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最終更新日:2006年2月19日


●いかりや長介とドリフターズの新宿を歩く
   初版04/03/20 <V02L01> 上野テネシーの写真を追加(04/09/26)

 今週は「小説家の新宿を歩く」の三週目ですが、すこし小説家から離れて、”いかりや長介とドリフターズ”の新宿を歩いてみます。ドリフターズがまだ有名になる前、ジャズ喫茶というライブハウスで演奏をしていた頃のお話です。いかりや長介さんが20日亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

<いかりや長介の自伝、「だめだこりゃ」>
 平成16年(2004)3月20日いかりや長介さんが亡くなられました。この特集は全くの偶然となりましたが、ご冥福を祈りたいとおもいます。いかりや長介さんは。「…新井の死の翌月、今度はジミー時田が亡くなった。二人ともいい意味で奇人だったが、ともに私の人生に欠かせない人間だった。二十代は時田、三十代は新井が伴走してくれた。その二人はもういない。なんて年だ。立川談志さんが時田の葬儀委員長を務めていた。外はいい天気たった。出棺を待つ間、ぼんやり空を眺めていると、「そろそろ、俺も人生のまとめをする時期だよな……」という気になった。それが自伝の話を引き受けた理由のひとつだ。これから、いろいろ記憶を辿っていこうとおもう。そうすれば、また新井や時田にも会えるだろう。…」、と本に書いています。新井注さんが亡くなられたのが平成12年(2000)1月、ですから時田さんは2月になります。この本を書いたのは2001年ですから、新井注さんが亡くなられてから約1年で書き上げています。

左上の写真が、いかりや長介さんの自伝「だめだこりゃ」の文庫版です。文庫版のあとがきにも、「私は元来、こういう種類の文章を残すほどの人間ではない。もうそろそろ古希になろうかという歳だが、いまだに四流のミュージシャン、四流のコメディアン、四流のテレビ・タレントにすぎない。卑下でも何でもなく、それ以上であったことはない。自分ごときが何様の分際で「自伝」か、などと思ってしまう。……だから、ずっとお断りしていた。心境が変わつたのは、二〇〇〇 (平成十二)年の春先からだ。荒井注が逝って、ジミー時田が亡くなった。この二人の奇人は私のかけがえのない友人であり、師匠であり、同志であった。三つ年上だが、私がリーダーだったドリフターズに所属していた荒井。五つ年下だったが、マウンテン・プレイボーイズのリーダーだった時田。いろんなことを学んだ。敢えてもらった。そして、一緒にあの時代を走り抜けた。あれから何十年もたったなんてまるで実感が湧かない。米軍のキャンプやジャズ喫茶で、演奏と音楽コントを磨いたあの時、時田と共にいた。時田の歌を、生の歌を同じステージで、後ろから何度も開けたのは私の人生の中でも最高の贅沢だったと思う。…」。なにか今を予感していたようです。

いかりや長介とドリフターズの年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

いかりや長介とドリフターズの足跡

ドリフターズ
メンバー

昭和34年
1959
皇太子御成婚
安保改定阻止闘争
28
「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」に参加

昭和36年
1961
ソ連「ボストーク1号」地球一周飛行に成功
30
12月 いかりや長介、交通事故を起こす
昭和37年
1962
キューバ危機
31
「桜井輝夫とドリフターズ」に参加
いかりや,小野やすし,加藤茶、猪熊虎五郎,飯塚文男,デャイアント吉田
昭和39年
1964
東海道新幹線開業、東京オリンピック
33
「いかりや長一とドリフターズ」になる
メンバーの小野やすしが退団し「ドンキーカルテット」を作る
高木ブー、中本工事、新井注か加わる
いかりや,荒井注、高木ブー、仲本工事、加藤茶、
昭和41年
1965
北ベトナム爆撃開始
35
ビートルズ日本公演の前座を勤める 志村けんはまだ未加入

新宿ACB(アシベ)>
 いかりや長介は昭和34年、28歳の時に静岡から上京します。静岡時代はハワイアンバンドでベースしたが、ジャッキー吉川のロカビリーバンドに入ります。次はミッキーカーチスが抜けたあとの「クレージー・ウエスト」でした。その次がカントリーの「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」となります。「…時田が将校のカミさんを寝取ったのがきっかけではないが、私たちは米軍キャンプだけではなく、日本のジャズ喫茶でも稼ぐようになった。新宿の「スワン」「ACB」、西銀座の「不二家ミュージックサロン」……。 当時のジャズ喫茶は若い女性客が主流だった。お目当ての男性歌手やプレイヤーにワァワァキャアキャア黄色い声援を送る光景は、ジャズ喫茶も日劇ウエスタン・カーニバルも、現在のコンサート会場も何ら変りはない。……客席はいつも満員、反応も上々。言うことなしだったが、おもわぬところから反発が出た。音楽性を重んじ、ギャグなどちょっとしたサービスでよいと考える仲間たちからだ。ギャグに積極的だったのは、私とジャイアント吉田だけだったのだ。…」。いかりや長介はベースですが、演奏よりギャグの方が楽しかったようです。お客を楽しませるのが天性なのでしょう。このあと、いかりや長介はよりギャグ性の高いコミックバント「桜井輝夫とドリフターズ」に参加します。

左上の写真が新宿三丁目の松井ビルです。このビルの地下に新宿ACB(アシベ)がありました。ビルの左側に入口があったようです。「…ジャズ喫茶で朽ち果ててもいいが、せめて「新宿ACB」でやるとき、新宿駅の南口まで客の行列ができねえかなあ……くらいの夢しか持つていなかったのに、どこでどう間違えたか二流の技量しかない寄せ集めの一バンドが、テレビの時代に巻き込まれてしまった。…」、といかりや長介は表現しています。これは、新宿ACB時代にジュリーのタイガースも出演しており、「…バンドの人気はジャズ喫茶の行列の長さを見ればわかるといわれた。甲州街道と明治通りが交差する角にあった「新宿ACB」に出演するとき、どこまで行列を伸ばせるかが、そのバンドの人気を示すひとつの目安だった。ちなみに私が見たなかで、行列が一番長かったのは後年の「ザ・タイガース」だ。新宿駅南口を越して、途中から行列が∪ターンしていた。…」、とありますので、一度はやってみたかったのでしょう。

新宿ラ・セーヌ>
 ドリフターズの歴史について、すこし説明しておきます。「…岸部清さん (現第一プロ社長)は、戦後「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」というウエスタン・バンドを組んで米軍キャンプを回っていた。このバンドに、ヴォーカルとして桜井輝夫が加入する。その後、岸部さんは渡辺プロのマネージャーとなり、桜井がバンマスとなる。そして人気の出た井上ひろしのバック・バンドとなり「ドリフターズ」と名乗った。井上ひろしが独立したあと「桜井輝夫とドリフターズ」として新宿ACBに出演している。六〇〜六一年ごろのことだ。……あるとき桜井は、福島から出てきたばかりの一人歳の少年に会う。全体に愛嬢があり、一応ドラムができるという。名前を加藤英文といった。のちの加藤茶だ。次に探したのがベースだ。すると「若くはないが、マウンテン・プレイボーイズにちょうどいいのがいる」という仲間からの情報を得て、その男と新宿ACBの上の鰻屋「登亭」で落ち合った。名前は碇矢長一。いうまでもなくいかりや長介だ(長さんと呼ばせてもらう)。…」、と書いています。ドリフターズは戦後間もない時からあるコミックハンドのようです。新宿ACBの上の鰻屋「登亭」は、いまでも松井ビルにあります。いかりや長介とドリフターズが新宿で出演していた二軒目のジャズ喫茶が新宿ラセーヌです。当時はライブハウス全盛で、新宿にも数多くのライブを行うジャズ喫茶(ジャズ喫茶と呼ぶのがいいのか疑問です!)があったようです。私はその当時、東京にはおりませんでしたので、残念ながら経験がありません。残念だ〜〜!!

右の写真が新宿ラセーヌがあった新宿中台ビルです。ビル自体は当時と変わっていません。

池袋ドラム>
 新宿から少し離れますが、いかりや長一とドリフターズが出演していた池袋のジャス喫茶、ドラムを紹介します。「…一九六〇年代、ロカビリーが全盛を極め、ジャズ喫茶というライブハウスは外国曲のカバーで溢れていた。新宿にはアシベ、ラセーヌ、キーボート。池袋にドラム、上野にテネシー、渋谷にプリンス等。林立するジャズ喫茶の中をドリフターズは主に、アシベ、ドラム、テネシー、ラセーヌを日替わり出演していた。ワーキャーと騒がれる人気アイドル歌手に混じってドリフターズは、ひと味ちがった人気グループだった。数あるコミックバンドの中では、群を抜いて面白かった。それは長さんと加藤さんのギャグの凄さだ。…」。これは、荒井注追悼で、「行ってらっしゃい新井さん」として田村隆氏が書いたものです。ここで書かれているジャズ喫茶はドリフターズが出演していた新宿の「ACB」、「ラセーヌ」、池袋の「ドラム」、上野の「テネシー」です。これらのお店はすべて無くなっています。

「上野テネシー」の場所が判明しました。cross24様よりメールを頂きました。ありがとうございました。現住所では上野二丁目9番地の大和ビルです。子母沢寛の「味覚極楽」でご紹介した池の端の「蓮玉庵」の少し先になります。

左の写真が「池袋ドラム」があった大和ビルです。このビルの地下に「池袋ドラム」がありました。このビルは池袋サンシャインビルへの途中の六差路にあるのですが、当時はサンシャインビルはなく、都電の池袋終点前と行った方がよく分かったようです。

次回は「村上龍の新宿」を歩いてみます。


いかりや長介とドリフターズの新宿地図 itsuki-tokyo-map1.gif



【参考文献】
・だめだこりゃ:いかりや長介、新潮文庫
・新宿ACB 60年代ジャズ喫茶のヒーローたち、講談社
・笑芸人 VOL.2:白夜書房
・琥珀色の記録〜新宿の喫茶店:新宿歴史博物館
・新宿区の民族(3)新宿地区編:新宿歴史博物館
 
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