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最終更新日:2018年06月07日


●本郷3丁目界隈を歩く 初版2000年10月28日 <V01L03>

 今日は風邪を引いて体調を崩し取材にいけませんでしたので、以前に取材したものの中から紹介します。

 「本郷もかねやすまでは江戸の内」は有名な江戸時代の川柳ですが、江戸時代は火事が多く、江戸城からここまで町家でも瓦葺きの防火建築が許されていました。つまり本郷三丁目の角の「かねやす」の土蔵までが江戸だったわけです。(左の写真の看板は現在のかねやすさんのビルの正面に書かれています)とは普通の解釈ですが、町奉行支配地は駒込の先から巣鴨まであり、実際の江戸の境界とは違います。では何故かと考えると、塗屋土蔵造り瓦葺きの建物が江戸の町の特色になっていた訳で、それが丁度本郷の「かねやす」で途切れていたためといわれています。
<かねやす>
兼康祐悦という口中医師(歯医者)が乳香散という歯磨粉を売り出し大変評判になり、それで有名になったそうです。芝神明前の兼康との間に元祖争いが起きた時、町奉行は本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行って、それ以来本郷は仮名で「かねやす」と書くようになったそうです。
<「見送り坂」、「見返り坂」>
 本郷3丁目の交差点から東大の赤門の方に向かう本郷通り(右の写真、中山道に続きます)は「見送り坂」「見返り坂」といって江戸を出立する人たちをこの地まで見送りに来た事から名付けられています。『新選東京名所図会』に、「本郷四丁目通街、勧業場本郷館の辺は、地層梢低く、弓形に凹みを印す、其凹める所、一条の小渠上に橋を架し別れの橋といひきとぞ。橋北五丁目の通りを見返り坂と呼び、橋南三丁目の通りを見送り坂と唱へしとか、…溝は石蓋したるま、地中に埋もれて見えず。」 とあります。又、石川啄木(ここからすぐ近くの赤心館に下宿中の時)の小説『天鵞絨』 (びろうど)(明治41年作)に「其処の角には、勧工場と云って何品でも売る所があって、右へへ行くと3丁目の電車、左へ行くと赤門の前…」とあります。勧工場は今の文京センタービルの所にあって大正4年には燕楽軒という西洋料理店になっています。このお店は有名で、作家宇野千代がウエートレスをしていましたし、菊池寛、久米正雄や宇野浩二などの文士たちが姿をみせています。(「ぶんきょうの坂道」より)


<三原堂と藤むら>
 左の写真の正面は本郷3丁目交差点にある三原堂です。写真の左端と右手上に写っている看板が「藤むら」です。三原堂の左手後ろに店が有ります。「藤むら」といえば1626年加賀前田藩の金沢で遠州流茶人忠左衛門が練羊羹を創製し、1751年には前田藩の江戸本郷御影町に移り、「藤むら」を屋号として各種羊羹を売り出しています。残念ながら現在はお店を閉められています。電話をすると頼めると聞いて、電話をしてみたのですが、何方も出られませんでした。聞いた所によりますと「藤むらさんには3人の息子さんがいて、とても頭が良くて3人とも東大に行ったそうです。藤むらさんは、東大の近くの羊羹屋ではなくて、東大に息子さんを3人入れた羊羹屋になった」と、つまり、お店を継ぐ人がいなくなったのではないかと思います。残念です。又、「三原堂」の方のお勧めは当然『大学最中』です。「三原堂」の洋菓子部門の「ジャンヌトルワ」が道路をはさんであります。ここのオレンジショコラは、ものすごく美味しいです。一度召し上がって下さい。

<本郷喜之床>
 「本郷名物で今一つ思い出すのは、通りの「喜之床」という床屋である。この床屋の古いことは勿論だが、その先代が彰義隊時分のことなどをよく知っていて、・・・先代は子息に店を譲って、自分は大横町の方に別に店を出していたこともあったが、啄木がいたのは確かその二階、或は屋根裏であったように記憶する。」は昭和3年に出版された「大東京繁昌記 山手篇」の大学界隈、徳田秋声に書かれています。明治42年6月、石川啄木がようやく朝日新聞社(校正係)に入社が決まり、本郷弓町の喜之床(現在のアライ理髪店の所、右の写真)の二階の二間に転居しました。家族を函館から呼び出し一緒に生活するようになりました(啄木が上京してから丁度2か月目です)。

<明治村に移設された喜之床>
 右の写真の家が東京本郷弓町にあった新井家経営の理髪店喜之床で、二階二間は石川啄木が明治42年6月から東京ではじめて家族生活をした新居です。啄木はここで文学生活をしながら東京朝日新開に勤めていましたが、翌年12月には彼の名を不朽にした処女歌集「一握の砂」を出版しています。明治44年8月小石川の家に移った啄木は明治45年4月、27歳の薄幸の生涯を閉じています。この家は江戸の伝統を伝える二階建の町屋の形式を踏襲してはいますが、散髪屋としてハイカラな店構えに変化してきています。昭和53年5月に本郷で解体され、明治村に移築されています。(明治村パンフレットより、右の写真は明治村で私が撮影したものです)

本郷3丁目付近地図
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【参考文献】
・明治村:財団法人明治村
・文京の歴史物語:文京区教育委員会
・ぶんきょうの坂道:文京区教育委員会
・大東京繁昌記 山手篇:平凡社

【交通の便】
・営団丸ノ内線「本郷3丁目駅」下車すぐ

【お店の所在地】
・三原堂:東京都文京区本郷3-34-5 電話 03-3811-4489
・かねやす:東京都文京区本郷2-40-11 電話 03-3811-0407
・旧喜之床:東京都文京区本郷2-38-9

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