<「ドルフィン・ホテル」>
前回は「羊をめぐる冒険(上)」を中心に東京を歩きましたが、今回は「羊をめぐる冒険(下」)の北海道を歩きます。僕と彼女二人は一枚の写真に写っている場所を探して東京から空路、北海道に向かいます。そして札幌で宿泊するホテルを探します。「 …「とにかくホテルの名前を順番に読みあげてみて」 僕は無愛想なウェイターに頼んで職業別電話帳を持ってきてもらい、「旅館、ホテル」というページを片端から読みあげていった。四十ばかりつづけて読みあげたところで彼女がストップをかけた。「それがいいわ」 「それ?」 「今最後に読んだホテルよ」 「ドルフィン・ホテル」 と僕は読んだ。「どういう意味」 「いるかホテル」 「そこに泊まることにするわ」…… いかかホテルは我々の入った映画館から西にむけて通りを三本進み、南に一本下がったところにあった。ホテルは小さく、無個性だった。これほど個性がないホテルもまたとはあるまいと思ぇるくらい無個性なホテルだった。その無個性さにはある種の形而上的な雰囲気さえ漂っていた。ネオンもなく大きな看板もなく、まともな玄関さえなかった。レストランの従業月出入口みたいな愛想のないガラス戸のわきに「ドルフィン・ホテル」と刻まれた鋼板がはめこまれているだけだ。いかかの絵さえ描かれていなかった。建物は五階建てだったが、それはまるで大型のマッチ箱を縦に置いたみたいにのっペりとしていた。近くに寄ってよく見ればそれほど古びているというわけでもないのだが、それでも人目をひくほどには十分古びていた。きっと建った時から既に古びていたのだろう。 これがいるかホテルだった。…」。先ずこの「ドルフィン・ホテル」の場所を探そうとしたのですが「羊をめぐる冒険」には”我々の入った映画館から西にむけて通りを三本進み、南に一本下がったところにあった。”との記載しかありませんでした。映画館が何処かでも変わるのですが、一般的には”すすきの”周辺だとすると、西に三本、南に一本ですから、この本では「ドルフィン・ホテル」は、ほとんど”すすきの”の傍です。
★左上の写真が推定、「ドルフィン・ホテル」です。「ドルフィン・ホテル」の場所については「ダンス・ダンスダンス(上)」の本の中にヒントが書かれていました。「…次にタクシーを拾って図書館に行った。札幌でいちばん大きい図書館に行ってくれと言うとちゃんと連れていってくれた。図書館で僕は彼女の教えてくれた週刊誌のバックナンバーを調べてみた。ドルフィン・ホテルの記事が出ているのは十月二十日号だった。僕はその部分のコピーをとって、近くの喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら腰を据えてそれを読んでみた。わかりにくい記事だった。きちんと理解するまでに、何度も読みなおさなくてはならなかった。記者はわかりやすく書こうと精一杯努力していたが、その努力も事態の複雑さの前には歯が立たなかったようだ。おそろしくいりくんでいるのだ。でもまあじっくりと読めばおおよその輪郭はわかってきた。記事のタイトルは「札幌の土地疑惑。黒い手がうごめく都市再開発」とあった。空から写した完成間近のドルフィン・ホテルの写真も載っていた。…」。村上春樹をよく読まれている方はご存じだとおもいますが、次に書かれた小説の中に前の小説の疑問点が書かれていたりします。「ダンス・ダンスダンス」の中での「ドルフィン・ホテル」の場所のポイントは”札幌で土地疑惑で有名になったホテル”だったのです。そのホテルの実名を探すと、どうも「ホテル アーサー札幌」のようなのです(現在はノボテル札幌:北海道札幌市中央区南10条西6丁目1-21)。このホテルが開業したのは1988年で、「ダンス・ダンスダンス」が書かれたのも1988年でした。どうも出来過ぎですね。私のおもうところ、「羊をめぐる冒険」の「ドルフィン・ホテル」と、「ダンス・ダンスダンス」の「ドルフィン・ホテル」とは違うのではないかと考えてしまいました。因みに「アーサー札幌」の建てられる前のホテルは「ホテル鴨川」で、五階建てホテルではありませんでした。札幌市の地図を掲載しておきます。