●堀辰雄の軽井沢を歩く U【別荘編】
    初版2010年6月19日  <V01L01>

 「堀辰雄を歩く」を引き続いて掲載します。今回は「堀辰雄の軽井沢を歩く U」です。堀辰雄が旧軽井沢で滞在した四軒の別荘を歩きます。軽井沢の別荘には郵便局が配達に便利なように別荘番号がついています。当初は別荘番号は変わらないとおもっていたのですが、地番と違って、別荘番号は別荘が無くなれば変わってしまうそうです。ですから当時の別荘番号の場所を探さなければなりません。




「軽井沢835跡」
<軽井沢835>
 今週は堀辰雄が旧軽井沢で滞在した別荘を歩いてみました。最初の別荘は昭和13年に加藤多恵子と結婚後、初めて借りた別荘です。「堀辰雄全集第八巻」の書簡から、別荘の推移を見てみました。まずは「堀辰雄全集第八巻」、昭和13年5月3日の室生犀星宛の手紙からです。
「昭和十三年五月三日附 軽井澤より
室生犀星宛(封書)
漸つと気に入った別荘が見つかりました すこし山の中なので多恵子や良ちゃん達には少々気の毒ですけれど、かう云ふ場所なら夏でも僕が仕事をしてゐられると思ひ、とうとうそれに決めました こんどの日曜(八日)あたりそちらに移ります 軽井澤の水源地は御存知でしたかしらあそこへ上ってゆく林道の一番はづれに教本の大きな樅の木にかこまれて二軒ばかり外人の別荘がある、その一つです 隣りの別荘はなんでも毎年綺麗な妻君のゐるフランス人の一家が借りてゐるさうです 僕も今年の夏は一つここに頑張って仕事に精出します。…」

「五月十一日附 軽井澤八三五より
立原道道宛(はがき)
漸つと気に入った別荘が見つかったので日曜の朝引越した。いつか君と散歩した水源池のある山のなかの一番奥の方の別荘だ。なかなか好いから一度見に来給へ。五月十一日」

 ここで、立原道造が登場していますね。このはがきで初めて別荘番号が書かれていました。この後の書簡にはこの別荘番号が続けて書かれています。この場所は旧軽井沢銀座からも1Km弱あり、かなり遠い感じです。

写真の右側が軽井沢835跡付近です。別荘番号の「軽井沢835」は一度無くなり、その後、この水源地への路の左側の建物に付けられていました(女子聖学院の別荘で、現在は無くなっており、また別の別荘に付けられています)。当時の「軽井沢835」の別荘は、写真右側の現在のゴールドクレスト軽井沢保養所付近と推定されます(別荘ですので直接の写真は控えさせて頂きました)。当時の別荘の写真を掲載しておきます。

【堀辰雄(ほり たつお) 明治37年 (1904)12月28日-昭和28年(1953) 5月28日】
東京生れ。東大国文科卒。一高在学中より室生犀星、芥川龍之介の知遇を得る。1930年、芥川の死に対するショックから生と死と愛をテーマにした『聖家族』を発表し、1934年の『美しい村』、1938年『風立ちぬ』で作家としての地位を確立する。『恢復期』『燃ゆる頼』『麦藁帽子』『旅の絵』『物語の女』『莱徳子』等、フランス文学の伝統をつぐ小説を著す一方で、『かげろふの日記』『大和路・信濃路』等、古典的な日本の美の姿を描き出した。(新潮文庫より)

「堀辰雄展図録」
<堀辰雄展図録(高原文庫)>
 堀辰雄の住んだ別荘を調べるに当たって、参考にしたのが昭和60年発行の「軽井沢高原文庫 開館記念 堀辰雄展」の図録です。堀辰雄文学地図と堀辰雄が滞在した別荘の写真が掲載されていました。
 図録に掲載された中村真一郎のコメントからです。
「堀辰雄展に寄せて
                                  中村真一郎
 昔、私の二十代の頃、堀さんはよく、自分はとうに先生の芥川さん(龍之介) の年齢を過ぎてしまったのに、今でも芥川さんのことを思い出すと、年上の人のように思えると、嬉しそうに、そうして不思議そうに語っていたが、私ももう、やがて間もなく堀さんが亡くなった年齢から、二十歳も生き伸びたということになる。
 そして、にも係らずやはり、私の記憶のなかで、私に向って微笑しながら、うなずいて見せているのは、私よりも年上の堀さんなのである。…」

 中村真一郎は堀辰雄の一高、東京帝大の後輩です。堀辰雄と立原道造については数多くの文を書き残しています。

写真は「軽井沢高原文庫 開館記念 堀辰雄展」の図録です。追分の「追分コロニー」さんで購入しました。古本で探したのですがなかなか無くて苦労しました。

「堀辰雄全集」
<堀辰雄全集(筑摩書房版)>
 今回は「堀辰雄全集 第八巻 書簡」を参考にしています。堀辰雄の書簡が出された時期と住所が全て掲載されており、たいへん参考になりました。「堀辰雄全集 第八巻 書簡」の解題からです。
「解題
 第八巻には、堀辰雄の諸家にあてた書簡を収めた。堀辰雄の書簡は、昭和三十二年五月二十五日刊・新潮社版『堀辰雄全集』第七巻に書簡六百六十三通が収められて、初めて刊行された。次いで、昭和四十一年五月二十日刊・角川書店坂『堀辰雄全集』第九巻には七百十一通が収められた。今回、諸氏の御好意によって、わづかながらも増補できたことは、全集関係者にとっては、大きなよろこびである。
 堀辰雄死後も二十五年経った今日に至っては、ふたたび、原書簡を編輯担当者の手許に蒐集しなはすことにはかなりの困難があって、全體を改めて再点検し、細部にわたって(例へば消印の日時、受信者の正確な所在地、発信者の所在地の表記の仕方など)記録することは出来なかった。従って、新潮社版を基とした角川書店版のひそみに、われわれもならふこととし、この両本を相互に比較参看しながら本文を作製することとした。機会をみて、さらに増補改訂の検討を行なって行きたい。……」

 この書簡集で残念なのは、上記にも書かれていますが、宛先の住所が掲載されていないことです。太宰治全集の書簡集には宛先も書かれており、たいへん参考になりました。

写真は筑摩書房版の堀辰雄全集 第一巻です。一応、堀辰雄全集は全巻持っております。どういうわけか、第八巻は二冊持っております。

「軽井沢638跡」
<軽井沢638>
 堀辰雄が次に滞在した別荘が別荘番号「軽井沢638」です。この別荘は「つるや旅館」の佐藤氏の所有で、昭和14年の夏の期間だけこの別荘を借りたものとおもわれます。「堀辰雄全集 第八巻 書簡」からです
「昭和十四年七月九日附 軽井澤六三八より
神西清宛(絵はがき)
漸つと小〈さ〉なコツテエジが見つかったので急に来てしまった君に合って来られなくつて残念−そのうち週末にでもぶらつとやって来ないか 敦子ちゃん達も遊びによこさないか今月中は大抵僕たち二人きりだよ 僕も夏ぢう遊んで九月から仕事だ(九日)…」

 この「軽井沢638」の別荘は「つるや旅館」の裏で、水車の少し先になり、軽井沢銀座からも近く、便利なところです。

写真の右側先には二軒の別荘がありますが、二軒目の別荘の場所が「軽井沢638」の別荘跡となります(先のY字路の手前、右側となります)。当時の別荘の写真を掲載しておきます。

「軽井沢658」
<軽井沢658>
 堀辰雄は昭和15年夏には又別の別荘を借ります。ただこの別荘は片山広子の別荘の真向かいになります。意識的に借りたのか、全く偶然だったのか分かりませんが、とにかく真向かいになります。「堀辰雄全集 第八巻 書簡」からです。
「昭和十五年七月十三日 軽井澤六五八より
佐藤恒子宛(はがき)
一昨日こちらへ来ました、川端さんもう人らしつてゐるらしいですがまだ逢ひません。つるやに部屋の事訊いて見たら、さう好い部屋でなくても御勘弁願へたら何とか都合してもいいとの事です、(仕事にはちょっとどうかといふのですが)そこなら二人で一日八圓から十圓位の由、──
それではいかが。御返事を待ちます。…」

 この頃の書簡を見ても一言も片山広子の別荘の前だとは言っていません。片山広子の別荘は「軽井沢651」ですから、番号的にも近いわけです。
 
写真の右側、木立の中に見える別荘が「軽井沢651」、片山広子の別荘です。堀辰雄が借りた「軽井沢658」の別荘は、写真の正面やや左側になります。当時の別荘の写真を掲載しておきます。


「軽井沢1412跡」
<軽井沢1412>
 堀辰雄が旧軽井沢で購入した唯一の別荘が「軽井沢1412」です。この別荘は川端康成から紹介され、購入しています。「堀辰雄全集 第八巻 書簡」からです。
「昭和十六年一月十一日(夜)附 杉並成宗より
川端康成宛(封書−速達便)
わざわざ速達を難有うございました けさ鎌倉からも御手紙をいただき、なんだかすぐにでもあの僕の大好きな山小屋が自分の手に入るやうな気がして喜びましたが、いろいろ女房とも相談いたし、又夕方弟が帰って来てからも三人で智慧をしぼりましたが、どうも三千圓といふ金が僕たち三人だけではこの一月か二月位のうちには浮かびさうもない事が分かって来まして、いま大いに悄げ返ってゐるところです……」

「一月十四日(夜)附 杉並成宗より
川端康成宛(封書)
御手紙を難有うございました けさあのお手紙を読んで急に勇気が出て創元社へでも行ってあたって見ようと思って、起きるとすぐ行って来ました 岡村君に逢ひ、事情を話して、金をしばらく融通して呉れないかと言ひましたら、小林支配人などともよく相談して土曜日までに返事をするからといふ事でした こんな大金は僕なぞでは一言のもとにはねられるかと思ってゐましたが、話の具合では事によったら融通してくれるのではないかといふ気がして帰って来ました…」

「五月十日 杉並成宗より
神西清宛(封書−速達便)
こないだは失敬した 帰りに君を捜したが何処かへ見失つてしまったので一人で眞直に帰宅した 大ぶ疲れた 七日からちょっと軽井澤に行き、姨捨、木曾をまはりて昨日帰ってきたところだ 少し健康をあやぶんだが何んともなかつた 先日の蓄音機の話、帰って俊ちゃんに話したら、君が新しいのを買ったら、いままで君の使ってゐたアポロンが入らなくなるのだらうから、一そそれを譲って貫へないかとの頼みだ 君の奴はどう処分するのか、もう極まってゐたら仕様がないが、もし人に譲るのなら譲って貫へないかな、まあ相常の金は出す、ちょっとお訊ねまで こんど軽井澤に小さな山小屋を買った、サナトリウムの奥の方の、ぼろ家だが芝生の庭だけちよっと綺麗なのが取柄だ 借金をして買ったのだが、まあこれで僕の隠居所が出来た木曾の春はなかなかよかった 林檎の木が花ざかりだった。」

 川端康成からの紹介なので、買わざるを得なかったようです。創元社に頼んで前借りをして別荘を購入しています。推測ですが、川端康成から創元社への働きかけは当然あったとおもいます。又、川端康成宛には”大好きな山小屋”として書いていますが、友人の神西清宛には”ぼろ屋”と書いています。当時の三千円が現在の価値でどのくらいか考えてみます。「値段の風俗史」によると、当時の小学校教員の初任給が50円〜60円です。因みに国会議員の給与は三千円だったそうで、凄いです。小学校教員の初任給で換算してみると、約5000倍で、三千円は15百万円となります。少し安いかなとおもいます。出版会社でも貸せる金額だったのでしょう。
 
写真正面の林の中が「軽井沢1412」です。現在は別荘がありませんのでこの別荘番号は無くなっています。ですから、この右側は「チェコ公使館跡」、手前が「ハウス・ゾンネンシャイン跡」となるわけです。当時の別荘の写真と軽井沢高原文庫に移設された別荘の写真を掲載しておきます。

次回は追分?です。


堀辰雄の軽井沢地図(手書き)



堀辰雄の軽井沢地図


堀辰雄年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 堀辰雄の足跡
明治37年 1904 日露戦争 0 12月28日 麹町区平河町5-5に、父堀浜之助、母志氣の長男として生まれます
明治39年 1906 南満州鉄道会社設立 2 向島小梅町の妹(横大路のおばさん)の家に転居
明治40年 1907 3 土手下の家に転居
明治41年 1908 中国革命同盟会が蜂起
西太后没
4 母志氣は上條松吉と結婚
向島須崎町の卑船通り付近の路地の奥の家に転居
明治43年 1910 日韓併合 6 4月 実父堀浜之助が死去
水戸屋敷の裏の新小梅町に転居
明治44年 1911 辛亥革命 7 牛島小学校に入学
大正6年 1917 ロシア革命 13 東京府立第三中学校に入学
大正10年 1921 日英米仏4国条約調印 17 第一高等学校理科乙類(独語)に入学
大正12年 1923 関東大震災 19 軽井沢に初めて滞在
大正13年 1924 中国で第一次国共合作 20 4月 向島新小梅町に移転
7月 金沢の室生犀星を訪ねる
8月 軽井沢のつるやに宿泊中の芥川龍之介を訪ねる
大正14年 1925 関東大震災 21 3月 第一高等学校を卒業。
4月 東京帝国大学国文学科に入学
夏 軽井沢に滞在
昭和2年 1927 金融恐慌
芥川龍之介自殺
地下鉄開通
23 2月 「ルウベンスの偽画」を「山繭」に掲載
         
昭和6年 1931 満州事変 27 4月 富士見高原療養所に入院
6月 富士見高原療養所を退院
8月 中旬、軽井沢に滞在
昭和7年 1932 満州国建国
5.15事件
28 4月 夏 軽井沢に滞在
12月末、神戸の竹中郁を訪ねる
昭和9年 1934 丹那トンネル開通 30 7月 信濃追分油屋旅館に滞在
9月 矢野綾子と婚約
昭和10年 1935 第1回芥川賞、直木賞 31 7月 矢野綾子と信州富士見高原療養所に入院
12月6日 矢野綾子、死去
昭和11年 1936 2.26事件 32 7月 信濃追分に滞在
昭和12年 1937 蘆溝橋で日中両軍衝突 33 6月 京都、百万辺の竜見院に滞在
7月 帰京後、信濃追分に滞在
昭和13年 1938 関門海底トンネル貫通
岡田嘉子ソ連に亡命
「モダン・タイムス」封切
34 1月 帰京
2月 鎌倉で喀血、鎌倉額田保養院に入院
4月 室生犀星夫妻の媒酌で加藤多恵子と結婚
5月 軽井沢835の別荘に滞在、父松吉が脳溢血で倒れる
10月 逗子桜山切通坂下の山下三郎の別荘に滞在
12月 父松吉、死去
昭和14年 1939 ノモンハン事件
ドイツ軍ポーランド進撃
35 3月 鎌倉小町の笠原宅二階に転居
7月 軽井沢638の別荘に滞在
10月 鎌倉に帰る
昭和15年 1940 北部仏印進駐
日独伊三国同盟
36 3月 東京杉並区成宗の夫人実家へ転居
7月 軽井沢658の別荘に滞在
昭和16年 1941 真珠湾攻撃
太平洋戦争
37 6月 軽井沢1412の別荘を購入
7月 軽井沢1412の別荘に滞在