●ジャズ喫茶のマスター的生活とは!
    初版2010年4月17日  <V01L03> 

 今週は「村上春樹のジャズを歩く」から「ジャズ喫茶のマスター的生活とは!」を掲載します。「堀辰雄を歩く」を継続して掲載する予定なのですが、少しお休みさせて貰いましたので、息抜きということで、村上春樹の「ジャズ喫茶のマスター的生活とは!」を掲載します。新潮文庫の「夜のくもざる」の中から、”ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告”と”激しい雨が降ろうとしている”を参考にしました。


「Portrait in Jazz」
<「夜のくもざる」 新潮文庫>
 村上春樹の「夜のくもざる」は自身があとがきに書いていますが、「パート1」が、Jプレスの広告として『MEN'S CLUB』他(1985年4月〜1987年2月)に掲載されたもの、「パート2」は、パーカー万年筆の広告として 『太陽』(1993年4月〜1995年3月)に掲載されたものです。今回は「パート2」の中から、”ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告”と”激しい雨が降ろうとしている”の二編を参考にしながら歩いてみました。まず最初は”ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告”です。
「 最初から水を差すようですが、ここは老若男女を問わず誰でもお気軽にお越しくださいという種類の店ではありません。とくに夏にはいささかの問題があります。…」
 これは国分寺のジャズ喫茶「ピーター・キャット」のお話です。上記の”いささかの問題”については本文を読んで頂ければとおもいます。「パート2」の、”ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告”と”激しい雨が降ろうとしている”の二編は、平成5年(1993)ですから、「羊をめぐる冒険」で第4回野間文芸新人奨励賞を受賞した翌年になります。千葉に住んでいた頃だとおもいます。

左上の写真は新潮文庫の「夜のくもざる」です。村上春樹と安西水丸の共著です。

「ピーター・キャット跡」
<近年のピーター・キャット跡>
 国分寺を訪ねる機会がありましたので、ピーター・キャット跡のビルの写真を撮影してきました。最初に訪ねた2002年頃と変わっていませんでした。村上春樹自身が経営していたお店です(国分寺にあったのは昭和49年〜昭和52年までで、その後、千駄ヶ谷に移転します)。この辺りのお話は、「国分寺を歩く」を参照して下さい。
「…この店では音楽がかかっています。もしあなたがジャズ・ファンでなかったら、この音量はかなり不快なものになるでしょう。しかし逆にあなたがもし熱烈なジャズ・ファンであるなら、この音量は物足りないことでしょう。…」
 ジャズ喫茶は何処を訪ねても同じパターンですが、ピーター・キャットは少し違ったようです。私はピーター・キャットを訪ねたことが無いので何ともいえませんが、多分聞きやすいジャズを中心に適度な音量で流していたのではないでしょうか。ターゲットの客層を、コーヒー一杯で2〜3時間粘るジャズマニア?ではなく、友人たちとの会話を楽しみ、ジャズをバックグランドで聞くような顧客単金の高い客層を狙っていたのだとおもいます。そうしないとジャズ喫茶の経営は成り立たないとおもいます。

写真正面の茶色のビルの地下にピーター・キャットがありました。場所は下記の地図を参照して下さい。

「'ROUND MIDNIGHT」
<クロード・ウィリアムソン>
 ここからはピーター・キャットでかけられていたレコードのお話になります。ピーター・キャットが国分寺で営業していた昭和50年(1975)前後は全てLPの時代でした。今からは考えられませんね! 日本でCDが発売されたのは昭和57年(1982)(欧米は1983年)ですから28年前になります。最初のころのCDは価格が高くて、なかなか手が出なかった記憶があります。歳がばれますね!
「…ジョン・コルトレーンのレコードもあまり置いていません。そのかわりスタン・ゲッツのレコードなら沢山あります。キース・ジャレットのレコードはありませんが、クロード・ウィリアムソンのレコードは揃っています。…」
 だんだん昔のことをおもい出してきました。私はキース・ジャレットをよく聞いていた記憶がありあす。LPを探してみたら、4〜5枚残っていました。ここ十年、一度も聞いた記憶がありません。その当時は先鋭的だったのだとおもいます。今聞くと、少し疲れます。ピーター・キャットは客層に合わせて、スタン・ゲッツやクロード・ウィリアムソンのレコードを置いていたのだとおもいます。先鋭的なジャズファンはジャズ喫茶の経営には不要なのかもしれません。

左上の写真はクロード・ウィリアムソンの「'ROUND MIDNIGHT」です(国内版)です。有名なLPです。私のオーディオ環境ではJBLとMcIntoshで聞いています。

「Billy Taylor at the  London House」
<ロンドン・ハウスのビリー・テイラー>
 村上春樹の本にはレコードの名前が度々登場します。下記に書かれているビリー・テイラーの「at the London House」はCD版は持っていたのですが、LPは不明でしたのでLPをすこし探してみたら、見つけることができました。よく持っていたなとおもいました。
「…でもとにかく今は午後の二時半で、『ロンドン・ハウスのビリー・テイラー』がかかっています。まあそりゃ、たいした演奏じゃありません。でも店主はこのレコードがわりに好きなのです。…」
 久しぶりにビリー・テイラーの、「at the London house」を聞きました。LPでのピアノ演奏は相変わらずいいですね、アナログの良さとおもうのですが、CDを聞きなれているとなおさらよく聞こえました。ただ、午後二時に聞くには”少し疲れる”というのが実感です。水割り等を飲みながら、22時過ぎ頃から聞くとちょうど良い頃ではないでしょうか!!

左の写真がビリー・テイラーの、「at the London house」です。国内版LPです。CDの方はジャケットが変わっています。


村上春樹の国分寺地図


村上春樹年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 村上春樹の足跡
昭和39年 1964 東京オリンピョク 15 4月 兵庫県立神戸高校入学
昭和43年 1968 エンタープライズ寄港阻止衝突
パリ5月革命
19 4月 一浪して早稲田大学第一文学部演劇科入学
昭和44年 1969 東大安田講堂封鎖解除 20 春、三鷹のアパートに転居
昭和45年 1970 三島由紀夫割腹自殺
よど号事件
21 アルバイトに精を出す
昭和46年 1971 ニクソンショック 22 陽子夫人と学生結婚
10月 文京区千石の夫人の実家に転居
昭和49年 1974 長島茂雄引退 25 ジャズ喫茶「ビーター・キャット」を国分寺に開店
昭和52年 1977 巨人優勝 28 ジャズ喫茶「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移転
昭和53年 1978 ヤクルト優勝 29 4月 神宮球場で「僕は小説を書けると悟った」
11月 第22回群像新人文学賞に応募
昭和54年 1979 イラン革命
NECがパソコンPC8001を発表
30 4月 第22回群像新人文学賞(発表)
5月 「風の歌を聴け」 (『群像』6月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和55年 1980 光州事件
山口百恵引退
31 2月 「1973年のピンボール」 (『群像』3月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和56年 1981 チャールズ皇太子とダイアナが婚約
向田邦子航空機事故で死去
横溝正史死去
32 千葉県船橋市に転居
12月 「風の歌を聴け」が映画化
ホットドッグ・プレス
昭和57年 1982 フォークランド紛争 33 「jazzLife」6月号臨時増刊
「羊をめぐる冒険」 (『群像』8月号)
11月 野間文芸新人賞(発表)(『群像』1983/1月号)



「サンジェルマン」
<サンジェルマン>
国分寺のピーター・キャット時代については、”激しい雨が降ろうとしている”にも書かれていました。村上春樹のエッセイはいつ読んでも面白いですね。時代を超えて楽しめます。今回は国分寺の一つ新宿寄りの武蔵小金井駅での出来事です。
「…そのころ僕は国分寺に住んでいて、ある日電車に乗って武蔵小金井駅前のサンジェルマンにパンを買いに行った。どうして国分寺になんか住むことになったのか、そしてどうして武蔵小金井までわざわざ電車に乗ってパンを買いになんか行ったのか(といってもまあたった一駅なのだけれど)という説明をすると、話はすごく長くなるので、しない。…」
 どういう訳でパンを買いにわざわざ電車に乗っていったのでしょうか? お店で使うパンだったのかもしれません。「村上朝日堂 スメルジャコフ」では国立の紀伊國屋に買い物に行っています。こだわりがあるのでしょうが、凄いこだわりです。

写真は武蔵小金井駅北側の武蔵小金井東急ストア1階にあるサンジェルマン小金井店です。駅の南側にもサンジェルマンのボーンアンドブレッド 武蔵小金井店があります。昔からのお店は北側のサンジェルマン小金井店です。村上春樹が買い物をしたのはこのお店だとおもいます。

「バナナ・リパブリックのTシャツ」
<バナナ・リパブリックのTシャツ>
 着る物の話になると全く弱いのですが、少しフォローアップしてみました。私自身については着ているブランドは決まっていて、いつも同じブランドを身につけています。高名なブランドではありません。ただ、私にも思いがあって、上下は別のブランドにしています。村上春樹の本には、ファッション関連のブランドも書かれていますので、こちらも楽しみです。
「…バナナ・リパブリックのTシャツについて一章、ボブ・ディランについてまた一章……という具合に。そんな本を誰かが読みたがるとは僕にはとても思えないけれど。
 だからとくに説明はしないことにする。ただでさえ短い原稿なのだ。だから僕が
国分寺から一人で電車に乗って、武蔵小金井までパンを買いに行く姿をただ想像していただきたい。僕はまだ二十代で、髪はもっと長い。…」

 バナナ・リパブリックのTシャツについて、うんちくを語ろうとおもったのですが、余りにも無知なので今回はパスすることにしました。

写真はバナナ・リパブリックのTシャツです。価格はそれなりですね。決して安くはありません。もう少し分かるようになったら、更新したいとおもいます。

「ボブ・ディラン・グレーテスト・ビッツvol.2」
<ボブ・ディラン・グレーテスト・ビッツvol.2>
 また、レコードの話に戻ります。今回はボブ・ディランです。下記に書かれている「ボブ・ディラン・グレーテスト・ビッツvol.2」は昭和46年(1971)発売ですから当然LPとなります。残念ながら私はLPを持っておりませんのでCDのジャケット写真を掲載しています。ボブ・ディランに関しては、昭和40年(1965)のニューポート以前は全て持っていますが、以降はパラパラと持っているだけです。好きなシンガーソングライターの一人ではありますが!!
「…たとえば今現在、僕はボストンの家の自分の部屋で、バナナ・リパブリックのTシャツを着て、大きなマグでコーヒーを飲み、このあいだタワー・レコードで買ってきた『ボブ・ディラン・グレーテスト・ビッツvol.2』のCDを聴きながら、この原稿を書いているわけだが…」
 1994年前後ですから、タワー・レコード全盛の頃ですね。私もニューヨークのタイムズ・スクウェアにあったタワー・レコードでビートルズのCDを買った記憶があります。(NYのTimes SquareでCDを買うのが夢だった頃もあったような記憶が!!)

写真は「ボブ・ディラン・グレーテスト・ビッツvol.2」、CD版です。

「現在のバックドロップ」
<バックドロップ>
 最後はまたファッションに戻ります。今回はスタジアム・ジャンパーです。私はスタジアム・ジャンパーは全く身につけたことがありませんので、こちらも余り語れません。
「…渋谷のバックドロップという店 ── まだあるのかしらん ── で買った派手なスタジアム・ジャンパーを着ている (今でも持っている)。小説なんかまだ書いていない。…」
 上記に書かれている”渋谷のバックドロップ”については少し調べてみました。現在もお店は健在です。ただ、過去にお店の場所を何回か変えているようです。ひょっとすると経営者が変わっているのかもしれません。

写真は現在のバックドロップの入り口です。写真のビルの二階になります。昔に比べてお店が小さくなっているかもしれません。

さらに更新する予定です。