<釣瓶鮨 弥助> 2011年4月24日 鮎寿司を食してきました
「谷崎潤一郎の『吉野葛』を歩く (上)」で一度紹介していますが、今回は改版で詳細を紹介します。
「…「弥助」は有名な料理旅館だから御存知の方も多いと思う。ちょっと季節外れではあったけれど、僕は鮎料理が大好きだから、全品鮎料理なんていうお膳を見ると実に感動してしまう。鮎子も美味い。…」。
下市なので上市から吉野川を少し戻ります。このお店は竹田出雲の『義経千本桜 三段目』で、源氏に破れた平維盛をかくまう役どころとして登場していて有名です。1200年頃の話ですから、800年以上経っている計算になります。
釣瓶鮨弥助の由緒はパンフレットの内容を下記に掲載しておきます。
釣 瓶 鮨 屋 由 緒
大和吉野川の鮎を鮨となし、釣瓶形曲桶に漬けて釣瓶鮨をつくる。其の形釣瓶に似たるを以てその名あり遡る千余年前に始まる。文治年間三位中将維盛卿八島敗軍の後逃れて遂に熊野に潜行せらるゝの途次、父平重盛公の旧臣宅田弥左衛門の家に久しく潜匿せらるゝに際し名を弥助と改む。
世俗伝うる処の「院本義経千本桜」其の三段中託する処の釣瓶鮨屋弥左衛門は即ち宅田弥助の祖先なり。其の頃今の庭園を築き維盛塚、お里黒髪塚お里姿見の池等此の内に存在せり 爾来系統連綿相継ぎ釣瓶鮨商を業となし以て今日に達す。
慶長年間後水尾天皇の朝に当り仙洞御所へ鮎鮨献上せしむるの命あり それより「御上り鮨所御鮨屋弥助」と格式御許容相成り自今屋上に揚ぐる処の招牌は御所より賜ふ所なり。
四十九代店主 宅 田 弥 助
謹白
★上記写真が釣瓶鮨屋、現在の「釣瓶鮨 弥助」です。木造三階建ですから、戦前の建物です。裏山に庭園があり、
三階から渡り廊下で庭園を見学することができます。庭園には
平維盛塚、
お里黒髪塚等があります。訪ねた折は必ず見学されることをおすすめします。住所は奈良県吉野郡下市町下市で奈良市内からは車で1時間位でかなり遠いです。近鉄吉野線下市口駅から15分位ですので、歩いて行けます。義経千本桜では平維盛を守った”いがみの権太”と鎌倉の追っ手と戦った”小金吾”が登場しますが、それぞれの墓が近くにありますので写真を掲載しておきます。
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いがみの権太の墓(場所は下記の地図を参照して下さい)
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小金吾の墓(場所は下記の地図を参照して下さい。分り難いので
付近の写真を追加しておきます。畑屋簡易郵便局のななめ向い側とキャタピラーウエストジャパン吉野営業所(奈良県吉野郡大淀町桧垣本667-1)の南側が目印です)
釣瓶鮨屋:奈良県吉野郡下市町533(0747−52−0008)、電話番号が若い!!
★左上の写真がコース最後の鮎寿司です。コース料理しかありませんので、事前に予約されることをお勧めします。私は平日のお昼に伺いましたので、空いていました。昼のコース料理は5品のコースで3900円/一人(税別、飲み物別)した(4品のコースもあるようでした)。写真を撮りましたので順番に紹介します。
1.
付出し 2.
鮎の焼き物 3.
鮎の餡掛け 4.
旬菜の天麩羅 5.
鮎寿司(赤だし付)
鮎は天然物で、昨年の秋にとったものを出されているそうです。鮎の焼き物は香りかすばらしく(全く生臭さがない)、過去に食した鮎とは比べものにならないほど本当に美味しかったです。お酒があればもっと美味しかったとおもいます(私は車だったので飲めませんでした)。