●村上春樹のジャズを歩く  ポートレイト編
    初版2009年9月5日  <V01L03>
    二版2020年3月27日 YouTube版「村上春樹の世界」 No.15 神戸を歩く 其の四 神戸元町の日本楽器 <V01L01>
    三版2020年6月3日 YouTube版「村上春樹の世界」 No.19 "5 by Monk by 5"を買ったマルミ・レコード <V01L01>

 2020年3月27日(YouTube版 村上春樹の世界 No.15 神戸を歩く 其の四 神戸元町の日本楽器)
《村上春樹の世界》をYouTube化しましたので見て頂ければとおもいます。
今回は、「No.15 神戸を歩く 其の四 ガールフレンドと一緒に神戸元町にある日本楽器に立ち寄って買ったLP」です。

 2020年6月3日(YouTube版 村上春樹の世界 No.19 "5 by Monk by 5"を買ったマルミ・レコード店)
《村上春樹の世界》をYouTube化しましたので見て頂ければとおもいます。
今回は、「No.19 村上春樹が新宿で"5 by Monk by 5"を買ったマルミ・レコード店を探す」です。

今週は「村上春樹のジャズを歩く」を掲載します。”blue note” の安いCDが発売されたので、少し買ったのですが、以前から気になっていた「ポートレイト・イン・ジャズ」を読み直してみました。初心者がジャズのレコードやCDを買うには非常に参考になります。 気になったところを少し歩いてみました。


「Portrait in Jazz」
<Portrait in Jazz(ポートレイト・イン・ジャズ)>
 和田誠がジャズマンの絵を描いて、村上春樹が文章を付けた、ジャズ初心者向けの本だとおもいます。平成9年と平成13年に「ポートレイト・イン・ジャズ」、「ポートレイト・イン・ジャズ2」として発行されたものを、文庫本で一冊にしています。私みたいな初心者には面白く読むことができました。「ポートレイト・イン・ジャズ2」の”まえがき”です。
「本書はタイトルからもおわかりのように、やはり和田誠さんと僕がコンビを組んで以前に出した『ポートレイト・イン・ジャズ』 の続篇である。体裁もやり方も前回とまったく同じだ。和田さんがまずジャズ・ミュージシャンをピックアップして絵を描き、僕がそれに文章をつけた。
 こういう仕事をするのは、正直なところ、僕にとってはぜんぜん苦にならない。たとえば 「さあ、今日はクリフォード・ブラウンのことを書こうか」と思って、久しぶりに何枚かのブラウニーのアルバムを棚から引っぼり出してターンテーブルに載せ (そう、もちろんLPです)、いつもの椅子に身を沈めて、しばし音楽に耳を澄ませ、そのときに頭に浮かんだことを、今度は机に向かって、しかるべき長さの文章にまとめる。僕の書斎はリスニング・ルームも兼ねているので、こういうときはとても便利だ。…」

 平成9年でLPを聞いて書いているのですから相当のものです。村上春樹自身はレコード収集家と書かれていますから、数千枚のレコード棚から取り出せばいいのですが、われわれは良くてCD、レコードに関しては殆ど持っておりません。この本に掲載されているレコードくらいは(せめてCDくらいは)収集していないとだめですね。

左上の写真は新潮文庫の「Portrait in Jazz(ポートレイト・イン・ジャズ)」です。和田誠と村上春樹の共著です。何回読み直しても面白い本です。雑学のネタ本としては最高です。

「マルミ・レコード跡」
<マルミ・レコード(マルミ・ミュージック)>
 まず、雑学のネタとして、面白いところを歩いてみます。1950年から1960年代にかけて新宿で有名だった輸入レコード屋です。「ポートレイト・イン・ジャズ」のセロニアス・モンクのページからです。
「…僕がこの"5 by Monk by 5"、というシンメトリックなタイトルのLPを買ったのは、新宿の花園神社近くの<マルミ・レコード店>だ。輸入盤で、当時の僕の懐具合からするとかなり高かった。僕がレッド・ガーランドのプレスティツジ盤を買おうとしたら、店主に 「若いのに、そんなつまらんもの買うことない。これを買ってじっくり聴きなさい」と説教されて、ほとんど無理矢理に買わされた。まったく変なおやじだった。…」
 このレコード屋については、亡くなられた植草甚一氏が書かれていて有名ですが、俳優の藤岡琢也さんがエッセイで、新宿伊勢丹脇にあったレコード店「マルミ」に走りました。」、とも書いておられます。さまざまな方がこのお店でジャズの輸入レコードを買われたようです。

写真の左が花園神社です。明治通りの池袋方面を撮影しています。当時はこの先に歩道橋があったのですが、現在は撤去されています。マルミ・レコードは、もう少し先の左に曲がる小道の先、明治通り沿いです。当時のスイングジャーナル誌の広告を見ると、”三光町32番地、犬屋の隣”と掲載されています。この犬屋を探しました。どうやら「日本ドッグセンター(昭和50年代には名前が変わっています)」のようです。向こう隣は若松庵という蕎麦屋です。職安通りから説明した方が早そうです。中平穂積氏のインタビューのなかで「…三越の前にマルミレコードと言うレコード屋さんがあったんです。…」、と言われています。俳優の藤岡琢也さんや中平穂積氏のお話をまとめると、マルミレコードは、伊勢丹横、三越の前のマルミ百貨店の中にレコード部があったようです。このマルミ百貨店の息子(当時です)がピットインを始めています(マルミ百貨店の中にピットインを作った)。花園神社先のマルミ・レコードとマルミ百貨店レコード部との関係がよく分かりません。

「5 by MONK BY 5(CD表紙)」
<5 by MONK by 5 >
 村上春樹がマルミ・レコードの親爺に無理やり薦められたレコードです。私はどういうわけか、このCDを持っておりました。以前にかなり高額で購入していたのですが、現在は+2で1,100円となっています。CDはどんどん安くなりますね。
「…でもたしかに言われたとおりだった。このLPはずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた。そして若い人間の特権として、僕はその滋養を余すところなく、細胞の奥にまで吸い取った。そのころには街を歩いていても、僕の頭の中をモンクの音像がぐるぐるとまわっていた。でも、誰かにモンクの音楽のすばらしさを伝えたいと思っても、言葉で適切にあらわすことができなかった。…」
 私は蘊蓄を述べるほどでもありませんので、村上春樹に任せたいとおもいます。ただ、良い音楽からは我々はエネルギーを貰っています。

左上の写真は輸入盤の”5 by MONK by 5”です。レコードが欲しいのですが、安くて質の良いのがなかなか手に入りません。


村上春樹新宿地図


村上春樹年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 村上春樹の足跡
昭和39年 1964 東京オリンピョク 15 4月 兵庫県立神戸高校入学
昭和43年 1968 エンタープライズ寄港阻止衝突
パリ5月革命
19 4月 一浪して早稲田大学第一文学部演劇科入学
昭和44年 1969 東大安田講堂封鎖解除 20 春、三鷹のアパートに転居
昭和45年 1970 三島由紀夫割腹自殺
よど号事件
21 アルバイトに精を出す
昭和46年 1971 ニクソンショック 22 陽子夫人と学生結婚
10月 文京区千石の夫人の実家に転居
昭和49年 1974 長島茂雄引退 25 ジャズ喫茶「ビーター・キャット」を国分寺に開店
昭和52年 1977 巨人優勝 28 ジャズ喫茶「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移転
昭和53年 1978 ヤクルト優勝 29 4月 神宮球場で「僕は小説を書けると悟った」
11月 第22回群像新人文学賞に応募
昭和54年 1979 イラン革命
NECがパソコンPC8001を発表
30 4月 第22回群像新人文学賞(発表)
5月 「風の歌を聴け」 (『群像』6月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和55年 1980 光州事件
山口百恵引退
31 2月 「1973年のピンボール」 (『群像』3月号)
8月 上半期芥川賞を逃す
昭和56年 1981 チャールズ皇太子とダイアナが婚約
向田邦子航空機事故で死去
横溝正史死去
32 千葉県船橋市に転居
12月 「風の歌を聴け」が映画化
ホットドッグ・プレス
昭和57年 1982 フォークランド紛争 33 「jazzLife」6月号臨時増刊
「羊をめぐる冒険」 (『群像』8月号)
11月 野間文芸新人賞(発表)(『群像』1983/1月号)



「神戸YAMAHA」
神戸YAMAHA>
 突然、神戸に戻ります。”マルミレコード”で終わろうかとおもったのですが、「ポートレイト・イン・ジャズ」の中で、もう一カ所、気になるところがあったので掲載しました。「ポートレイト・イン・ジャズ」、ホレス・シルバーの項です。
「…つい昔話になるけれど、高校生の時にお金をためて、アルバム 『ソング・フォー・マイ・ファーザー』を手に入れた。ガールフレンドと一緒に神戸元町にある日本楽器に立ち寄って買った。ファクトリーシールで包まれた、ずしりと重いまっさらの輸入盤。レコードに印刷されたブルーノート・レコードの住所は、まだニューヨーク61番通りの43番地だった。…」
 ブルーノート・レコードの住所を高校時代に確認するかな、と、おもいました。

左の写真が神戸YAMAHAです。3年程前の写真です。神戸YAMAHAは大森一樹監督の「風の歌を聴け」で撮影に使われています。村上春樹自身も良く行っていたようで、彼の小説にも登場しています。

「SONG FOR MY FATHER」
<SONG FOR MY FATHER>
 村上春樹が神戸YAMAHAで購入したレコード(写真はCDです)です。昭和40年代に2,800円のジャズレコードを買うとは凄いです。
「… 当時ブルーノート・レコードは日本でのプレスを認めなかったので、輸入盤でしか手に入らず、値段は2800円もした (1ドル=360円だった)。なにしろコーヒーが60円で飲めた時代だから、ずいぶんな金額だ。なかなか高校生には手が出せない。だから一枚のレコードを手に入れると、心をこめて聴いた。ビクターの商標に使われている、蓄音機のラッパの中に頭を突っ込んでいる犬みたいに、文字どおり一音一音に深く耳を傾けた。ガールフレンドよりも大事に、とまではいかずとも、負けず劣らず大事にレコードを扱った。…」
 昭和40年代(1965〜1974)なら普通の学生はロックかフォークですね。ピートルズ、ローリングストーンズ、ドアーズ、バーズ辺りか、ジャクソンファイブ等かなとおもいます。ジャクソンファイブは1970年に全米一位になっています。フォークではボブ・ディランが1969年に發表したナッシュビル・スカイラインが衝撃的でした。

写真がブルーノート、The Horace Silver Quintetの”song for father”です。ブルーノートも安くなって、今年7月から1,100円で買えます。レコードも限定でいいので安く再発売してくれないかなとおもっています。


村上春樹神戸地図