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最終更新日:2006年12月2日


●「1973年のピンボール」を歩く -ICU編-

  初版2005年11月5日
  二版2006年11月26日 
<V01L01> ゴルフ場の写真を入替

 11月からは「江戸川乱歩を歩く」を予定していましたが、その前に村上春樹の「1973年のピンボール」を少し歩いてみました。特に最初は三鷹の外れにあるICU(国際基督教大学)を歩いてみました。少しオタク気味です。



ICU(国際基督教大学)>
 現在のICU(国際基督教大学)の場所は戦前、中島飛行機株式会社(富士重工の前身)三鷹研究所敷地で、戦後ICUが土地を購入し学校を設立しています。現在も隣に富士重工の東京事業所があります。村上春樹の「1973年のピンボール」には”ICU”の”I”の字も書かれていいません。初めてICUが書かれるのが「羊をめぐる冒険」です。「…その年の秋から翌年の春にかけて、週に一度、火曜日の夜に彼女は三鷹のはずれにある僕のアパートを訪れるようになった。彼女は僕の作る簡単な夕食を食べ、灰皿をいっぱいにし、FENのロック番組を大音量で聴きながらセックスをした。水曜の朝に目覚めると雑木林を散歩しながらICUのキャンパスまで歩き、食堂に寄って昼食を食べた。…」。この後、村上春樹は「ノルウェイの森」の中で再びICUを意識させます。「…僕と直子は中央線の電車の中で偶然に出会った…」と書いて…‥。

左上の写真はICU(国際基督教大学)です。神戸高校で一緒だったガールフレンドのKさんは村上春樹よりも一年早くICUに入学しています。直子とKさんの関係、村上春樹の三鷹での住居、KさんのICUでの住いは……‥

「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」までの三部作をじっくり歩いてみます。時間は懸かるかもしれませんが!

現在のICU地図



ICUゴルフ場のクラブハウス跡>
  2006年11月26日 ゴルフ場の写真を入替
 原作ではゴルフ場がICUゴルフ場とは書かれていません。また「羊をめぐる冒険」でもゴルフ場については書かれていません。ただ、村上春樹は1969年から1971年まで三鷹の外れのアパートに住んでおり、書かれている文章から推測しています。「…秋は一日ごとに深まりを見せ、ゴルフ場を囲む雑木林は地面に乾いた葉を積もらせていった。なだらかな郊外の丘陵のあちこちでそういった落葉を焚く細い煙が、魔法の縄のようにまっすぐに空に立ちのぼるのがアパートの窓から見えた。…」。あくまでも推定なのですが…‥

左の写真は現在の野川公園事務所です。ICUゴルフ場のクラブハウス跡です。中に入るとゴルフ場のクラブハウスの雰囲気があるのですぐに分かります。ICUゴルフ場は、出来た時期がよく分からないのですが、昭和30年代からあったようで、昭和50年前後に東京都に売却されています。

ゴルフ場の金網>
 「1973年のピンボール」にはこのゴルフ場の金網が度々登場します。「…僕たちは一時間ばかりバックギャモンをしてからゴルフ場の金網を乗り越え、誰も居なくなった夕碁のゴルフ・コースを歩いた。…」。ゴルフ場の周りは金網が張りめぐらされていたようなので、書かれている場所を探すのは難しかったのですが…‥

右の写真は現在の国際基督教大学高校の金網です。この金網を「1973年のピンボール」の僕と双子の彼女は乗り越えたはずです。

アパート>
 「1973年のピンボール」の中でこれだけ詳しくゴルフ場とアパートを書けるのは”実際に住んでいたか、知り合いのアパートによく訊ねていたはずである”という確信を基に僕と双子の彼女が住んでいたアパートを探しました。「…よく晴れた日曜日の朝であった。やがて二人はほとんど同時に目を覚ますとベッドの下に脱ぎすてたシャツとブルー・ジーンをモゾモゾと着こみ、一言もロをきかないまま台所でコーヒーをたて、トーストを焼き、冷蔵庫からバターを出してテーブルに並べた。実に慣れた手つきだった。窓の外のゴルフ場の金網には名も知らぬ鳥が膜を下ろし、機銃掃射のように鳴きまくっていた。…」。ICUゴルフ場の金網のあった所で、近くのアパートの窓から金網が見える場所を探しました。村上春樹が三鷹に住んでいた1970年当時はICUゴルフ場の周りにはアパートは一軒しかありませんでした。金網が見えるアパートは…‥。

左の写真がその当時のアパートです。現在は建て直されて今風のアパートになっています。また、1971年になると直ぐ横にもう二軒アパートが建てられます。そちら側からみた金網の写真も掲載しておきます。

<ICUゴルフ場>
  2006年11月26日 ゴルフ場の写真を入替
 「1973年のピンボール」ではゴルフ場を細かく描写しています。「…僕はテニス・シューズをはき、トレーナー・シャツを首に巻いてアパートを出ると、ゴルフ場の金網を乗り越えた。なだらかな起伏を越え、十二番ホールを越え、休憩用のあずまやを越え、林を抜け、僕は歩いた。西の端に広がった林のすきまから芝生に夕陽がこぼれていた。十番ホールの近くにある鉄あれいのような形をしたバンカーの砂の上に双子の残していったらしいコーヒー・クリーム・ビスケットの空箱をみつけた。僕はそれを丸めてポケットに入れ、後ずさりしながら砂地についた三人分の足跡を消した。そして小川にかかった小さな木の橋をわたり、丘を上ったところで双子をみつけた。双子は丘の反対側の斜面につけられた露天のエスカレーターの中段あたりに並んで座り、バックギャモンで遊んでいた。…」。かなり正しくICUゴルフ場を書いています。アパートの直ぐ近くが12番ホールなので、上記のアパートも正しそうです。

右の写真は11番のグリーン跡方面を撮影したものです。正面付近に”十番ホールの鉄あれいのような形をしたバンカー”があったはずです。10番ホールではなく11番ホールなのですが。”小川にかかった小さな木の橋”は右上の写真の橋です。木の橋ではないですが。また”露天のエスカレーター”も写真正面左側にあったはずなのですが。野川からICU寄りは昔の面影はありません。クラブハウス跡と野川の間がゴルフ場の面影を留めています。

これから時間をかけて「1973年のピンボール」を歩いていきたいとおもいます。

ICUゴルフ場跡地図


【参考文献】
・風の歌を聴け:村上春樹、講談社文庫
・1973年のピンボール:村上春樹、講談社文庫
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春樹、講談社文庫
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春樹、新潮文庫
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春樹、講談社文庫
・ノルウェイの森(上、下):村上春樹、講談社文庫
・さらば国分寺書店のオババ:椎名誠、新潮文庫
・村上朝日堂:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂の逆襲:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂 はいほー!:村上春樹、新潮文庫
・辺境・近境:村上春樹、新潮文庫
・夢のサーフシティー(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・スメルジャコフ対織田信長家臣団(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・村上春樹スタディーズ(01−05):栗坪良樹、拓植光彦、若草書房
・イエローページ 村上春樹:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探訪:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春樹の世界(東京偏1968−1997):ゼスト
・村上春樹を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春樹と日本の「記憶」:井上義夫、新潮社
・象が平原に還った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鳥の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと華麗な虚偽:久居つばき、マガジンハウス
・アフターダーク:村上春樹、講談社
 


 
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