●村上春樹の「奈良の味」を歩く
    初版2009年11月28日
    二版2011年 4月24日  <V01L02>  釣瓶鮨を食しました

今週は「村上春樹の『奈良の味』を歩く」を掲載します。昭和57年の「野間文芸新人賞」受賞時に、三ヶ月連続で「群像」にエッセイを書いています。その中の一つが「奈良の味」です。奈良のお店を三軒(一軒は宿坊ですが!)紹介していましたので、一通り回ってみました。


「群像」
<群像(昭和58年1月号)[講談社]>
 村上春樹は「群像(講談社)」で昭和54年に「群像新人文学賞」を、昭和57年に「野間文芸新人賞」を受賞しています。昭和57年に受賞した「第四回野間文芸新人賞」の発表は「群像」の昭和58年1月号です。この一月号の”季語暦語”に村上春樹は「奈良の味」という随筆(エッセイ)を書いています。受賞のお礼なのでしょう。今日はこのエッセイに従って歩いてみました。
「季語暦語  奈良の味  村上春樹
 毎年秋の終りから冬のはじめにかけて、静かなところにでかけて美味いものを食べることにしている、どうしてかというとこの時期が我々の結婚記念日にあたるからである。…」

 随筆(エッセイ)とは、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想や思索、思想を散文によってまとめたもので、気楽な漫筆・漫文のスタイルで書いているものを指しています(ウィキペディア(Wikipedia)参照)。初期の三部作の頃はよくエッセイを書いていましたが、この頃は殆ど見かけません。もう少し、原稿料も安くして、書いてはとおもいます。

写真は「群像」の昭和58年(1983)1月号です。「群像」の昭和58年1月号〜3月号に「季語暦語」としてエッセイを掲載しています。

「三嶋亭」
<三嶋亭>
 村上春樹は京都の食については決して良くは書いていません。このエッセイ(奈良の味)でも、厳しく書いています。
「…見ばえだけ立派で味に心がこもっていなくて、値段が高い。おまけに「東京の人に味なんかわかりますかいな」という態度がミエミエである。実に腹立たしい。地下鉄ができると街はみんな駄目になってしまう。最近では京都に行っても「三嶋亭」で肉を買って、錦小路で野菜を買って(えび芋がなくては冬が来ない)、それでおしまい。家に帰って自分で料理した方がよほど気がきいている。…」
 ただ、女性誌等で、京都特集のエッセイを書いたときは、上手に書いていました。上記に書かれている錦小路も有名ですね。錦小路の写真を掲載しておきます。

写真は寺町三条通りの角にある「三嶋亭」です。ホームページによると、長崎で牛鍋を学び、明治6年、京都寺町三条で「三嶋亭」を創業しています。創業130余年ということになります。写真は牛肉販売のお店の方で、いつも混んでいます。写真正面のやや左側にすき焼の料理屋入口があります。建物は昔のままのようです。私はまだ「三嶋亭」ではすき焼を食していませんので、更新を期待してください。

「矢田寺」
<矢田寺>
 奈良の矢田寺については、まったく知りませんでした。宿坊で有名なようですが、現在は「あじさい寺」として有名になっています。ですから5〜6月が見どころになります。
「…それに比べて奈良の料理は決して凝ったものではないのだけれど、そのぶん素朴で、不思議に心になじむところがある。田舎料理といえば田舎料理だけど、ここにはまだ生活の匂いのようなものがある。値段も安いし、観光客の数も京都ほど多くない。
 今回の収穫は矢田寺の宿坊と吉野の「弥助」の鮎料理と二階堂の「綿宋のうなぎ料理だった。
 矢田寺の宿坊は一泊二食三九〇〇円という安さだから、べつに立派な食事が出るわけではない。というか、はっきり言って粗末なものしか出てこない。野菜の煮ものと酢のものと精進あげぐらいのものだ。でもこれが本当においしかった。…」

 矢田寺は、矢田寺北僧坊、矢田寺大門坊、矢田寺念仏院、矢田寺南僧坊の4つの僧坊からを総称して矢田寺と呼ばれています。宿坊で宿泊料が違うようで、一泊二食5,500〜7,500円、精進料理は2,000〜2,500円のようです。私はまだ泊まっていませんので、此方も更新を期待してください。

写真は矢田寺(やたでら)、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗のお寺です。山号は矢田山、正式の寺号を金剛山寺(こんごうせんじ)です。山の中ですが、近くに矢田寺前というバス停留所があります。近鉄橿原線郡山駅から奈良交通バス矢田寺前行きで20分です。


村上春樹奈良地図 -1-



「綿宗」
<綿宗>
 奈良、二階堂にある鰻屋です。うなぎは関西風ですから、当然、”まむし”になります。江戸前のうなぎしか知らない方はビックリされるかもしれません。
「…「綿宗」は今にも消えてしまいそうな町なみの中にある今にも崩れ落ちそうな料理旅館だ。暗い台所をのぞくとおばあさんが一人でうなぎを裂いている。味はとてもいい。まだ口の中に残っている。…」
 上司小剣のページでも紹介しましたが、三田純市の「道頓堀 川/橋/芝居」の中で「まむし」を説明していますまで参考に掲載します。
「…鰻井のことを、大阪では<まむし>という。まむし、の語源は、まぶす──すなわち、混ぜ合わせることで、その意味では<まむし>の鰻は、本来、飯のなかへ姿をしずめていなければならない。器にまず半分ほど飯を入れ、そこへ鰻をのせた上から、もう一度飯をのせる。これが本来の、まむし、である。…… 東京の鰻と大阪の鰻の大きなちがいは、東京式はまず蒸して脂肪を抜いてから焼くが、大阪のはそのままこってりと焼く。これを大阪風とか地焼とか呼ぶが、それともうひとつのちがいは、東京のうなぎ屋が、あくまで鰻専門であるのに対して、大阪のは、料理のフルコースのなかの 一品として、焼物がありに鰻を出すことである。…」
 東京では白いご飯のうえに鰻をのせますが、関西の”まむし”はこはんの間にいれて上からたれを十分にかけます。ですから見た目はあまりよくありません。東京の鰻の方が上品に見えます。その上、”まむし”は蒸していませんからすこし固く感じます。年寄り向きではないようです。

「綿宗のまむし」
上の写真は奈良二階堂の「綿宗」です。お店の前を伊勢街道が通っています。国道24号線、郡山南インターの直ぐ側なのですが、街道といっても幅3m位で、車がすれ違えないくらいの細い路です。大阪から奈良を抜けて桜井から伊勢までの伊勢街道は、何本かあり、その中の一本だとおもいます。駐車場くありますの車でも大丈夫です。
綿宗:奈良県大和郡山市八条町45(0743−56−0007)

左の写真は「綿宗」のコース料理の最後に登場する”まむし”です。このお店は東京赤坂の「重箱」と同じく、コース料理しかありませんでした。お値段はコースで5千円以上だったとおもいます。私は昼食だったので食べきれないとおもい、蒲焼一品を抜いてオーダーしました。4千円+税だったとおもいます。”まむし”に慣れていないと、ごはんの色の濃さに少し苦労(ビックリ?)するかもしれませんが、なかなかのものです。コース料理の写真を順番に掲載しておきます。
 1.付出し
 2.まむしと赤だし
 全部食べるとおなかがいっぱいになります。特に最初に登場する鰻巻きが絶品でした。東京の前川で食した鰻巻きも美味しかったのですが、此方もなかなかのものでした。

「釣瓶鮨 弥助」
<釣瓶鮨 弥助>
 2011年4月24日 鮎寿司を食してきました
 「谷崎潤一郎の『吉野葛』を歩く (上)」で一度紹介していますが、今回は改版で詳細を紹介します。
「…「弥助」は有名な料理旅館だから御存知の方も多いと思う。ちょっと季節外れではあったけれど、僕は鮎料理が大好きだから、全品鮎料理なんていうお膳を見ると実に感動してしまう。鮎子も美味い。…」
 下市なので上市から吉野川を少し戻ります。このお店は竹田出雲の『義経千本桜 三段目』で、源氏に破れた平維盛をかくまう役どころとして登場していて有名です。1200年頃の話ですから、800年以上経っている計算になります。
 釣瓶鮨弥助の由緒はパンフレットの内容を下記に掲載しておきます。

      釣 瓶 鮨 屋 由 緒
 大和吉野川の鮎を鮨となし、釣瓶形曲桶に漬けて釣瓶鮨をつくる。其の形釣瓶に似たるを以てその名あり遡る千余年前に始まる。文治年間三位中将維盛卿八島敗軍の後逃れて遂に熊野に潜行せらるゝの途次、父平重盛公の旧臣宅田弥左衛門の家に久しく潜匿せらるゝに際し名を弥助と改む。
 世俗伝うる処の「院本義経千本桜」其の三段中託する処の釣瓶鮨屋弥左衛門は即ち宅田弥助の祖先なり。其の頃今の庭園を築き維盛塚、お里黒髪塚お里姿見の池等此の内に存在せり 爾来系統連綿相継ぎ釣瓶鮨商を業となし以て今日に達す。
 慶長年間後水尾天皇の朝に当り仙洞御所へ鮎鮨献上せしむるの命あり それより「御上り鮨所御鮨屋弥助」と格式御許容相成り自今屋上に揚ぐる処の招牌は御所より賜ふ所なり。
                                        四十九代店主 宅 田 弥 助
                                                             謹白


「鮎寿司」
上記写真が釣瓶鮨屋、現在の「釣瓶鮨 弥助」です。木造三階建ですから、戦前の建物です。裏山に庭園があり、三階から渡り廊下で庭園を見学することができます。庭園には平維盛塚お里黒髪塚等があります。訪ねた折は必ず見学されることをおすすめします。住所は奈良県吉野郡下市町下市で奈良市内からは車で1時間位でかなり遠いです。近鉄吉野線下市口駅から15分位ですので、歩いて行けます。義経千本桜では平維盛を守った”いがみの権太”と鎌倉の追っ手と戦った”小金吾”が登場しますが、それぞれの墓が近くにありますので写真を掲載しておきます。
 ・いがみの権太の墓(場所は下記の地図を参照して下さい)
 ・小金吾の墓(場所は下記の地図を参照して下さい。分り難いので付近の写真を追加しておきます。畑屋簡易郵便局のななめ向い側とキャタピラーウエストジャパン吉野営業所(奈良県吉野郡大淀町桧垣本667-1)の南側が目印です)
釣瓶鮨屋:奈良県吉野郡下市町533(0747−52−0008)、電話番号が若い!!

左上の写真がコース最後の鮎寿司です。コース料理しかありませんので、事前に予約されることをお勧めします。私は平日のお昼に伺いましたので、空いていました。昼のコース料理は5品のコースで3900円/一人(税別、飲み物別)した(4品のコースもあるようでした)。写真を撮りましたので順番に紹介します。
 1.付出し
 2.鮎の焼き物
 3.鮎の餡掛け
 4.旬菜の天麩羅
 5.鮎寿司(赤だし付)
 鮎は天然物で、昨年の秋にとったものを出されているそうです。鮎の焼き物は香りかすばらしく(全く生臭さがない)、過去に食した鮎とは比べものにならないほど本当に美味しかったです。お酒があればもっと美味しかったとおもいます(私は車だったので飲めませんでした)。


村上春樹奈良地図 -2-