<習志野
旧宅跡>
千駄ヶ谷から習志野の一軒家に移ります。当時のことを「村上朝日堂 はいほー」では「……僕の家は国電の津田沼の駅からタクシーでおおよそ千二百円くらいの距離にあった。本来なら私鉄に乗り換えたり、バスに乗ったりするのだが、これがけっこう面倒なので、だいたいタクシーに乗ることになった。……あれこれと客の素性を知りたがるのも千葉のタクシーの運転手の性癖であった。何しろ詮索好きなのである。「お客さん、商売何してんの?」とか、そういうことをよく訊かれた。僕はその頃もう三十五になっていたが、大学の正門のすぐ近くに住んでいたので、しばしば学生と間遠われた。……そういう話を女房にしたら、「あら、そんなのまだいいわよ。若く見られてるんだから。私なんかこのあいだは大学の先生に間違われたんだから」ということであった。」と書いています。上記に書かれている大学とは、日本大学理工学部です。当時はタクシー以外では津田沼から新京成電鉄で北習志野駅まで行き、そこからバスで日本大学理工学部の正門まで乗ればよかったと思います。現在は東葉高速鉄道ができて、船橋日大前駅で降りれば、日本大学理工学部の構内を歩いて15分位だと思います。
★左上の写真の場所に村上春樹の旧宅がありました。現在はアパートになってしまっています。昭和56年に転居していますので、19年前になります。たぶん当時の面影としては写真に写っている煉瓦の壁だけではないかと思います。また近くに自衛隊の駐屯地があったようで「僕は以前四年近くこの習志野駐屯地のわきに住んでいたので、落下傘訓練もよく見ている。…机に向かって書きものをしていてふと目を上げると、窓の外に無数の白い落下傘が開いているのが見えたりした。…それから野戦服を着て自動小銃を持った部隊がさっさっと家の前を走っていくこともあった。」とも書いており、場所探しの参考になりました。(現在は個人のお宅のため住所等は控えさせて頂きます)
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