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最終更新日:2006年2月19日


●街頭オリエンテーリング(コマ劇場→新宿御苑) 2003年8月2日 V01L01

 今週は昭和57年5月号「太陽」の特集”地図であそぶ”から、村上春樹の「坂下のおでん屋コンボイ」を歩いてみたいとおいます。村上春樹が”おでん屋コンボイ”を引っ張って歩くというわけではなくて、「太陽」の特集で、まだ新米の村上春樹が新宿の街をオリエンテーリングをしながら歩いているのを「太陽」が取材している訳です。

<月刊誌「太陽」>
 『太陽』が平凡社から創刊されたのは1963年で、今から40年ほどまえです。翌年の1964年には「東京オリンピック」が開催されようやくカラーテレビが売れ始めたころです。最初は売れなかった様ですが1970年代に入ってビジュアル雑誌が増えてきたころから歴史・文学・旅という3つの柱を掲げたことが当たって『太陽』もピークを向かえます。嵐山光三郎、筒井ガンコ堂、渡辺直樹、斉藤和弘などがいたころで、このころが「太陽」が一番キラキラ光っていたころです。昭和57年の5月号では”地図であそぶ”を特集しており、その中で”街頭オリエンテーリング”を企画していて村上春樹、野田秀樹、阿奈井文彦の三人が歩いています。村上春樹は自分自身が最もよく通った新宿を歩いています。「このオリエンテーリングのルールは、●ショルダーバッグの人に会ったら右へ曲がる。●ブーツをはいた人に会ったら左へ曲がる。●帽子をかぶった人に会ったら真直ぐ。制限時間3時間」、いったい何処を歩くのでしょうか、楽しみです。

左上の写真は昭和57年の5月号「太陽」です。村上春樹が千駄ヶ谷のピーターキャットを閉めて、千葉に転居し「羊をめぐる冒険」で第4回野間文芸新人奨励賞を受賞したころです。まだまだ新人の作家の頃で、このような取材も断れなかったのでしょう。いまなら絶対受けつけない取材ですね。

村上春樹の新宿街頭オリエンテーリング地図


新宿コマ劇場>
 月刊誌「太陽」の企画、”新宿街頭オリエンテーリング 村上春樹編”は新宿コマ劇場前から始まります。当然、街頭オリエンテーリング記は村上春樹が自ら書いています。「歩くのはもともと好きな方で、放つておくと十二時間くらいはぶっとおしで歩いてしまう。……一時前に編集のO嬢とカメラのIさんと新宿・紀伊国屋裏の「ダグ」で待ち合わせる。O嬢とIさんは悪性のインフルエンザにかかっていて、少々パテ気味である。僕だけがとても元気がいい。無性に天ぷらソバが食べたい。出発点は新宿歌舞伎町のコマ劇場正面。なぜ歌舞伎町かというと、学生時代にこのあたりでずっとアルバイトをやっていて、なんとなく懐かしかったからである。オールナイトで働いて、ゲーム・センターで時間をつぶして、朝の八時に家に帰つて眠った。もちろん学校なんて行けるわけがない。でも考えてみると学校で学んだことよりは、歌舞伎町のスナックやらゲーム・センターで学んだことの方が役に立ったな。というところで、まず「島倉千代子特別公演」の看板の下で記念撮影。…」。村上春樹は大学が早稲田なのでこの辺りでアルバイトをよくしたのだとおもいます。

左上の写真が新宿歌舞伎町のコマ劇場です。「太陽」の写真は版権の関係で掲載できませんが、記述で説明したいとおもいます。「太陽」に掲載している写真と全く同じ構図で撮影しています。村上春樹が真ん中に写っていないだけです。ただバックのコマ劇場で公演していたのは”島倉千代子”ではなくて”大月みやこ”でした。。

歌舞伎町ラブホテル街>
 知っている人は知っているとおもいますが、失礼な言い方かな!!歌舞伎町の周りはラブホテル街です。「右折するとそこはもう白昼のホテル街である。またバッグで右折、とやっているうちにとうとうホテル街をぐるりと一周してしまった。はたから見ていると、夕方のデートの前に良さそうなラブ・ホテルを物色しているように映ったかもしれない。結論から一言うと、この地域には食指が動くようなラブ・ホテルは残念ながら一軒もなかった。御休憩二五〇○円から三〇〇〇円と、場所のいいわりに高くはないのだが、そのぶん全体的にうらぶれている。BGMに千昌夫がかかっていそうな気がする。冷蔵庫には三ツ矢サイダーが入っているかもしれない。…」、昭和57年なので、ホテルの料金が安いですね。彼女と入るときは誰かに見られないようにしましょう〜ね!

右の写真も「太陽」の写真と全く同じ所で撮影しています。左側の角に村上春樹が立って写っていました。右側も当時はラブホテルだったのですが、いまは普通のビルになっていました。左側のラブホテルも外観が変わってしまっています。

白川郷>
 ラブホテル街を回ったあと、白川郷という飲み屋に出会います。「…ブーツの女性に出会って左折、つきあたって右折、とやっているうちに、やっとホテル街から抜け出せた。ここで狸と出会って記念撮影。なかなか良さそうな飲み屋である。今度ゆっくり来ることにしよう。…」、とありますが、実際は上記のルートから少し外れたところにあります。話題性ということで、何処かいい場所はないかと探したのでしょう。取材なんていい加減ですね。このあと村上春樹は職安通り出て不動産屋に出会います。現在はコンビニになっているようです。

左上の写真の左側は白川郷というホテルです。当時は白川郷から民家を移築して飲み屋としてやっていたようで、店の前に狸の大きな置物があって、その前で村上春樹が写真に写っていました。バックに写っているビルで確認しています。。

西向天神杜>
 職安通りから明治通りを超えて永井荷風が住んだ余丁町方面に向かいます。「…坂を上るとひっそりとした神社があった。「西向天神杜」と書いてある。戦没者の石碑もあった。賽銭箱に百円玉を入れ、ばんばんと手を打って拝む。大きな木に鳩が鈴なりになって空を眺めている。まるで鳩がなる木みたいに見える。 神社を出てしばらく露路を歩くと猫に会った。いかにも露路裏的サバ虎猫である。僕は猫が好きだから、すぐに猫と遊んでしまう。東京の裏町には実に猫が多く、みんな一所懸命生きている。この猫は首輪をつけた家猫で、従って人なつっこい。…」、村上春樹はほんとうに猫が好きですね。

右の写真が西向天神杜です。この写真も「太陽」の写真と全く同じ構図です。真ん中辺りに村上春樹が写っていました。


そば屋(小松庵)>
 このあと西向天神杜から明治通り方面に戻ります。その途中で村上春樹はそば屋に入ります。「風が出てきて、少し寒くなった。天ぷらソバが食べたい。……。露路をぐるぐるとまわり、やっとソバ屋の前に出る。待望の天ぷらソバである。?Nサイン。しかしひとこと言わせて頂くなら、全体的に少しぬるかったような気がする。だしの最も少ない。天ぷらソバというのは「これじゃ海老もさぞ熱かったろうな」としみじみ思うくらい熱いのが良い。まあ小松庵の人々も昼食どきが終わったばかりでほっと一息ついていたところなのだろうが、残念である。僕は天ぷらソバに関しては厳格なのだ。…」、ということで、私もこの小松庵さんで天ぷらソバを食べてみました。村上春樹と食べる時間を買えて、昼前一番にお店に入り天ぷらソバを食べてみました。そば自体は美味しいのですが、短く切れていてパラパラで、天ぷらも衣が大きくていまいちで、そばに付けても…‥です。残念でした。小松庵さんの横が日清食品本社なのでカップヌードルに負けない様にして下さい。

左上の写真が小松庵さんです。左側に少し写っているビルが日清食品本社ビルです。天ぷらソバは1200円でした。高かった!

haruki-shogatsu34w.jpg坂下のおでん屋コンボイ>
 ソバを食べてから再び職安通りに戻り余丁町へ歩きます。「…職安通りに戻り、もとの交叉点に出て久左衛門坂を上る。なにかしら資材置場のようなうらぶれた坂だ。盛り場を少し離れただけで、町の印象はこんなにも変わってしまう。坂の下にはおでん屋の屋台がずらりと並んでいる。夜になると、ここから盛り場に向けておでん屋コンボイが発進していくのだ。まさにブレヒトの『三文オペラ』的風景である。坂の途中から西口の高層ビル群がくっきりと見える。ほんの少し歩いただけなのに、ずいぶん遠くまで来ちやったなあという気がする。…」、ここで最初のタイトルが出てきます。当時は坂の途中から新宿の高層ビル郡が見えたのですが今は路の間からしか見えなくなっています。

坂下のおでん屋コンボイと同じ位置で写真撮影を使用としたのですが、コンボイが置いてあった空き地にビルが建っており、また交差点の反対側にもビルが建って全く風景が変わってしまっていました。一応近い所から写真撮影しておきました。右端のビルだけが当時のままでした。

市ヶ谷富久町>
 東京の下町と言うより、新宿の下町と言った方がピッタリ会うような気がします。「まずスナックの看板にあった「とんかつ・ヒラメかつ」。ヒラメかつっていったいなんだ?それから昔懐かしい本格的駄菓子屋。入口のガラス戸に「チョコカス入りました」という紙が貼ってある。O嬢がココア・シガレットとか風船ガムとかを五つばかり買って値段は100円。メジャー・メーカーのものは一切なし。実に立派な根性である。…このあたりはもうオバサンと洗濯ものと木造アパートの町だ。ブーツをはいた若い女の子なんて一人もいない。ショルダー・バッグもない。だから蜒蜒とまっすぐ歩く。東京のどまん中だからブーツなんて幾らでもお目にかかれるだろうと考えていたこちらの見通しが甘かった。青山通りは東京だけれど、東京は青山通りではないのだ。」、青山通りの件は面白いですね。

左上の写真の自動販売機の前で村上春樹が写真に写っています。右側はクリーニング屋だったのですが今は閉まっています。

haruki-shogatsu34w.jpg新宿御苑>
 どういうわけか最後は新宿御苑でした。「まっすぐ進むと靖国通りに出て、そこを右折。あれ、また新宿に戻っちゃうの、なんて言っているうちに新宿御苑の門の前で三時間のタイム・アップ。まあ猫にも会えたし、天ぷらソバも食べたし、風船ガムも買えたし、楽しい午後の散歩だつた。それにしてもこんな風に露路から露路へと歩きまわつていると、「都会的」という言葉の意味がまったくわからなくなってくる。まさに「ヒラメかつ」的混沌である。」。丁度いい所で終りますね。

右の写真の真ん中辺りに村上春樹が座り込んで写真を撮っています。

これで村上春樹の街頭オリエンテーリングは終りで〜す。


【参考文献】
・風の歌を聴け:村上春樹、講談社文庫
・1973年のピンボール:村上春樹、講談社文庫
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春樹、講談社文庫
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春樹、新潮文庫
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春樹、講談社文庫
・ノルウェイの森(上、下):村上春樹、講談社文庫
・さらば国分寺書店のオババ:椎名誠、新潮文庫
・村上朝日堂:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂の逆襲:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂 はいほー!:村上春樹、新潮文庫
・辺境・近境:村上春樹、新潮文庫
・夢のサーフシティー(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・スメルジャコフ対織田信長家臣団(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・村上春樹スタディーズ(01−05):栗坪良樹、拓植光彦、若草書房
・イエローページ 村上春樹:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探訪:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春樹の世界(東京偏1968−1997):ゼスト
・村上春樹を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春樹と日本の「記憶」:井上義夫、新潮社
・象が平原に還った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鳥の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと華麗な虚偽:久居つばき、マガジンハウス
・僕たちの好きな村上春樹:宝島別冊
・村上春樹の読み方:久居つばき、くわ正人、雷韻出版
・鼠の心:高橋丁未子、北宋社
・太陽 昭和57年5月号、平凡社
  

 
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