●村上春樹のボストンを歩く
    初版2013年4月14日  <V01L05>  暫定版

 今週は久しぶりで「村上春樹の世界」を掲載します。3月末に米国の東海岸を訪ねる機会があり、ついでに写真を撮ってきました。ただ、時間が余りなく、ボストンでは一ヶ所しか撮影できませんでした。何時になるか分りませんが継続して改版していきたいとおもいます。今回は全てGoogleMapを使用します。拡大・縮小おもいのままで、地図の下の「大きな地図で見る」を選択するとストリートビューでも見れます。


「東京奇譚集」
<「東京奇譚集」 新潮文庫>
 村上春樹は平成3年(1991)1月、米国ニュージャージー州プリンストン市のプリンストン大学(Princeton University)に客員研究員として招聘されます(92年から1年間は、客員講師として大学院で週にひとコマのセミナーを担当)。平成5年(1993)ボストンのタフツ大学(Tufts University)に移籍。平成7年(1995)5月、4年間にわたる米国滞在を終え帰国しています。今回はボストンでの村上春樹についてですから、タフツ大学に在籍していたときのお話になります。時間が取れず、写真撮影がほとんどできなかったので、ほんの一部の掲載になります。またボストンに行くつもりです。

 まずは村上春樹の「東京奇譚集」からです。
「… 1993年から1995年にかけて、僕はマサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいた。
「ライター・イン・レジデンス」のような資格で大学に属し、『ねじまき鳥クロニクル』というタイトルの長い小説を書いていたのだ。ケンブリッジのチャールズ・スクェアには「レガッタ・バー」というジャズ・クラブがあり、ここで数多くのライブ演奏を聴いた。適度な大きさの、リラックスしたジャズ・クラブだ。名のあるミュージシャンがよく出演するし、料金もそんなに高くない。…

 二つ目の出来事もだいたい同じ時期に起こった。これもやはりジャズがらみだ。ある日の午後、バークレー音楽院の近くにある中古レコード店でレコードを探していた。古いLPの並んだ棚を漁るのは、僕の数少ない生き甲斐のひとつである。その日はペパー・アダムズの『10 to 4 at the 5spot』というリヴァーサイドの古いLPレコードを見つけた。トランぺットのドナルド・バードを含むペパー・アダムズのホットなクインテットが、ニューヨークのジャズ・クラブ「ファイブ・スポット」に出演したときのライブ盤である。10 to 4というのは午前「四時十分前」のことだ。つまり彼らはそのクラブで熱くなって、明け方まで演奏していたのだ。オリジナル盤で、盤質は新品同様だった。値段は7ドルか8ドルだったと思う。僕は日本盤でこのアルバムを持っていたが、長く聴き込んでいるから疵もついているし、こんな値段で盤質の良いオリジナル盤が買えるなんて、大げさに言えば「軽度の奇跡」に近いことである。幸福な気持ちでそのレコードを買って、店を出ようとしたとき、すれちがいに入ってきた若い男にたまたま声をかけられた。
 「Hey you have the time?(今何時?)」
 僕は腕時計に目をやり、機械的に答えた。「Yeah, it's 10 to 4」…」

 「東京奇譚集」にはボストンのストリート名、お店の名前等の固有名詞がたくさん出てきます。本当はすべて廻りたかったのですが、今回は一ヶ所のみです。
 ペパー・アダムズの『10 to 4 at the 5spot』はCDのみ所有しています。LPを探してきました。アメリカ版なのですが、1982と記されています。再販版のようです。
 過去のLPの販売について調べてみました。
      Title        Format    Label        Cat#                  Country  Year
・10 To 4 At The 5-Spot ‎(LP Mono) Riverside Records RLP 12-265                US    1958
・10 To 4 At The 5-Spot ‎(LP RE)    Riverside Records OJC-031 RLP-265       US    1982
・10 To 4 At The 5-Spot ‎(LP RE)    Riverside Records SMJ-6129 RLP 12-265 Japan 1976
やはり再販のようです。日本での販売より遅いです。

左上の写真は新潮社の「東京奇譚集」です。文庫本も出ていますのでそちらの方がいいとおもいます。下記にタフツ大学の位置(A)を示しておきます。ケンブリッジにあるハーバード大学よりは北側にあります。

 タフツ大学(Tufts University)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州メドフォード(Medford)にある私立大学です。1852年チャールズ・タフツ(Charles Tufts)がタフツ・カレッジ(Tufts College)を設立し、「岡の上の明かり」を作りたいと言って、メドフォード(Medford)において標高が最も高かったウォルナットヒル(Walnut Hill)をキャンパス用地として寄付したことから始ります。(ウイキペディア参照)

 今回は全てGoogleMapを使用します。地図の下の「大きな地図で見る」を選択するとストリートビューでも見ることができます。

村上春樹のBoston タフツ大学(Tufts University)


「うずまき猫の…」
<「うずまき猫のみつけかた」>
 米国在住時代のエッセイが「うずまき猫のみつけかた」です。ねこのお話も含めてユーモラスなエッセイで非常に面白いです。ボストン在住前に客員研究員として招聘されていたプリンストン大学(Princeton University)が書かれている部分を掲載します。
「… ボストンから車を運転して、コネチカット、ニューヨーク州を抜け、タッパンジー橋を渡り、ひさしぶりにニュージャージー州のプリンストン大学に行く。客員教授として当地に滞在しておられる河合隼雄氏との公開対話のためで、対話の題目は「現代日本における物語の意味について」というものだった。これは雑誌「新潮」に発表するためのものだが、大変に面白がった。僕は人前で話をするのがあまり得意ではないし、何を話題にするがも前もってほとんど考えていなかったのだが、話しているうちにいろんなことがどんどん出てきて、むしろ話し足りないくらいだった。河合先生はソニー・ロリンズとだいたい同じ年代だと思うけれど、ロリンズ氏に負けず劣らずパワフルな方であった。二、三度食事を一緒にして、その元気さにつくづく感服してしまった。「そんなもん、そら、おだてられたら人殺し以外はなんでもやりまっせ」とおっしやっておられたが、僕の元気はながなかそこまではついていけそうにないような気がする。…」
 プリンストン大学(Princeton University)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストン市に本部を置くアメリカ合衆国の私立大学で、1746年に設置されています。学生数は学部生4800人、大学院生2000人。卒業生の中に2人の大統領がおり、アメリカ全土で8番目に古い、などで有名な大学です。アイビー・リーグ (Ivy League)の大学8校のうちの1校。USニューズ&ワールド・レポートが毎年行っている学部ランキングでは、1、2位に位置しており、2006年度は単独で1位でした。(ウイキペディア参照)

 場所的にはニューヨークから南へ、フィラデルフィアに向う途中にあります。ニューヨークからみるとボストンの正反対になります。

写真は新潮文庫の「うずまき猫のみつけかた」です。元々は平成6年(1994)7月から「SINRA」に「村上朝日堂ジャーナル」として連載されたものです。ついでにニューヨークで買った「1Q84」です。下記にプリンストン大学の位置(A)を示しておきます。今回は全てGoogleMapを使用します。地図の下の「大きな地図で見る」を選択するとストリートビューでも見ることができます。


村上春樹のPrinceton University


「FAYETTE ST.」
<FAYETTE ST.>
 ボストンで一ヶ所しか写真撮影できなかた場所を紹介します。ケンブリッジのフェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)です。

 「うずまき猫のみつけかた」から”ケンブリッジのフェイェット・ストリート”が書かれている場面です。
「… 大家のスティーヴは建築家で、ケンブリッジのフェイェット・ストリートにある三階建の家の一階に住んでいる。僕が二階に住んで、三階には若いお医者さんのカップルが住んでいる。スティーヴは僕がこれまでの人生の過程で巡り合った非常に数少ないまともな大家さんの一人である。なにしろ仕事が建築家だから、家のことで何かトラブルがあればすぐにやってきて修理してくれる。もうひとつトイレがあるといいなあと言うと、「わかった。まかせておけ」と言って、翌月にはクローゼットをひとつつぶしてトイレに改装してくれた。たいしたものである。話が早いというか、なにしろ性格がマメなのである。
 家を借りるときに、仲介をしてくれた不動産屋に「あの大家さんは約束どおり、僕らが人居する前にちゃんと掃除と壁のペンキの塗り直しをしてくれるかな?」と確認のために訊いたら、相手は首を振りながら「そんなことはあなた、一〇〇パーセント心配しないでよろしい。あのmeticulousな(マメな)スティーヴが掃除をしないわけないじゃないですか。するなって言っても、きっとこっそり隠れて掃除するよ」と答えた。そのときは何を言っているのかよくわからなかったけれど、人居してから「まったくそのとおりだな」と実感した。とにかく人居した最初の日から、家の掃除の仕方や、床の手人れや、掃除の仕方を実にことこまかに教えてくれるのだ。たしかに綺麗な家だったが、それを綺麗に保っておくためには、僕らは日々けっこうな努力を払わなくてはならなかった。…」

 これで村上春樹がケンブリッジのフェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)の借家の二階に住んでいたことが分ります。フェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)はボストン中心部からバーバード大学に向うブロードウエイの途中にあります。下記の地図を参照してください。観光でバーバード大学に行かれる方は途中ですので、寄ってもらえばとおもいます。

左上の写真はフェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)の標識です。右手がフェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)になります。フェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)の南側入口の写真も掲載しておきます。右側にハイスクールが写っています。

「自宅前の駐車状況」
<僕の車が盗難にあった>
 村上春樹はこのフェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)で車の盗難にあいます。写真の通り、車は車道に停めます。

 「うずまき猫のみつけかた」から”車の盗難”が書かれている場面です。
「… 十二月五日。さて事情を話すと長くなるのだけれど、僕の車が盗難にあった。朝起きてみると家の前に停めておいたはずの僕のフォルクスワーゲン・コラードの姿がなく、そこに白いホンダ・アコードが停まっていた。どれだけ考えても盗まれたとしか考えようがない。僕の寝ているあいだに自動車が勝手に一人でどこかに行ってしまうわけはないから。
 いやいや、これは参ったなあ、と僕は溜息をつきながら思った。なにしろその二週間まえにハーヴァード・スクエアで大事な自転車を盗まれたばかりなのだ。街路樹の幹にチェーンをつけて停めておいたのだが、十五分後に買い物から帰ってきたらチェーンだけ残って自転車はきれいに消えていた。その前には大学のジムのロッカーがあらされて、スカッシュ用のシューズを盗まれた。このうえ車まで盗まれたらたまったものではない。
まったくついてない。
 三十分後に家にやってきたのは若い長身の婦人警官で、僕よりだいたい頭半分くらい背が高く、金髪で顔だちは口ーラ・ダーンによく似ている。…」

 写真の右側の交通標識には「PARKING BY PERMIT ONLY」と書かれています。つまり許可証のある車は駐車できるということです。赤い標識は「レッカー移動される区域 駐車禁止」です。右側に矢印が出ていますのでここから右側は駐車禁止だとおもいます。
 
左上の写真はフェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)で、南端から少し入ったところです。村上春樹は写真の真ん中からやや左の建物の二階に住んでいたようです。下記にフェイェット・ストリート(FAYETTE ST.)の場所を示しておきます。今回は全てGoogleMapを使用します。地図の下の「大きな地図で見る」を選択すると、上記の写真と同じ物がストリートビューでも見ることができます。


村上春樹のBoston Fayette St.

村上春樹年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 村上春樹の足跡
昭和39年 1964 東京オリンピョク 15 4月 兵庫県立神戸高校入学
昭和43年 1968 エンタープライズ寄港阻止衝突
パリ5月革命
19 4月 一浪して早稲田大学第一文学部演劇科入学
昭和44年 1969 東大安田講堂封鎖解除 20 春、三鷹のアパートに転居
昭和45年 1970 三島由紀夫割腹自殺
よど号事件
21 アルバイトに精を出す
昭和46年 1971 ニクソンショック 22 陽子夫人と学生結婚
10月 文京区千石の夫人の実家に転居
昭和49年 1974 長島茂雄引退 25 ジャズ喫茶「ビーター・キャット」を国分寺に開店
昭和52年 1977 巨人優勝 28 ジャズ喫茶「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移転
昭和53年 1978 ヤクルト優勝 29 4月 神宮球場で「僕は小説を書けると悟った」
11月 第22回群像新人文学賞に応募
昭和54年 1979 イラン革命
NECがパソコンPC8001を発表
30 4月 第22回群像新人文学賞(発表)
5月 「風の歌を聴け」 (『群像』6月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和55年 1980 光州事件
山口百恵引退
31 2月 「1973年のピンボール」 (『群像』3月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和56年 1981 チャールズ皇太子とダイアナが婚約
向田邦子航空機事故で死去
横溝正史死去
32 千葉県船橋市に転居
12月 「風の歌を聴け」が映画化
ホットドッグ・プレス
昭和57年 1982 フォークランド紛争 33 「jazzLife」6月号臨時増刊
「羊をめぐる冒険」 (『群像』8月号)
11月 野間文芸新人賞(発表)(『群像』1983/1月号)
昭和59年 1984 江崎グリコ事件 35 神奈川県藤沢市に転居
昭和60年 1985 石川達三死去
夏目雅子死去
36 渋谷区千駄ヶ谷に転居
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で第21回谷崎潤一郎賞を受賞
昭和61年
1986 チェルノブイリ原発事故 37 2月 神奈川県大磯町に転居
10月 ローマ、ギリシャに滞在
昭和62年 1987 国鉄分割民営化 38 9月 「ノルウェーの森」 (講談社)
昭和63年 1988 ソウル五輪開催
リクルート事件
39 10月 「ダンス・ダンス・ダンス」 (講談社)
平成3年 1991 湾岸戦争、ソ連崩壊 42 1月 米国のプリンストン大学に客員研究員として渡米
平成5年 1993 田中角栄死去 44 タフツ大学(ボストン)へ移籍
平成7年 1995 兵庫県南部地震
地下鉄サリン事件
46 5月 4年間にわたる米国滞在を終え帰国
港区南青山に自宅兼事務所?
平成12年 2000   51 大磯内で転居