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最終更新日:2006年2月22日

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●《村上春樹の世界》国分寺を歩く
  初版2002年5月4日
  二版2005年9月5日 国分寺での住居とお好み焼き屋「まねき」を追加  
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 今回以降、村上春樹の故郷 神戸から学生時代以後を過ごした東京に戻りたいと思います。今週は特に村上春樹が初めてジャズ喫茶(ジャズ・バーと呼ぶ方が正しい?)「ピーター・キャット」を開いた国分寺を歩いてみたいと思います。

 イアン・ブルマの「日本探訪」のなかで、国分寺に初めて開いたジャズ喫茶「ピーター・キャット」のことについて書かれています。「……彼らはあてどもなく自分たちの場所を作り上げようともがく。村上が陽子と一緒にジャズバーに隠棲することになったのもそれに似ている。写真家の松村映三は村上とは長い付き合いがあるが、いまだに村上の ことが分からないと言う。松村は私に、ピーターキャットは「時間が静止していた所だ」と評してくれた。そこは窓のない地下室である。昼の問は喫茶店で、夜になるとアルコールが出る。その薄暗がりの中で村上はジャズのレコードをかけ、飲み物を作り、皿を洗った。そして、アメリカの小説を読んだ。おしゃべりは陽子が受け持った。このバーであの年月を過ごさなかったら、小説家にはなれなかったろうと村上は確信している。…」、私は残念ながら一度も「ピーター・キャット」を訪ねたことが無いので「その薄暗がりの中の…」とかの雰囲気が分かりませんが、ジャズ喫茶は嫌というほど行っていましたので、なんとはなく その言い表せない雰囲気は分かります。ちなみにお店の名前は飼っていた猫の名前に因んでいますが、三鷹時代に買っていた猫が「ピーター」、国分寺時代は「ミューズ」です。

左上の写真が国分寺時代の「ビーター・キャット」のマッチです。宇都宮のピーター ファン様より提供して頂きました。ありがとうございました。

haruki-kokubunji11w.jpg国分寺駅>
 国分寺は新宿からJR中央線中央特快で28分程の時間がかかります。都心からはすこし遠い感じなのですが、国分寺の周りには国立の一橋大学や東京学芸大学等があり、学生の街という雰囲気があります。村上春樹は国分寺で店を開いた理由を「村上朝日堂」のなかで、「…いつまでも居候をしているわけにもいかないので、女房の実家を出て、国分寺に引越した。どうして国分寺かというと、そこでジャズ喫茶を開こうと決心したからである。はじめは就職してもいいな、という感じでコネのあるテレビ局なんかを幾つかまわったのだけど、仕事の内容があまりに馬鹿馬鹿しいのでやめた。そんなことやるくらいなら小さな店でもいいから自分一人できちんとした仕事をしたかった。自分の手で材料を選んで、自分の手でものを作って、自分の手でそれを客に提供できる仕事のことだ。でも結局僕にできることといえばジャズ喫茶くらいのものだった。とにかくジャズが好きだったし、ジャズに少しでもかかわる仕事をやりたかった。…」と書いています。

左上の写真が国分寺駅南口です。村上春樹がジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開いていたときとは様変わりをしています。写真正面の駅ビルが新しく建ち、駅前の様子も一変しています。

和  暦

西暦

年    表

年齢

村上春樹、国分寺を歩く

昭和48年
1973
パリ和平協定
ウォーターゲート事件
24
国分寺に転居
昭和49年
1974
三菱重工ビル爆破事件
ハーグ事件
25
春 ジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店
昭和50年
1975
サイゴン陥落
26
3月 早稲田大学第一文学部演劇科卒業(7年かかる)
昭和52年
1977
田中絹代死去
28
ジャズ喫茶「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移転

haruki-kokubunji12w.jpg国分寺書店>
 国分寺の駅から一番近くて有名なお店が国分寺書店ではなかったのかなと思います。椎名誠の「さらば国分寺書店のオババ」で書かれているので結構有名なのですが、残念ながらもうありません。古本屋から陶器の専門店になり、今は惣菜屋になっています。村上春樹の「村上朝日堂 スメルジャコフ」のなかにも書かれています。「…もう20年以上前の話です。国分寺もずいぶん変わってしまいました。このあいだ行ったら、なにがなんだかわからなかったです。有名な「国分寺書店」もなくなっちゃってましたしね。…」 、また「村上朝日堂 夢のサーフシティー」のなかでも「…椎名誠さんの本で有名な「国分寺書店」がありました。なかなか良い古本屋さんだったのですが、今はもうありません。おばばはそんなに怖くなかったですよ。…」と書いています。椎名誠の「さらば国分寺書店のオババ」を読んでいないとよく分からないフレーズですが地元の人にはかなり有名だったのですね。「村上朝日堂の逆襲」では「…買い物のついでに「国分寺書店」に寄って本を売ったり、安い古本を買ったりした。それから家にかえって簡単に昼食をとり、アイロンをかけ、ざっと掃除をし(僕は掃除が苦手なのであまり丁寧にはやらない)、夕方まで縁側に座って猫と遊んだり本を読んだりしてのんびりと過ごす。なにしろ暇なものだから、僕はこの時期だけで、「講談社・少年少女世界名作全集」を読破したし、『細雪』なんて三回も読んだ。…」、「細雪」を三回も読むなんですごい(やっぱり芦屋出身だからかな!)!。

左上の写真が「国分寺書店」の跡です。表通りから裏通りまで貫通したビルで、上記にも書いていますが表通り側は、いまでは惣菜屋になっています。


haruki-kokubunji14w.jpgほんやら洞>
 村上春樹は国分寺を「村上朝日堂 夢のサーフシティー」のホーラムの中で紹介しています。「僕が昔やっていた国分寺の店は、南口の殿ガ谷公園(当時はまだなかった)のすぐ近くにありました。一階に旅行代理店があるビルの地下です。今どうなっているのか、僕は知りません。……近所の「グルマン」のカレーはなかなかおいしかったですよ。」…、…「国分寺というと、「ぐるまん」のカレーが好きでした。「寺珈屋」という喫茶店があって、カメラのエイゾー(梅竹下ランナーズ・クラブ副会長)もそこの常連でした。「まねき」という奇妙なお好み焼き屋があって、「ピッコロ」が泉町の坂のところにあった。なつかしいですね。」とあります。殿ガ谷公園とは正確には殿ケ谷戸庭園で、旧満鉄総裁の別邸で、昭和4年に三菱財閥の岩崎氏の所有となり東京都が昭和49年に購入しています。「グルマン」のカレーのお店は残念ながらもうありません。同じ場所にマンションが建ち一階にローソンが入っていました。「寺珈屋」は「ピーター・キャット」と同じビルの一階のお店だったようです。

右上の写真は「ピーター・キャット」のあったビルの斜め前にある「ほんやら洞」というお店です。お店の中は演劇文学などアングラ系のカフェと見えました。お店のお嬢さん?にこのお店の周りのことをいろいろ教えてもらいました、ありがとうございました(昔のことをよく知っておられました)。

まねき、ピッコロ> 2005年9月5日 お好み焼き屋「まねき」を追加
  宇都宮のピーター ファン様より教えて頂いた泉町の坂の下の「ピッコロ」と「まねき」という奇妙なお好み焼き屋ついて場所が分かりました。泉町の坂を下った、野川手前右側に「まねき」が、その先の交差点手前左側に「ピッコロ」がありました。残念ながら現在は両者とも建物自体も無くなっていました。道路の拡張で建物を建てるスペースが無くなってしまったようです。

写真の右側、茶色のビルの所が「まねき」跡です。「まねき」の手前が「鳥しげ」、「清水商店」と続いていたのですが、全て無くなっていました。この次の信号左側手前に「ピッコロ」がありました。道路の拡張で無くなってしまったようです。ここの道路に沿って手前に向かうと国分寺駅方面です。

haruki-kokubunji14w.jpg村上春樹の住居> 2005年9月5日 国分寺での住居を追加
 村上春樹の国分寺での住いにつては何処かの本に書かれていたと記憶していたのですが、歳のせいか、なかなか思い出せませんでした。先日 、Iさんよりメールを頂き思い出しました。「我々はその土地を「三角地帯」と呼んでいた。それ以外にどう呼べばいいのか僕には見当もつかなかった。だってそれはまったくの、絵に描いたような三角形の土地だったのだ。僕と彼女はそんな土地の上に住んでいた。一九七三年だか四年だかの話だ。…」、は「カンガルー日和」の「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」の書き出しです。「…「三角地帯」の両脇には二種類の鉄道線路が走っていた。ひとつは国鉄線で、もうひとつは私鉄線である。その二つの鉄道線はしばらく併走してから、このくさびの先端を分岐点として、まるでひき裂かれるように不自然な角度で北と南に分かれるのだ。……しかし住み心地・居住性という観点から見れば「三角地帯」は実に無茶苦茶な代物だった。まず騒音がひどかった。それはそうだ。なにしろ二本の鉄道線路にぴったりとはさみこまれているわけだから、うるさくないわけがない。玄関の戸を開けると目の前を電車が走っているし、裏側の窓を開けるとそれはそれでまた別の電車が目の前を走っている。目の前という表現は決して誇張ではない。じつさい乗客と目が合って会釈できるくらい間近に電車は走っていたのだ。今思い出してもたいしたものだという気がする。…」。大変な所に住んでたようです。このエッセイの中でも書いていますが、若さゆえに住めたのだと!!

 国分寺に転居した時期についてハッキリしませんが、「結婚して二年目くらいのことだったと思うけれど、僕は半年くらい「主夫=ハウスハズバンド」をやっていたことがある。そのときはなんということもなくごく普通に毎日を送っていたのだが、今になってみるとあの半年は僕の人生の最良の一ページであったような気がする。…」、と国分寺時代のことを書いていますので、ピーター・キャットができる昭和47年の前年の昭和46年には国分寺に転居していたとおもわれます。開店の工事には半年もかかりませんので、先に移り住んでから、ジャズ喫茶を開店する場所を探したのではないかとおもいます。

右上の写真の青く塗られた家(当時は青く無かった?)ではないかと推定しています。「…僕と彼女は「三角地帯」の先端にぽつんと建っている家の中に入り、一時間ばかりそこでぼんやりしていた。そのあいだにずいぶんたくさんの電車が家の両側を通り過ぎていった…」、と書かれていますので、三角形の突端となるとこの青い家なのです。三角形の突端とわかる写真も掲載しておきます。

haruki-kokubunji16w.jpgピーター・キャット>
 村上春樹は「村上朝日堂」のなかで「ピーター・キャット」を作った時の様子を「…資金のことを言うと、僕と女房と二人でアルバイトをして貯めた金が二百五十万、あとの二百五十万は両方の親から借りた。昭和四十九年のことである。その当時の国分寺では五百万あればわりに良い場所で二十坪くらいの広さの、結構感じの良い店を作ることができた。五百万というのは殆ど資本のない人間でも無理すれば集められない額の金ではなかった。つまり金はないけれど就職もしたくないなという人間にも、アイデア次第でなんとか自分で商売を始めることができる時代だったのだ。国分寺の僕の店のまわりにもそういった人たちのやっている楽しい店がいっぱいあった。…」と書いています。昭和50年代ですから250万円というと結構いい車(クラウン?)が買える金額だと思います。いまクラウンが500万円くらいですから、一千万円でお店が作れるかというと少し無理みたいですね。それと二人で250万円バイトで稼いだと書いていますが、こちらの方がすごいですね、一日働いて数千円のころですから、これだけ稼ぐのは大変です。

左上の写真が村上春樹が開いたジャズ喫茶「ピーター・キャット」があったビルです。お店は地下でビルの右側から地下に入る階段がありそこからお店に入れたと思います。現在はレンタルルームになっています。

haruki-kunitachi11w.jpg国立紀ノ國屋>
 村上春樹が国分寺時代によく通ったスーパーが国立の紀ノ國屋です。「村上朝日堂 スメルジャコフ」では「…僕は国分寺に住んでいたときに、よく国立の紀ノ国屋に買い物に行きましたが、……昔は国立紀ノ国屋のレジはなぜかとても美人の店員が多くて、それも売りのひとつでした。この前行ってみたら、今はなんか・・・あー、まずいなこんなこと言うと。つまり、今でもじゅうぶん綺麗な方が多かったです。…」と高級スーパーに行ける余裕がある表現をしています。「村上朝日堂はいかに鍛えられたか」のなかに「…結婚して商売を始めたばかりのころ、僕は借金を抱えて四苦八苦していた。あるとき、翌日の午後三時までに銀行にある額の金を返済しなくてはならないのに、どうしても三万円が足りないという羽目に陥った。……風もない、しんと静かな夜だった。そうしたら、家に向かう道に紙片がばらばらと何枚か落ちているのが目についた。近寄って見るとそれは一万円札だった。それもちょうど三枚あった。ついさっき、空からそこにはらはらと舞い降りてきたばかりという感じだった。あたりを見回したが、誰もいない。人通りのない真夜中である。僕らは自分の目が信じられなかった。金額までぴたりとあっている。そんなにうまい話が世の中にはあるのか? でも本当にあったんだからしょうがない。ユングならそれを「シンクロニシティー」とでも呼ぶところだが、当時はそんな立派な言葉があることすら知らなかった。その三万円を拾ったとき、夫婦で手を取り合って泣いた……」とあります。「村上朝日堂はいかに鍛えられたか」を読んでいると国分寺のころは大変だったのだなと思っていたのですか、一駅離れた国立の紀ノ國屋に行ける余裕とのギャップがあります。国立の紀ノ國屋は青山にある紀ノ國屋と同じお店で、私も世田谷の紀ノ國屋にいきますがかなり高級です。少し経ってお店が順調になりだしてからのことかなとも思いますが、どうなんでしょうか。
 
右上の写真が国立駅前の紀ノ國屋です。世田谷の紀ノ國屋ではいつもベンツやBMWに乗った方が買い物にきています。いい素材の食料品をそれなりのお値段で提供してるお店です。ついでに国立のお店を一軒紹介します。「国立「キャンディー・ポット」は、僕が国分寺で店をやっているときに常連で通っていた「吉田くん」がやっている店です。吉田くんはそのころ僕が拾ってきた野良猫までひきとってくれました。親切な人です。また行ってあげてください。」と村上春樹は書いています。国立駅近くにこの「キャンディー・ポット」はあります。

 


国分寺駅付近地図
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国立駅付近地図
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【お店の住所】

・キャンディー・ポット:国立市東1-15-24 国立サニービル2F 042-576-9988

【参考文献】
・風の歌を聴け:村上春樹、講談社文庫
・1973年のピンボール:村上春樹、講談社文庫
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春樹、講談社文庫
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春樹、新潮文庫
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春樹、講談社文庫
・ノルウェイの森(上、下):村上春樹、講談社文庫
・さらば国分寺書店のオババ:椎名誠、新潮文庫
・村上朝日堂:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂の逆襲:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂 はいほー!:村上春樹、新潮文庫
・辺境・近境:村上春樹、新潮文庫
・夢のサーフシティー(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・スメルジャコフ対織田信長家臣団(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・村上春樹スタディーズ(01−05):栗坪良樹、拓植光彦、若草書房
・イエローページ 村上春樹:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探訪:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春樹の世界(東京偏1968−1997):ゼスト
・村上春樹を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春樹と日本の「記憶」:井上義夫、新潮社
・象が平原に還った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鳥の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと華麗な虚偽:久居つばき、マガジンハウス
・ユリイカ 総特集 村上春樹を読む:青土社
・B級BANANA:吉本ばなな、角川文庫
 

 
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