯科帳(二)」の”お雪の乳房”に書かれています。なかなか色っぽい場面ですが、女性には・・・かもしれません。上にも書かれていますが昔から「甘味処」はデートの場所だったようですね。その昔の面影けをそのまま残したような「しる粉屋」が「竹むら」です。名物は「粟ぜんざい」「揚げまんじゅう」です。粟ぜんざいは730円で浅草の梅園より少し高いですね。”蒸し上げた粟””練り上げた餡”との組み合わせがなかなかで、お酒の後の甘味もまた格別ですが、味を楽しむというよりはお店の雰囲気を楽しんだほうがいいと思います。

左の写真が「竹むら」です。お店に入ると左側に入れ込みの座敷があり、その他は土間のままです。正面の右側には二階に上がる手すりの付いた昔ながらの階段があります。二階には小座敷があるようで逢引が出来そうなイメージがありますね。

<神田・連雀町>
 神田・連雀町は空襲を受けたのにもかかわらず都心の中で数少ない焼け残った地域です(関東大震災では焼けています)。町名の由来は行商人が背負う荷籠の連尺に因んでいると言われています。尺が雀に変わって「連雀町」になったそうです。残念ながら昭和の初めにはこの名前は消えてしまいました。この地域は天正年間(1573)にはすでに町屋が開けており、明暦3年(1657)の振袖火事の後、ここの住民は新田開発の為、現在の三鷹駅の南側に移されています。そのため三鷹の地区名が上連雀、下連雀となっているわけです。また現在の交通博物館の所は中央線の旧万世橋駅です。明治45年に完成していますが万世橋駅を通るはずだった総武線が秋葉原駅から直接お茶の水駅に繋がった為、昭和11年には駅は廃止されています。そのため東京駅にあった交通博物館が旧万世橋駅に移ってきました。昭和初期までは新橋、新宿、上野に負けない大きな繁華街だったそうです(「地図から消えた東京の町」から)。

<松栄亭>
 「この松栄亭の初代店主・掘口岩吉には、明治中期に東京帝国大学が哲学教授としてドイツから招聘したフォン・ケーベル博士との深いむすびつきがある。・・・初代は、麹町の有名な西洋料理店[宝亭〕で仕上げた料理人だが、ケーベルの専属となってからのある日。夏目漱石と幸田延子(露伴の実妹で女流ピアニスト)が予告なしにケーベル邸を来訪したことがある。「何か、めずらしいものを、すぐにこしらえて出して下さい」と、ケーベルにいいつけられた初代は、突然のことで何の用意もなく、仕方もなしに冷蔵庫の中の肉と鶏卵を出し、小麦紛をつなぎにして塩味をつけ、フライにして出したところ、これが大好評だった。のちに初代が現在の地で開業をしたとき、これを[洋風かき揚げ〕としてメニューの中へ加えたについては、そうした由来がある。」と池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」に紹介されています。

右の写真が「松栄亭」です。よく見ていないと通りすぎてしまいそうで、本当に町の洋食屋さんそのものです。ですから昼時に気楽に入って食事ができます。メニューも普通の洋食屋さんですが、一度「洋風かき揚げ(850円)」を食べていただければすべてが分かります。

<まつや>
 「私がよく足を運ぶ神田・須田町の蕎麦屋〔まつや〕には、この一品がメニューにあって、それがまた、うまい。うまいといえば 〔まつや〕 で出すものは何でもうまい。それでいて、蕎麦屋の本道を踏み外していない。だから私は、子供のころに連れて行かれた諸々の蕎麦屋へ来ているようなおもいがする。そのころの蕎麦屋の店構えが 〔まつや〕 には残っている。」と池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」に紹介されています。この一品とは「カレー南ばん」のことです。有名な蕎麦屋ではめったに「カレー南ばん」は出さないのですがこのお店は出してくれるのです。しかし私はやはり正当な日本酒一本と「もりそば」を頼みます。お値段もすぐそばの「藪蕎麦」に比べれば格段に安いです(もりそばが500か550円くらいだったと思います)。

左の写真が「まつや」です。空襲で焼けなかったため店構えは昔の蕎麦屋そのものです。都内では数少ない戦前の建物の蕎麦屋ではないかと思います。近くに「神田・藪蕎麦」があるのですが、藪蕎麦ほどは並んでいませんが、土曜日は何時行ってもいっぱいです。食べに行かれるのには平日がいいのでないかと思います。


<万惣(まんそう)>
  2013年5月27日 万惣が閉店しました。
 『母が好きで、私も子供のころから食べさせられた所為(せい)か、いまでもホットケーキを食べる。ホテルの朝食に、ホットケーキとベーコンを砂糖なしの熱いコーヒーでやるのは、私のたのしみの一つだ。ところで…。神田・須田町の[万惣]のホットケーキを、はじめて食べたのは、たしか、小学二年生のときだから、私は八歳だった。・・・「この店はね、果物屋さんだが徒(ただ)の果物屋じゃない。東京でも指折りの店だ」と、父がいう。「へえ。果物屋にホットケーキがあるの?」「あるどこのさわぎじゃない。万惣のホットケーキは天下一品だ」』は池波正太郎の「むかしの味」に書かれています。「万惣」の創業は弘化3年(1846)、初代の出身は新潟で、江戸に出てきてから果物屋を初めています。現在は須田町交差点角の8階建ビルで、一階が果物売り場、M二階がフルーツパーラー、二階がホットケーキ軽食となっています。銀座6丁目と有楽町そごうにも支店があったのですが有楽町そごうの方はは当然なくなっているのでしょね。

 万惣(まんそう)が2012年3月24日をもって閉店しました。残念です!

右の写真が「万惣」のホットケーキ(セットで1000円)です。シロップとバターがしっかり付いています。特にバターは量も多くてシロップと共にホットケーキに乗せた時の溶けぐわいがなんともいいですね。いつもインスタントのホットケーキばかり食べていると、このホットケーキは全く別物です。違う物を食べているようです。自分の舌が恥ずかしくなります。素材から吟味された絶品のホットケーキではないかと思います。贅沢な一品です。

 ”嵐山光三郎”「文人悪食」の中で連雀町界隈のことを「池波さんの小説には水を浴びたような色っぽい女が出てくる。若い女が蕎麦屋の主人の「金太郎蕎麦」という小説がある。威勢がいい女で、肌ぬぎになって出前をすると、背中に金太郎の彫物が見え、人気を呼んだ。こんな女を作りあげるのも、連雀町界隈でまつやの蕎麦の出前を見たときなのだろうか。連雀町界隈にはそういった江戸の余熱がある。」と言っています。まさに江戸から昭和初期までの昔を伝える連雀町です。

神田・須田町、淡路町界隈

【参考文献】
・散歩のとき何か食べたくなって:池波正太郎、新潮文庫
・むかしの味:池波正太郎、新潮文庫
・鬼平犯科帳:池波正太郎 文春文庫
・東京のうまいもの:池波正太郎 平凡社
・文人悪食:嵐山光三郎、新潮文庫
・地図から消えた東京の町:福田国士 祥伝社文庫

【交通のご案内】
・都営新宿線/営団丸ノ内線「小川町駅/淡路町駅」下車5分
・JR京浜東北線/山手線「神田駅」下車10分

【お店のご案内】
・万惣:東京都千代田区神田須田町1-16 電話03-3254-3711 定休日:日曜・祭日
・竹むら:東京都千代田区神田須田町1-19 電話03-3251-2328 定休日:日曜・祭日
・松栄亭:東京都千代田区神田淡路町2-8 電話03-3251-5511 定休日:日曜・祭日
・まつや:東京都千代田区神田須田町1-13 電話03-3251-1556 定休日:日曜・祭日

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