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最終更新日:2006年2月22日

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●村上春樹風 元旦の過ごし方 2002年12月28日 V02L02(写真を更新)

 先週に引き続いて村上春樹の「村上朝日堂」を参考にしながら”村上春樹風「お正月の過ごし方」”の第二回目として「元日の過ごし方」をお届けします。村上春樹の「スルメジャコフ対織田信長家臣団」の中でも、「こんにちは。僕も学生時代に冬休みのあいだほとんど毎日(大晦日も正月も出て)働いてもらったバイトの給料を、そっくりそのまま落としてしまったことがあります。そういうのって、ほんとに悲しいですよね。…僕のところに来てくれたら、僕だって負けず劣らずアホでエッチな冗談をいっぱい言ってあげたんですが…」、などど書いています。”国分寺でお金のないころに三万円拾った”と読んだ覚えがありますが、お金を落としたこともあるのですね、話題の多いお正月です。

haruki-shogatsu31w.jpg<外苑の銀杏並木>
 寒い冬の朝、神宮外苑の銀杏並木を白い息を吐きながら歩くのはなんともいえませんね。夜を過ごした二人が歩くのならなお最高です。村上春樹は「村上朝日堂」のなかで「…元旦になると早起きして赤坂まで歩く。このへんの雰囲気がとても良い。町がしーんとして、広い通りもがらんとしている。空気がぴりっとしていて、肌がちくちくする。…」、と書いています。この雰囲気は歩いたことのある人でないと分からないとおもいます。だれか二人で歩いてくれる人はいないかな〜……(ため息です!!)

左の写真が神宮外苑の銀杏並木です。青山通りから絵画館方向を撮影しました。銀杏並木の間に見えるのが絵画館です。


haruki-shogatsu30w.jpg<絵画館>
 神宮外苑の絵画館は正式名称を聖徳記念絵画館といい、明治天皇・昭憲皇太后お二人の御聖徳を永く後世に伝えるために造営されたこの施設は、神宮外苑のシンボルになっています。ピーターキャットが国分寺から千駄ヶ谷に移ってきたころの村上春樹の散歩道は神宮外苑から青山通り、表参道辺りだったようです。元旦木過ごし方で「…絵画館前から葉の落ちた銀杏並木を抜け、青山どおりを左に折れ、…」と書いていますので、千駄ヶ谷から絵画館、神宮外苑、青山通りと歩くようです。

左の写真が神宮外苑の絵画館です。写真のとおり、日頃は駐車場になっています。せっかく綺麗な絵画館なのに写真に車が写ってしまっていてよくありませんね。

/haruki-shogatsu38w.jpg<青山通り>
 ”青山通り”は村上春樹の小説に度々登場してきます。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)」では「…パイプの出口から青山一丁目の駅まではそれほどの距離はなかった。…我々はまず銀座方面行きを一台やりすごし、それから渋谷行きをやりすごした。そして青山一丁目の駅のそばまで行って支柱の除からプラットフォームの様子をうかがった。…」、とあります。「ダンス・ダンス・ダンス」では「…いつもだいたい同じコースだった。原宿から神宮球場、青山墓地、表参道、仁丹ビル、渋谷。途中でコーヒーを飲んで休むこともあった。…」、と書かれています。この近所に住んでいたのですから当然なのですが、元旦では、「…青山どおりを左に折れ、東京マラソンで瀬古がゴメスを抜いた例の坂道を下って赤坂に着く。」、とあります。

右の写真がアオヤマツインビルから撮影した赤坂見附方面の青山通りです。この先左側に豊川稲荷があり、その先が赤坂見附の坂になります。

haruki-shogatsu32w.jpg<豊川稲荷>(写真を入替、追加、03/01/04)
 文政11年(1828)の創建で、もとは赤坂一ツ木町の旧大岡家邸内に有り大岡越前守が信仰したので盗難除けに霊験があるとされています。明治20年に当地に移転しています。村上春樹では、「…左手に豊川稲荷があるので、ここにちょっと寄ってまたたこやきなんかを食べる。…」、とあります。2003年のお正月に初詣で豊川稲荷を訪ねたのですが、青山寄りの出口の近くに”渋蛸”という”たこ焼屋さん”がありました。渋谷のたこ焼屋ということで、”渋蛸”というのでしょうね。なかなか面白い名前です。たこ焼きは少し硬めで、中に入っている蛸は大きめでした。

左の写真が2003年のお正月に撮影した豊川稲荷です。

haruki-shogatsu34w.jpg<日枝神社>(写真を入替、03/01/04)
 村上春樹の「番外 お正月は楽しい(2)」では「…それから、次は日枝神社である。日枝神社でまねき猫を買い、…」、とあります。青山通りから豊川稲荷、赤坂見附、山王の日枝神社と来るわけです。日枝神社は江戸城の鎮守として特に徳川家の崇敬が高かったようです。慶応4年(明治元年)から日枝神社と呼ばれるようになったようですが、古くからは「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」「麹町山王」と呼ばれていたようで、一般には常に「山王さん」の名で親しまれています。近年は厄除け・開運招福、商売繁盛・社運隆昌の神として崇敬されています(日枝神社ホームページ参照)。

右の写真はお正月の日枝神社の本殿です。残念ながらまねき猫は売っていませんでした。

haruki-shogatsu35w.jpg<キャピタル東急ホテル(旧東京ヒルトンホテル)>
 日枝神社から次にいこうとすると必然的にキャピタル東急ホテルになります。隣ですから当然ですね。「…ヒルトン・ホテルのティー・ルームでコーヒーを飲む。こういう風にお正月、街なかを散歩していると、東京ってほんとに良いところだなとつくづく思う。空にスモッグがなく、車が少なく、人の数が少ないだけで、とてものびのびとした気持になれる(幸せである。毎日が正月だったら僕は喜んで東京に住みたいのだが、そういうわけにもいかないので今は千葉に住んでいる。…」、赤坂プリンスやニューオータニほど一般的ではないので、普通の人はすこし入りにくいかもしれません。このホテルのティームルームは一階にあり、さほど大きくありません。でもこのティールームのコーヒーはなかなかです。

左の写真が現在のキャピタル東急ホテル、当時の東京ヒルトンホテルです。名前は変わっていますが中はそのままです。

haruki-shogatsu37w.jpg<乃木神社>
 「夢のサーフシテイ」の”村上の近況 6「97年正月編」”では「…元旦の朝早く赤坂の日枝神社と乃木神社というコースでありました。表参道の屋台で500円のあつあつのたこ焼きを食べました。今年のハヤリは大型タコ入りのやつなんですね。とくになんということもない、平穏で非ドラマチックなお正月でした。…」、とあります。ま、その時々でお正月の過ごし方が違うようです。97年といえば大磯に住んでいたころなのですが、どうなんでしょう、よく分かりません。推測すれば、大磯に家はあったが千駄ヶ谷のマンションでお正月を過ごしていたと考えれば成り立ちます。ここでは最後に乃木神社を参拝しています。

右の写真は乃木神社の正面です。アベックがたくさん歩いていました。一人で寂しかったです。

これで安心して元旦を過ごせますね!!


村上春樹風 お正月地図
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【参考文献】
・風の歌を聴け:村上春樹、講談社文庫
・1973年のピンボール:村上春樹、講談社文庫
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春樹、講談社文庫
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春樹、新潮文庫
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春樹、講談社文庫
・ノルウェイの森(上、下):村上春樹、講談社文庫
・さらば国分寺書店のオババ:椎名誠、新潮文庫
・村上朝日堂:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂の逆襲:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂 はいほー!:村上春樹、新潮文庫
・辺境・近境:村上春樹、新潮文庫
・夢のサーフシティー(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・スメルジャコフ対織田信長家臣団(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・村上春樹スタディーズ(01−05):栗坪良樹、拓植光彦、若草書房
・イエローページ 村上春樹:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探訪:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春樹の世界(東京偏1968−1997):ゼスト
・村上春樹を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春樹と日本の「記憶」:井上義夫、新潮社
・象が平原に還った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鳥の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと華麗な虚偽:久居つばき、マガジンハウス
  

 
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