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最終更新日:2018年06月07日

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●《村上春樹の世界》習志野 鵠沼海岸を歩く

 初版2002年5月25日
  二版2004年9月5日 鵠沼の旧宅の写真を取消
  三版2008年2月11日 「久昇」と「みゆき座」の写真を追加
  四版2008年3月29日 鵠沼の旧宅の写真を追加 
<V01L02>
  五版2018年6月18日 YouTube版村上春樹の世界 No.05  <V01L01>
  六版2018年6月25日 YouTube版村上春樹の世界 No.06  <V01L01>

2018年6月25日(YouTube版 村上春樹の世界 No.06)
《村上春樹の世界》をYouTube化しましたので見て頂ければとおもいます。
今回は、「村上春樹の藤沢、江ノ島を歩く」、で、藤沢駅から江ノ島のホノルル食堂まで歩きます。
上記をクリックするとダイレクトでYouTubeに飛びます。

2018年6月18日(YouTube版 村上春樹の世界 No.05)
《村上春樹の世界》をYouTube化しましたので見て頂ければとおもいます。
今回は、「村上春樹の船橋市習志野台を歩く」、で、船橋日大前駅から村上春樹の旧宅跡まで歩きます。
上記をクリックするとダイレクトでYouTubeに飛びます。

 少し回り道をしていましたが、今週から”村上春樹の世界”にふただび戻ります。村上春樹は昭和56年、千駄ヶ谷の「ピーター・キャット」を友人に譲り、小説一本でやっていく決心をして千葉の習志野に転居します。

<村上春樹のエイリアスさん>
鵠沼海岸に引っ越したのはどうもサーファーになりたかったからみたいです。「村上朝日堂 夢のサーフシティー」の中に「こんにちは。ロングボードはいつも悩みのたねになりますね。僕は藤沢に住んでいるころは、自転車でしこしこと運んでいましたが、風が吹くとふらふら揺れて怖かったです。どうしようもなくて、人にゆずっちゃったけど」と書いています。134号線を超えた湘南海岸公園の辺りはサーファーのメッカですが、自転車にボードを載せてくる人で海辺は自転車だらけです。

左上の写真が自転車にサーフボードを載せて走っている様子です。自転車にはサーフボード用取付金具を付けます。サ ーフボードは結構重たいので慣れないと大変だと思います。写真は村上春樹のエイリアスさん(村上春樹風に言うと!)なのですが(よく似ていませんか!)、ご本人の了承を得ずに掲載させて戴きました、御免なさい。

和  暦

西暦

年    表

年齢

村上春樹、習志野 鵠沼海岸を歩く

作  品

昭和56年
1981
神戸ポートアイランド博覧会
横溝正史死去
32
千葉県船橋市に転居 「ウォーク・ドント・ラン」
「夢で会いましょう」
昭和57年
1982
フォークランド紛争
東北新幹線開業
33
「羊をめぐる冒険」で第4回野間文芸新人奨励賞を受賞 「羊をめぐる冒険」
昭和59年
1984
江崎グリコ事件
35
神奈川県藤沢市に転居 「蛍・納屋を焼く」他
昭和60年
1985
石川達三死去
夏目雅子死去
36
渋谷区千駄ヶ谷に転居
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で第21回谷崎潤一郎賞を受賞
 

<習志野 旧宅跡>
千駄ヶ谷から習志野の一軒家に移ります。当時のことを「村上朝日堂 はいほー」では「……僕の家は国電の津田沼の駅からタクシーでおおよそ千二百円くらいの距離にあった。本来なら私鉄に乗り換えたり、バスに乗ったりするのだが、これがけっこう面倒なので、だいたいタクシーに乗ることになった。……あれこれと客の素性を知りたがるのも千葉のタクシーの運転手の性癖であった。何しろ詮索好きなのである。「お客さん、商売何してんの?」とか、そういうことをよく訊かれた。僕はその頃もう三十五になっていたが、大学の正門のすぐ近くに住んでいたので、しばしば学生と間遠われた。……そういう話を女房にしたら、「あら、そんなのまだいいわよ。若く見られてるんだから。私なんかこのあいだは大学の先生に間違われたんだから」ということであった。」と書いています。上記に書かれている大学とは、日本大学理工学部です。当時はタクシー以外では津田沼から新京成電鉄で北習志野駅まで行き、そこからバスで日本大学理工学部の正門まで乗ればよかったと思います。現在は東葉高速鉄道ができて、船橋日大前駅で降りれば、日本大学理工学部の構内を歩いて15分位だと思います。

左上の写真の場所に村上春樹の旧宅がありました。現在はアパートになってしまっています。昭和56年に転居していますので、19年前になります。たぶん当時の面影としては写真に写っている煉瓦の壁だけではないかと思います。また近くに自衛隊の駐屯地があったようで「僕は以前四年近くこの習志野駐屯地のわきに住んでいたので、落下傘訓練もよく見ている。…机に向かって書きものをしていてふと目を上げると、窓の外に無数の白い落下傘が開いているのが見えたりした。…それから野戦服を着て自動小銃を持った部隊がさっさっと家の前を走っていくこともあった。」とも書いており、場所探しの参考になりました。(現在は個人のお宅のため住所等は控えさせて頂きます)



習志野付近地図(現在は個人のお宅のため付近の地図のみです)





<鵠沼・旧宅跡> 2008年3月29日 旧宅の写真を追加
習志野の次に移り住んだ鵠沼海岸については、村上朝日堂シリーズの本にもほとんど書かれておりませんでした。まず「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」では、
「…そのころ僕は藤沢の鵠沼の借家に住んでいて、水丸さんのお嬢さんはまだ中学校にあがったばかりだった。……僕はその当時、毎朝家から江ノ島までジョギングしていたのだけれど…」

とあります。
「夢のサーフシティー」のホームページでは、
「…僕は一時期、藤沢の鵠沼に住んでいましたが、夏はむちゃくちゃ車が混む…」
、また、「こんにちは。僕は藤沢市鵠沼に一年間住んでいたことがあります。サーフボード抱えて海岸に通ってましたが、あまりうまくならなかったです。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は藤沢で書きました。」
とも書かれています。
今回新たに書いてある本を見つけました(04/09/05)。
『…「映画ビデオのカタログを一緒に作りませんか」と村上春樹さんに誘われたのは、昨年の十二月、藤沢にある『ツィゴイネルワイゼン』に出てきた藤田敏八の家のような趣のある、村上さんの家である。…』

と「映画をめぐる冒険」の中で川本三郎が書いています。これらから住所は藤沢市鵠沼橘××であろうと推測し、当時の地図で探したところ見つけることができました。最寄りの駅は江ノ電の石上駅になります。駅から道なりに550m位です。藤沢駅から歩いても、たいした距離ではなさそうです。

右上の写真の先を左に折れた右側に村上春樹の鵠沼での住まいがありました。大きな家だったようです。残念ながら”藤田敏八の家のような趣のある”当時の建物はもうありませんでした。(直接の写真や住所は控えさせていただきます)

<ホノルル食堂(鵠沼海岸)>
村上春樹は「村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団」のホームページなかで鵠沼海岸のホノルル食堂のことを書いています。「こんにちは。9月10日まで休むホノルル食堂はとても優雅ですね。海辺のホノルル食堂の「お刺身ご飯」は安くておいしいので、お勧めです。昼間からのんびりとビールも飲めます。グラスにはほんのりと魚の匂いもついています。なかなかハングルーズでいいところですよ。サーファーがここでよく昼御飯を食べています。家が遠くなったので、残念ながら最近は行っておりませんが。」。小さなお店で、気がつかないと通りすぎてしまいます。134号線沿いで周りにはデニーズやスカイラークがひしめいており、競争は大変だと思いますが、なかなかいいお店のようです。断念ながら私が行った時には開店していませんでした。今度いった時はぜひとも食べた〜い!。

左上の写真が「ホノルル食堂」です。村上春樹推薦ということで私のイメージしていた「ホノルル食堂」とはほど遠い感じで、最初は分からなくて大変でした。見た目もメニューも町の大衆食堂ですね(味は一流かな?)。

<藤沢駅の南口の鰻屋さん>
藤沢については村上春樹は村上朝日堂や「村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団」等では藤沢市のお店や映画館を紹介しています。「…藤沢駅の南口にある鰻屋さんはまだ元気にやっているでしょうか」、「…このあいだ藤沢に行って、ひさしぶりに南口のうなぎ屋さんでうなぎを食べました。おいしかった。…」等で、藤沢駅の南口の鰻屋さんは、OPA裏手の「はま吉」さんではないかと思います。駅前の交番で聞いたのですが、駅前のビルに入っている鰻屋以外ではここしか無いとのことです。

右上の写真が「はま吉」さんです。おばさんが頑張ってやっているお店です。

<久昇>2008年2月11日 「久昇」の写真を追加
「少年カフカ」にも藤沢のお店について書かれていました。「…僕は藤沢に住んでいるときは、よく南口の「久昇」に飲みに行ってましたよ。食べ物もおいしいですね。それから働いている人がみんな、老齢の領域にかなり足を踏み入れておられるご婦人ばかりで、楽しかったです。僕が通っていたのは15年くらい前のことなので、あのご婦人方は今ではさらにいっそう高齢の度合をアップされたのではないかと推測します。そのうちにまた行ってみたいです。…」。このお店はかなり有名で、地元では知らない人はいないそうです。

藤沢駅から江ノ電の右側線路沿いに少し歩いて、右斜めに入った右側直ぐにあります。

<みゆき座>2008年2月11日 「みゆき座」の写真を追加
やっと「みゆき座」跡の写真を撮影することが出来ました。初版から5年経っています。「富永太郎」の特集で一緒に撮影してきました。「…僕は藤沢市鵠沼に一年間住んでいたことがあります。サーフボード抱えて海岸に通ってましたが、あまりうまくならなかったです。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は藤沢で書きました。だからみゆき座にもよく行きました。あそこって冬になると石油ストーブで暖房していたんだよね。変な映画館でした。フンイキはありましたが。…」。多くの方からメールを頂きました。少し時間が経ちすぎましたが、ありがとうございました。

右の写真のマンションのところが「みゆき座」跡です。魚万会館というビルのB1に「みゆき座」がありました。藤沢駅から横浜方面に線路沿いに370m位歩いた右側です。現在の藤沢ガーデンハウスのところです。

 次回は大磯での村上春樹を紹介します。


藤沢・鵠沼付近地図





【お店の住所】

・ホノルル食堂:神奈川県藤沢市片瀬海岸3-24-25 0466-24-3223
・はま吉:神奈川県藤沢市南藤沢23-4-103三愛ビル1階 0466-26-2030

【参考文献】
・風の歌を聴け:村上春樹、講談社文庫
・1973年のピンボール:村上春樹、講談社文庫
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春樹、講談社文庫
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春樹、新潮文庫
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春樹、講談社文庫
・ノルウェイの森(上、下):村上春樹、講談社文庫
・さらば国分寺書店のオババ:椎名誠、新潮文庫
・村上朝日堂:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂の逆襲:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂 はいほー!:村上春樹、新潮文庫
・辺境・近境:村上春樹、新潮文庫
・夢のサーフシティー(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・スメルジャコフ対織田信長家臣団(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・村上春樹スタディーズ(01−05):栗坪良樹、拓植光彦、若草書房
・イエローページ 村上春樹:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探訪:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春樹の世界(東京偏1968−1997):ゼスト
・村上春樹を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春樹と日本の「記憶」:井上義夫、新潮社
・象が平原に還った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鳥の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと華麗な虚偽:久居つばき、マガジンハウス
・ユリイカ 総特集 村上春樹を読む:青土社
・B級BANANA:吉本ばなな、角川文庫


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