●昭和六十年度谷崎潤一郎賞
    初版2009年5月30日 <V01L01>

 久しぶりに村上春樹に戻ってきました。今週29日に村上春樹の新しい小説「1Q84(1)」、「1Q84(2)」が発売されています。私はまだ読んでいません、というか、まだアマゾンからまだ届いていません、というのが真実です。今週は村上春樹が受賞した谷崎潤一郎賞について掲載しました。(野間文芸新人賞についても掲載予定です)


「中央公論」
<中央公論(昭和60年11月号)[中央公論社]>
 私、個人的には村上春樹は谷崎潤一郎賞が一番似合っているとおもっています。特に「細雪」は村上春樹自身が何回も読み返したと書いています。文体は違いますが、文章の中に入っている項目?(内容)は良く似ているとおもっています。
 中央公論社の「谷崎潤一郎賞」については、中央公論社が昭和40年(1965)の創業80周年を機に、谷崎潤一郎にちなんで設けた文学賞だそうです。中央公論(昭和60年11月号)の谷崎潤一郎賞発表では、
「 中央公論社創業八十年を記念して設定された谷崎潤一郎賞は、昭和四十年以来、二十回にわたってそれぞれの年を代表する文学作品を選び、それを顕彰してきました。年を迫って権威ある賞としてその地位を高めてくることができましたのは、各位のど支援のたまものと存じます。     一
 本年度は第二十一回を迎え、昭和五十九年七月一日より昭和六十年六月三十日までに発表された小説および戯曲を対象として選考を進めた結果、九月十二日に催された最終選考会において、最終候補作品、長部日出雄氏『映画監督』、三浦哲郎氏『白夜を旅する人々』、村上春樹氏『世界の終りとハードポイルド・ワンダーランド』、日野啓三氏『夢の島』の四編について厳正な審査が行われ、
村上春樹氏『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を本年度の受賞作と決定しました。
昭和六十年九月十二日
                         中央公論社…」

 この谷崎潤一郎賞は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で昭和60年(1985)に受賞しています。村上春樹が「ノルウェーの森」で圧倒的に売れる2年前になります。タイミング的にはこの賞は的を得ていたのではないでしょうか!、ただ、選考委員の選評が相変わらず酷いです。お歳の選考委員には、2年後の「ノルウェーの森」は誰も想像できなかったようです。やはり、”時代のギャップ”を感ぜざるを得ません(中央公論社が無理やり推薦したのか?)。

左上の写真は「中央公論」の昭和60年(1985)11月号です。表紙を見ても「谷崎潤一郎賞」はどこにも書かれていません。目次にも小さく書かれているだけで、掲載も殆ど最後(P582)でした。当時はたいして注目されていなかったのではないでしょうか。



村上春樹の1980年代年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 村上春樹の初期三部作
昭和54年 1979 イラン革命
NECがパソコンPC8001を発表
30 4月 第22回群像新人文学賞(発表)
5月 「風の歌を聴け」 (『群像』6月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和55年 1980 光州事件
山口百恵引退
31 2月 「1973年のピンボール」 (『群像』3月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和56年 1981 チャールズ皇太子とダイアナが婚約
宋慶齢死去
32 10月 北海道を訪ねる(『すばる』1982/1)
昭和57年 1982 フォークランド紛争 33 7月 「羊をめぐる冒険」 (『群像』8月号)
11月 野間文芸新人賞(発表)(『群像』1983/1月号)
昭和60年 1985 石川達三死去
夏目雅子死去
36 6月 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」 (新潮社)
8月 谷崎潤一郎賞(発表)(『中央公論』11月号)
昭和62年 1987 国鉄分割民営化 38 9月 「ノルウェーの森」 (講談社)
昭和63年 1988 ソウル五輪開催
リクルート事件
39 10月 「ダンス・ダンス・ダンス」 (講談社)



中央公論 昭和60年11月号 (中央公論社)
選考委員 選  評
今年の感想
丹羽文雄
コメントなし、他の人をコメントしていた。
選 評
遠藤周作
村上春樹氏の作品が受賞されたが、全員一致ではなかった。私はこの作品の欠点を主張し、受賞に反対した。
 私の考えやほこの作品の欠点は三つある。
(一)、三つの並行した物語の作品人物(たとえば女性)がまったく同型であって、対比もしぐは対立がない、したがって二つの物語をなぜ並行させたのか、私にはまったくわからない。
(二)、氏の中篇が持っていた「寂しさ」のような、読者の心にひびく何かが今度の長篇にはまったくない。それは物語を拡大しすぎたため、すべてが拡散したせいだと思う。私は読者の心にひびく何かがなければ文学作品は成立しないと思う(私の考えでは読者の無意識の元型を刺激しない作品は文学作品ではない)。
(三)、氏の中篇にあった「寂しさ」が欠けているから、主人公の白常生活の描写が浮きあがっている。
 以上の理由で私はこの作品をどうしても奨す気持にはなれなかった。もちろん、氏の才能や力倆を評価した上でこの作品は氏にとって失敗作ではないかと思うのである。
感  想
吉行淳之介
…「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(村上春樹)についていえば、これも手応え十分であった。ただ、読む者が受信しようとしていると、村上放送は多種類の電波を同時に送って寄越すことがあって、そのため電波同士が妨害し合いしばしば受信不能になるという欠点がある。
 交互に置かれた二つの話のそれぞれの主人公「私」と「僕」が、やがて交叉しはじめ、「私」イコール「僕」と分り、二つの世界の物語は同時進行して、最後に「私」も「僕」も消えてしまう、という構成ほ面白い。、ただ、この二つの世界は、描かれている文体は違うが味わいは似通っている。そのためか、作品が必要以上の長さに感じられた。この作品の受賞に、私はやや消極的であった。
何かの始まり
丸谷才一
…村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワーンダーランド』は、優雅な抒情的世界を長篇小説といふ形でほぼ破綻なく構築してゐるのが手柄である。われわれの小説がリアリズムから脱出しなければならないことは、多くの作家が感じてゐることだが、リアリズムばなれは得てしてデタラメになりがちだうた。しかし村上氏ほリアリズムを捨てながら論理的に書く。独特の清新な風情はそこから生じるのである。
 この甘美な憂愁の底には、まことにふてぶてしい、現実に対する態度があるだらう。この作家は、世界からきちんと距離を置くことで、かへって世界を創造する。彼は逃避が一つの果敢な冒険であることを、はにかみながら演じて見せる。無としてのメッセージの伝達者であるふりをして、しかし生きることを探求すると言ってもよからう。村上氏の受賞を喜ぶ。
きちょうめんな冒険家
大江健三郎
…村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』について、やはり自分なら、ということを考えました。ここでふたつ描かれている世界を、僕ならば片方は現実臭の強いものとして、両者のちがいをくっきりさせると思います。しかし村上氏は、パステル・カラーで描いた二枚のセルロイドの絵をかさねるようにして、微妙な気分をかもしだそうとしたのだし、若い読者たちはその色あいと翳りを明瞭に見てとってもいるはずです。
 冒険的な試みをきちょうめんに仕上げる、若い村上春樹氏が賞を受けられることに、すがすがしい気持を味わいます。シティ・ボーイの側面もあった谷崎になぞらえてここに新しい「陰翳礼讃」を読みとるともいいたいような気がします。



「蒲郡プリンスホテル」
<苦情の手紙・その他の手紙(文学的近況)>
 谷崎潤一郎賞が掲載された「中央公論(昭和60年11月号)」に「谷崎潤一郎賞」を貰った(100万円)お礼なのでしょうか、”文学的近況”として短い文を書いています。
「僕は苦情の手紙というのをよく書く。わりに筆不精で、どうしても書かなくちゃいけない返事の手紙を何カ月もそのまま放りだしておく方なのに、これが苦情の手紙となるとすぐ書いてすぐ出しちゃうから不思議である。…
……デパートで例をあげると、東京駅の大丸デパートと数寄屋橋の阪急デパート(どちらもたまたまかどうか知らないけれど関西資本のデパートである)がきちんとしていた。
……ホテルでいうと、箱根の
富士屋ホテルと今はなき蒲郡ホテルがなかなか良かった。…」
 この短い文章を読むと、現存するお店やホテルの名前が出てきます(「細雪」も同じです)。特に「富士屋ホテル」と「蒲郡ホテル」が気になりました。谷崎潤一郎の「細雪」にはこの両ホテルは登場しています(「谷崎潤一郎の細雪を歩く 東京 その他編」を参照してください)。意識的にこのホテルを登場させたのかは分かりませんが、なにか、近いものを感じさせてくれます。

左上の写真は現在の蒲郡プリンスホテルです(昔の蒲郡ホテルです)。