<中央公論(昭和60年11月号)[中央公論社]>
私、個人的には村上春樹は谷崎潤一郎賞が一番似合っているとおもっています。特に「細雪」は村上春樹自身が何回も読み返したと書いています。文体は違いますが、文章の中に入っている項目?(内容)は良く似ているとおもっています。
中央公論社の「谷崎潤一郎賞」については、中央公論社が昭和40年(1965)の創業80周年を機に、谷崎潤一郎にちなんで設けた文学賞だそうです。中央公論(昭和60年11月号)の谷崎潤一郎賞発表では、
「 中央公論社創業八十年を記念して設定された谷崎潤一郎賞は、昭和四十年以来、二十回にわたってそれぞれの年を代表する文学作品を選び、それを顕彰してきました。年を迫って権威ある賞としてその地位を高めてくることができましたのは、各位のど支援のたまものと存じます。 一
本年度は第二十一回を迎え、昭和五十九年七月一日より昭和六十年六月三十日までに発表された小説および戯曲を対象として選考を進めた結果、九月十二日に催された最終選考会において、最終候補作品、長部日出雄氏『映画監督』、三浦哲郎氏『白夜を旅する人々』、村上春樹氏『世界の終りとハードポイルド・ワンダーランド』、日野啓三氏『夢の島』の四編について厳正な審査が行われ、村上春樹氏『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を本年度の受賞作と決定しました。
昭和六十年九月十二日
中央公論社…」。
この谷崎潤一郎賞は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で昭和60年(1985)に受賞しています。村上春樹が「ノルウェーの森」で圧倒的に売れる2年前になります。タイミング的にはこの賞は的を得ていたのではないでしょうか!、ただ、選考委員の選評が相変わらず酷いです。お歳の選考委員には、2年後の「ノルウェーの森」は誰も想像できなかったようです。やはり、”時代のギャップ”を感ぜざるを得ません(中央公論社が無理やり推薦したのか?)。
★左上の写真は「中央公論」の昭和60年(1985)11月号です。表紙を見ても「谷崎潤一郎賞」はどこにも書かれていません。目次にも小さく書かれているだけで、掲載も殆ど最後(P582)でした。当時はたいして注目されていなかったのではないでしょうか。