<カラーブックス 「大和路文学散歩」>
堀辰雄の「大和路・信濃路」は奈良・大和路を紹介する本には必ず引用されているようです。奈良を紹介する戦前の本としては、堀辰雄の「大和路・信濃路」の他に、和辻哲郎の「古寺巡礼」、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」等が有名です。後の2冊については別途紹介したいとおもっています。
今回はこのような本を上手に引用しているカラーブックス「大和路文学散歩」を紹介します。今時の地域紹介本は食について書いていないと全く売れないようで、”文学散歩”ではなくて、”食の散歩”になってしまっています。
カラーブックス 「大和路文学散歩」から、堀辰雄の「大和路・信濃路」を引用しているところです。
「… 唐招提寺 古代の大寺院は、中世にはいると一様に天災や兵火で堂塔を失っている。その中で、今も草創の時の姿を保っているのは、唐招提寺と法隆寺とがあるのみである。……
… 大和の古寺の美しさが心にしみいる時刻は、たそがれである。そのひととき、仕事の手がかりを求めて大和へやってきた堀辰雄は、(自分たち人間のはかなさをこんなに心にしみて感じてゐられるだけでよかった)と思いながら、唐招提寺の金堂の壇上に立った。(最後にちょっとだけ人間の気まぐれを許して貰ふやうに、円柱の一つに近づいて手で撫でながら、その太い柱の真んなかのエンタシスの工合を自分の手のうちにしみじみと味ははうとした。僕はそのときふとその手を休めて、ぢっと一つところにそれを押しっけた。僕は異様に心が躍った。さうやってみてゐると、夕冷えのなかに、その柱だけがまだ温かい。ほんのりと温かい。その太い柱の深部に藩み込んだ日の光の温かみがまだ消えやらずに残ってゐるらしい)
詩人堀辰雄が、この時てのひらに感じとったあたたかみこそは、千数百年来、この寺に流れつづけてきた、異国の僧鑑真の心のあたたかさだったのではなかろうか。
彼は、(自分の何処かにまだ感ぜられてゐる異様な温かみと匂ひを、何か貴重なもののやうにかかへをがら)、天平の大寺を去っていったのだった。…」
前回紹介した『岩波写真文庫 「奈良 -西部-」』は写真が全てモノクロでしたが、今回のカラーブックス 「大和路文学散歩」は発行が昭和46年ということもあり、名前の通り写真はカラーです。
★左上の写真はカラーブックス 「大和路文学散歩」です。表紙のミニスカートで昭和46年発行も理解できます。重版もされていましたが現在は絶版になっています。著者は駒敏郎氏です。上記にも書きましたが”文学散歩”だけでは本は売れず、食に関することが書かれていないと売れる本にはならないようです。因みに私は”奈良
散歩マップ”なるものを購入しました。地図が分かりやすかったので購入したのですが、食に関してもしっかり書かれていました。
【堀辰雄(ほり たつお) 明治37年 (1904)12月28日-昭和28年(1953) 5月28日】
東京生れ。東大国文科卒。一高在学中より室生犀星、芥川龍之介の知遇を得る。1930年、芥川の死に対するショックから生と死と愛をテーマにした『聖家族』を発表し、1934年の『美しい村』、1938年『風立ちぬ』で作家としての地位を確立する。『恢復期』『燃ゆる頼』『麦藁帽子』『旅の絵』『物語の女』『莱徳子』等、フランス文学の伝統をつぐ小説を著す一方で、『かげろふの日記』『大和路・信濃路』等、古典的な日本の美の姿を描き出した。(新潮文庫より)