<群像(昭和58年1月号)[講談社]>
今考えると、当時、村上春樹を一番理解していたのは、「群像」編集部(講談社)だったのかなとおもっています。文藝春秋社は芥川賞を取らせることができず(会社としては取らせたかったとおもいます)、中央公論社は、遅れて、昭和60年に「谷崎潤一郎賞」を取らせています。新潮社は川端康成賞等があったのですが、当時は候補にも上がらず、受賞させていません。講談社は「群像」で昭和54年に「群像新人文学賞」を、昭和57年に「野間文芸新人賞」と、しっかり取らせています。ですから初期の村上春樹の作品は講談社が多くなったのでしょう。「第四回野間文芸新人賞」を受賞した「群像」の昭和58年1月号からです。
「第四回野間文芸新人賞の決定
村上春樹「羊をめぐる冒険」
「群像」昭和57年8月号
財団法人「野間奉公会」主催の第四回「野間文芸新人賞」は、選考委員秋山駿・上田三四二・大岡信・川村二郎・佐伯彰一の各氏によって右のとおり決定いたしました。賞牌及び副賞として五十万円が贈呈されます。…」。
村上春樹の初期三部作(「風の歌を聴け」、「1973年のピンホール」、「羊をめぐる冒険」)から「ノルウェーの森」まで、最近では「アフターダーク」が講談社となっています。「1Q84」は新潮社なので、最近は新潮社が間に入ってきているようです。文藝春秋社は小品ばかりです。村上春樹が2006年4月号の文藝春秋で書いているのを読み返してしまいました(「村上春樹と芥川賞」を参照)。
「二十九の年に第一作の「風の歌を聴け」を書きはじめて、今は三十三になった。あと何日かで三十四になる。いずれにしても先はまだ長いので、ペースを崩さないように丁寧に仕事をしていきたいと思う。
賞は作品が受けたのであって、僕個人がどうこう言う筋合のものではない。ただこれまでにいろいろとお世話になった方々に対する感謝の気持を賞という具体的な形で表わせたことは、やはりありがたいことであると思う。」
”お世話になった方々”とは、「群像」の編集者の方々のことでしょうか!
「第四回野間文芸新人賞」の選考委員の中で大岡信氏が”時分の花が咲いている”と、今読んでもピッタリの選評を書いています。
「この作者の年齢でなければ咲かすことのできない時分の花がここには咲いている。それは紛うかたない才能のしるしであって、こういう人のこういう時期に新人賞というものが与えられるのでなければ、新人賞にはあまり意味がない。」
村上春樹が受賞した賞の選評で一番の評価です(若干厭味が…‥)。何十年後に読んでも納得する選評であってほしいです。
★左上の写真は「群像」の昭和58年(1983)1月号です。「第四回野間文芸新人賞」は昭和57年11月に発表し、「群像」への掲載は昭和58年1月号となっていました。村上春樹は上記以外は特にコメントしていません。「群像」の昭和58年1月号〜3月号に「季語暦語」として三回小作品を掲載しています。受賞のお礼でしょうか!!