
堀辰雄が二度目に神戸を訪ねたのは昭和16年12月4日でした。日米開戦の4日まえです。奈良から神戸経由で倉敷の大原美術館を訪ねています。
堀辰雄の書簡で追いかけてみました。
「十二月五日 神戸オリエンタル・ホテルより
堀多恵子宛(はがき)
四日夕方神戸についてオリエンタルホテルに一先づ宿をとった 竹中君がすぐ来てくれて寿司を御馳走になった 鯛とまぐろとあなごと海老などそりあうまかった 竹中君は六圓拂ってゐた
あすは朝早く倉敷にいく 夕方帰り又竹中君と落ちあってこんどは山の手の小さなホテルに泊る 何かお前に御土産を買ってやらうね」。
日米開戦を4日後に控えた時期に、奈良から神戸を経由して倉敷の大原美術館を訪ねるとは余裕がありますね。戦争とか軍部とかには”我関せず”ということでしょうか。堀辰雄は神戸で竹中郁に合っていますので義理がたいですね。
★写真正面やや右のビルがオリエンタルホテルです(昭和初期の写真です)。当時、神戸では高級ホテルです。現在は他のビルになっています。左側の通りが海岸通りです。左隣のビルは大阪商船ビルで、このビルは当時のままです。現在の写真 も掲載しておきます(反対側からで一番左の建物が大阪商船ビル、その右側がオリエンタルホテル跡です)。