●第四回野間文芸新人賞
    初版2009年6月6日 <V01L01>

 今週も村上春樹を掲載します。6月30日にアマゾンから村上春樹の新しい小説「1Q84(1)」、「1Q84(2)」が届きました。一部の書店では28日頃から売られていましたので、二日遅れとなります。暇が出来たら特集したしなともおもっています?


「群像」
<群像(昭和58年1月号)[講談社]>
 今考えると、当時、村上春樹を一番理解していたのは、「群像」編集部(講談社)だったのかなとおもっています。文藝春秋社は芥川賞を取らせることができず(会社としては取らせたかったとおもいます)、中央公論社は、遅れて、昭和60年に「谷崎潤一郎賞」を取らせています。新潮社は川端康成賞等があったのですが、当時は候補にも上がらず、受賞させていません。講談社は「群像」で昭和54年に「群像新人文学賞」を、昭和57年に「野間文芸新人賞」と、しっかり取らせています。ですから初期の村上春樹の作品は講談社が多くなったのでしょう。「第四回野間文芸新人賞」を受賞した「群像」の昭和58年1月号からです。
「第四回野間文芸新人賞の決定
  村上春樹「羊をめぐる冒険」
  「群像」昭和57年8月号
 財団法人「野間奉公会」主催の第四回「野間文芸新人賞」は、選考委員秋山駿・上田三四二・大岡信・川村二郎・佐伯彰一の各氏によって右のとおり決定いたしました。賞牌及び副賞として五十万円が贈呈されます。…」

 村上春樹の初期三部作(「風の歌を聴け」、「1973年のピンホール」、「羊をめぐる冒険」)から「ノルウェーの森」まで、最近では「アフターダーク」が講談社となっています。「1Q84」は新潮社なので、最近は新潮社が間に入ってきているようです。文藝春秋社は小品ばかりです。村上春樹が2006年4月号の文藝春秋で書いているのを読み返してしまいました(「村上春樹と芥川賞」を参照)。
「二十九の年に第一作の「風の歌を聴け」を書きはじめて、今は三十三になった。あと何日かで三十四になる。いずれにしても先はまだ長いので、ペースを崩さないように丁寧に仕事をしていきたいと思う。
 賞は作品が受けたのであって、僕個人がどうこう言う筋合のものではない。ただこれまでにいろいろとお世話になった方々に対する感謝の気持を賞という具体的な形で表わせたことは、やはりありがたいことであると思う。」

 ”お世話になった方々”とは、「群像」の編集者の方々のことでしょうか!

 「第四回野間文芸新人賞」の選考委員の中で大岡信氏が”時分の花が咲いている”と、今読んでもピッタリの選評を書いています。
「この作者の年齢でなければ咲かすことのできない時分の花がここには咲いている。それは紛うかたない才能のしるしであって、こういう人のこういう時期に新人賞というものが与えられるのでなければ、新人賞にはあまり意味がない。」
 村上春樹が受賞した賞の選評で一番の評価です(若干厭味が…‥)。何十年後に読んでも納得する選評であってほしいです。

左上の写真は「群像」の昭和58年(1983)1月号です。「第四回野間文芸新人賞」は昭和57年11月に発表し、「群像」への掲載は昭和58年1月号となっていました。村上春樹は上記以外は特にコメントしていません。「群像」の昭和58年1月号〜3月号に「季語暦語」として三回小作品を掲載しています。受賞のお礼でしょうか!!



村上春樹の1980年代年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 村上春樹の初期三部作
昭和54年 1979 イラン革命
NECがパソコンPC8001を発表
30 4月 第22回群像新人文学賞(発表)
5月 「風の歌を聴け」 (『群像』6月号掲載)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和55年 1980 光州事件
山口百恵引退
31 2月 「1973年のピンボール」 (『群像』3月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和56年 1981 チャールズ皇太子とダイアナが婚約
宋慶齢死去
32 10月 北海道を訪ねる(『すばる』1982/1)
昭和57年 1982 フォークランド紛争 33 7月 「羊をめぐる冒険」 (『群像』8月号)
11月 野間文芸新人賞(発表)
昭和58年 1983 「おしん」放送始まる
東京ディズニーランド
大韓航空機事件
34 1月 野間文芸新人賞(掲載)(『群像』1983/1月号)
昭和60年 1985 石川達三死去
夏目雅子死去
36 6月 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」 (新潮社)
8月 谷崎潤一郎賞(発表)(『中央公論』11月号掲載)
昭和62年 1987 国鉄分割民営化 38 9月 「ノルウェーの森」 (講談社)
昭和63年 1988 ソウル五輪開催
リクルート事件
39 10月 「ダンス・ダンス・ダンス」 (講談社)



群像 昭和58年1月号 (講談社)
選考委員 選  評
選 評
秋山駿
 村上春樹の『羊をめぐる冒険』は、この作者の発案した、気の利いた、しかし時に気障なところもある話法を存分に駆使したもので、とにかく面白かった。一匹の霊能者の羊を捜しに出掛ける旅を中心に、物語が成立している。こんな話法のスタイルでも長篇が描ける、というところが目新しかった。作者が自分の小説の世界をしっかりと支配している。
一頭地を技く
上田三四二
 力のある作品が並んでより取り見取りといった様相を呈したにもかかわらず、簡単に「羊をめぐる冒険」に決ったのは、やはり「羊」が一頭(!)地を抜いていたからで、順当な結着であったと思う。
 新人というよりはもうすっかり出来上った感じである。初めから危うけがなかったが、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』の主題を継ぎながら、それよりひと回り大きくなっている。
 もしかしたら、悪く達者になっているところもあるかもしれない。謎があり、細部もいいので相当な長さをおもしろく試み進みながら、中頃に来て、何となくあしらわれている感じになって白けかけたが、また盛り返しておもしろく読み終えた。読み終えて羊というシニカルなシンボルの意味が充分に掴めたとは思えないが、羊憑きの友人鼠の述懐「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」は一つの鍵であろう。そう述懐する鼠がじつは死者であるところに、作者の解体の深さがある。と同時に、その鼠のために「僕」が河口の砂浜で二時間、泣いて去って行く最後の一行に、作者の快癒への祈りがみえる。
時分の花が咲いている
大岡信
 村上春樹氏の『羊をめぐる冒険』には花があると思った。世阿弥のいった時分の花という言葉を借りれば、この作者の年齢でなければ咲かすことのできない時分の花がここには咲いている。それは紛うかたない才能のしるしであって、こういう人のこういう時期に新人賞というものが与えられるのでなければ、新人賞にはあまり意味がない。村上氏個人の作品歴でいえば、前作『1973年のピンポール』に較べ格段に作風が充実している。前作に対しては私は冷淡だったから、今度の作を産み出した作者の努力に敬意を払う。作品の構想をこまかく論じてゆけば、いくつかの疑問があるし破綻もある。しかしそれを上回って、作者の時分の花が時を得て咲いている珍らしさに感銘を受けた。
仕上りの見事さ
川村二郎
すると村上春樹氏の『羊をめぐる冒険』が、およそ面妖な空想譚を、一貫した気分のスタイルで終始澱みなく語り通している、その仕上りの見事さにおいて一頭地を抜いているか、と思われてきたのである。
不信の時代の騎手
佐伯彰一
 村上春樹は、歯切れのいい、颯爽たる語り手で、フシギな羊探しの冒険譚という純粋絵空事を、よどみなく語りぬいて見せた。これに対して増田の『麦笛」は精神薄弱者の収容施設という具体的な場を設定して、粘りづよく人間関係のアミの目を組み上げようと努めている。一体この両作品の主人公には、一九六〇年代末の大学紛争期が、色こく影を落していて、しかも熱っぽい政治参加から幻滅、脱落というおきまりの図式ではなく、むしろ政治的昂ぶりの中での乾いた認識の眼が、そのまま紛争以後に持ちこされ、とぎすまされていったという抱きが面白い。政治不信、信念不在の時代の申し子とでもいおうか。文体から小説的仕組みまで、いかにも対照的なこの両作、合せ鏡のように時代の病いを浮び上らせてくれる。そこで、同時授賞をと言い張った次第ながら、不信の時代の騎士の登場には、やはり颯爽たる一人姿こそふさわしいだろう。