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●村上春樹の「羊をめぐる冒険」を歩く -北海道編-
   初版2007年7月28日
   二版2007年8月5日 <V01L01>   時刻表を追加
 パソコンの調子が悪く更新が遅れていましたが修理(マザーボードを交換しました)ができましたので、村上春樹の「羊をめぐる冒険」の後編である「北海道編」を掲載します。今回は最終回として札幌のドルフィン・ホテルから十二滝町を歩きます。(本を読んでいないとよく分からないとおもいます)

「ドルフィン・ホテル(推定)」
<「ドルフィン・ホテル」>
 前回は「羊をめぐる冒険(上)」を中心に東京を歩きましたが、今回は「羊をめぐる冒険(下」)の北海道を歩きます。僕と彼女二人は一枚の写真に写っている場所を探して東京から空路、北海道に向かいます。そして札幌で宿泊するホテルを探します。「 …「とにかくホテルの名前を順番に読みあげてみて」  僕は無愛想なウェイターに頼んで職業別電話帳を持ってきてもらい、「旅館、ホテル」というページを片端から読みあげていった。四十ばかりつづけて読みあげたところで彼女がストップをかけた。「それがいいわ」 「それ?」 「今最後に読んだホテルよ」 「ドルフィン・ホテル」 と僕は読んだ。「どういう意味」 「いるかホテル」 「そこに泊まることにするわ」…… いかかホテルは我々の入った映画館から西にむけて通りを三本進み、南に一本下がったところにあった。ホテルは小さく、無個性だった。これほど個性がないホテルもまたとはあるまいと思ぇるくらい無個性なホテルだった。その無個性さにはある種の形而上的な雰囲気さえ漂っていた。ネオンもなく大きな看板もなく、まともな玄関さえなかった。レストランの従業月出入口みたいな愛想のないガラス戸のわきに「ドルフィン・ホテル」と刻まれた鋼板がはめこまれているだけだ。いかかの絵さえ描かれていなかった。建物は五階建てだったが、それはまるで大型のマッチ箱を縦に置いたみたいにのっペりとしていた。近くに寄ってよく見ればそれほど古びているというわけでもないのだが、それでも人目をひくほどには十分古びていた。きっと建った時から既に古びていたのだろう。 これがいるかホテルだった。…」。先ずこの「ドルフィン・ホテル」の場所を探そうとしたのですが「羊をめぐる冒険」には”我々の入った映画館から西にむけて通りを三本進み、南に一本下がったところにあった。”との記載しかありませんでした。映画館が何処かでも変わるのですが、一般的には”すすきの”周辺だとすると、西に三本、南に一本ですから、この本では「ドルフィン・ホテル」は、ほとんど”すすきの”の傍です。

左上の写真が推定、「ドルフィン・ホテル」です。「ドルフィン・ホテル」の場所については「ダンス・ダンスダンス(上)」の本の中にヒントが書かれていました。「…次にタクシーを拾って図書館に行った。札幌でいちばん大きい図書館に行ってくれと言うとちゃんと連れていってくれた。図書館で僕は彼女の教えてくれた週刊誌のバックナンバーを調べてみた。ドルフィン・ホテルの記事が出ているのは十月二十日号だった。僕はその部分のコピーをとって、近くの喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら腰を据えてそれを読んでみた。わかりにくい記事だった。きちんと理解するまでに、何度も読みなおさなくてはならなかった。記者はわかりやすく書こうと精一杯努力していたが、その努力も事態の複雑さの前には歯が立たなかったようだ。おそろしくいりくんでいるのだ。でもまあじっくりと読めばおおよその輪郭はわかってきた。記事のタイトルは「札幌の土地疑惑。黒い手がうごめく都市再開発」とあった。空から写した完成間近のドルフィン・ホテルの写真も載っていた。…」。村上春樹をよく読まれている方はご存じだとおもいますが、次に書かれた小説の中に前の小説の疑問点が書かれていたりします。「ダンス・ダンスダンス」の中での「ドルフィン・ホテル」の場所のポイントは”札幌で土地疑惑で有名になったホテル”だったのです。そのホテルの実名を探すと、どうも「ホテル アーサー札幌」のようなのです(現在はノボテル札幌:北海道札幌市中央区南10条西6丁目1-21)。このホテルが開業したのは1988年で、「ダンス・ダンスダンス」が書かれたのも1988年でした。どうも出来過ぎですね。私のおもうところ、「羊をめぐる冒険」の「ドルフィン・ホテル」と、「ダンス・ダンスダンス」の「ドルフィン・ホテル」とは違うのではないかと考えてしまいました。因みに「アーサー札幌」の建てられる前のホテルは「ホテル鴨川」で、五階建てホテルではありませんでした。札幌市の地図を掲載しておきます。

【村上春樹(むらかみはるき)本名】
1949(昭和24)年、京都府生れ。直ぐに神戸に転居、小、中、高校時代を芦屋、神戸で過ごす。一浪して早稲田大学文学部入学。1971年陽子婦人と学生結婚。1974年、国分寺にジャズ喫茶「ピーターキャット」をオープン、千駄ヶ谷にお店を移し小説を書き始める。’1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき烏クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな腐る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』など訳書も多数。(新潮文庫を参照)


現在の北海道地図


村上春樹の1070年代初期年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 村上春樹の足跡
昭和44年 1969 東大安田講堂封鎖解除 20 春、三鷹のアパートに転居
昭和45年 1970 三島由紀夫割腹自殺
よど号事件
21 アルバイトに精を出す
昭和46年 1971 ニクソンショック 22 陽子夫人と学生結婚
10月 文京区千石の夫人の実家に転居



村上春樹の初期三部作年表
和 暦 西暦 年  表 年齢 村上春樹の初期三部作
昭和54年 1979 イラン革命
NECがパソコンPC8001を発表
30 「風の歌を聴け」 (『群像』6月号)
5月 第22回群像新人文学賞を受賞
昭和55年 1980 光州事件
山口百恵引退
31 「1973年のピンボール」 (『群像』3月号)
昭和57年 1982 フォークランド紛争 33 「羊をめぐる冒険」 (『群像』8月号)
昭和63年 1988 ソウル五輪開催
リクルート事件
39 「ダンス・ダンスダンス」 (講談社)


「旭川駅」
旭川駅>
 「ドルフィン・ホテル」で写真の場所を探し出し、二人は北へ向かいます。「…羊博士は牧場の細かい地図を描いてくれた。旭川の近くで支線に乗りかえ、三時間ばかり行ったところにふもとの町があった。その町から牧場までは車で三時間かかった。「どうもいろいろとありがとうございました」と僕は言った。…… 我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた。九十八年前にアイヌの青年と十八人の貧しい農民たちが辿ったのとほぼ同じ道のりである。…」。札幌から旭川まではそのままなので特に問題はないとおもいます。旭川の近くで支線に乗り換え、塩狩峠を越えたとなると宗谷本線で北に向かうしかありません。特に塩狩峠は有名な峠で、塩狩駅の傍に三浦綾子記念館があります。

左上の写真がJR旭川駅です。現在、高架化の工事中でこの写真が最後の写真かもしれません。当時は札幌から旭川まで特急で1時間46分、急行で1時間53分でした。

「美深駅」
中継地点の駅(美深駅)>
 二人は十二滝町を目指して旭川から塩狩峠を超えて宗谷本線を北に向かいます。「…列車を下りたのは十二時過ぎだった。プラットフォームに下り立つと、僕は思い切り体を伸ばして深呼吸をした。肺が縮み上がりそうなほど空気は澄んでいた。太陽の光は暖かく肌に心地良かったが、気温は札幌より確実に二度は低かった。線路沿いに煉瓦造りの古い倉庫が幾つも並び、そのわきには直径三メートルはある丸太がピラミッド型に積み上げられ、昨夜の雨を吸い込んで黒く染まっていた。我々を乗せてきた列車が出発してしまうともうあとには人影もなく、花壇のマリゴールドだけが冷ややかな風に揺れていた。プラットフォームから見える街は典型的な小規模の地方都市だった。小さなデパートがあり、ごたごたとしたメイン・ストリートがあり、十系統ばかりのバス・ターミナルがあり、観光案内所があった。見るからに面白味のなさそうな街だった。。…」。旭川からふもとの町までが3時間なのですが、羊博士から聞いた時間なので(相当昔のお話)、列車は各駅停車で計算すると宗谷本線名寄駅(各駅停車で2時間20分)、美深駅(各駅停車で3時間6分)。実際は支線に乗り換えるのでその分を加える必要があります。当時宗谷本線で乗換出来る駅は稚内までで名寄、美深、音威子府しかありませんでした。旭川から3時間と合わせると、名寄か美深しかありえません(急行では音威子府まで2時間です。特急はありませんでした)。その上で名寄は名寄本線、深名線に乗換ができるのですが、終点のある支線でなければならないので美深駅から乗り換える美幸線しかないとおもいました。

右上の写真が現在の美深駅です。駅舎は建て直されていましたがプラットホームは当時のままのようでした。ここから支線がでて、仁宇布(本では十二滝町)へ向かっていたようです。本に書かれていた駅前の倉庫群駅前の商店街の写真も掲載しておきます。

「仁宇布駅跡」
十二滝町(仁宇布二十五線)>
 二人は中継地点の駅で乗り換えて十二滝町へ向かいます。「…列車が終点である十二滝町の駅に着いたのは二時四十分だった。我々は二人ともいつのまにかぐっすり寝込んでいて、駅名のアナウンスを聞きのがしてしまったようだった。ディーゼル・エンジンが最後の一息をしぼり出すように排出してしまうと、そのあとには完全な沈黙がやってきた。皮膚がひりひりと痛みそうな沈黙が僕の目を覚ました。気がつくと車内には我々の他に乗客の姿はなかった。…」。美深駅で乗り換える支線は「美幸線」です。この支線は1985(昭和60年)に廃止されています。全国一の赤字ローカル路線だったので、有名でした。「羊をめぐる冒険」でこの地方を訪ねるのは1978年ですから、時期的にはあっています。

左上の写真は1985年9月(廃止日)の仁宇布駅です(写真は拡大しません)。この写真は「さいきの駅舎訪問」様よりお借りしました。ありがとうございました。当時の車両の写真もお借りしましたので掲載しておきます。昭和46年度版「美幸町史」から仁宇布地区の開拓について掲載します。「仁宇布部落の開拓は、明治40年(1907)、1線から22線の問に竹内善兵衛が、福島県安環団体長として佐久間幸助ほか数戸を引連れて入地した。現在部落の中心をなしている25線は、41年4月小笠原尚衛がアイヌを道案内として現地調査をおこない、仮小屋を設けて開墾に着手した記録がある。翌42年には後藤織衛、石川辰喜、三浦熊太郎,佐伯多次郎らが続いて入地した。明治45年1月駅逓の設置(認可44・12・13付)によって入植者も増加、「交通編」でも記述のごとく、幌内に通ずる道路の開さくによって急速に開発された。後藤,佐伯らのほか井上米吉,矢数和佐,斎藤万五郎らも仁字布の先駆者として入地しており,大正6・7年頃の澱粉最盛期は100余戸を数えていた。」。村上春樹が書いた内容と似ていますね。村上春樹も「美幸町史」を札幌市立図書館で読んだようです。

「時刻表」
<時刻表(1978年11月号)>  2007年8月5日追加
 当時の時刻表を見てみました。”中継地点の駅(美深駅)に昼過ぎに着いた”とありますが、時刻表を見ても昼過ぎに美深駅に着く列車はありません。又、美幸線で仁宇布駅に二時四十分に着く列車もありませんでした。再度確認すると、中継地点の駅(美深駅)に着いたのが12時過ぎで、中継地点の駅(美深駅)で40分位時間を潰して、仁宇布駅に着いたのが14時40分ということは中継地点の駅(美深駅)から十二滝町(仁宇布駅)まで1時間40分位掛かったことになります(実際は30分)。旭川から十二滝町(仁宇布駅)まで3時間のはずですからなにか辻褄が合いませんね、やっぱりフィクション!!

左の写真は1978年11月号の時刻表です。宗谷本線 旭川−稚内の時刻表美幸線の時刻表を掲載しておきます。本を書いた1981年から1982年の時刻表を見た方がいいかもしれません。

「仁宇布駅跡前交差点」
<仁宇布駅跡前>
 十二滝町の駅前について少し書かれています。「…旅館は商店街の先の坂道を下り、右に曲って三百メートルほど進んだ川沿いにあった。感じの良い古い旅館で、町にまだ活気があった当時の面影が残っていた。川に向って、よく手入れされた庭が広がり、その隅ではシェパードの仔犬が食器に顔をつっこんで早めの夕食を食べていた。「登山ですか?」と部屋に案内してくれた女中が訊ねた。「登山です」と僕は簡単に言った。二階には部屋は二つしかなかった。広い部屋で、廊下に出ると列車の窓から見たのと同じカフェ・オ・レ色の川が見下ろせた。 彼女が風呂に入りたいと言ったので、僕はそのあいだに一人で町役場に行ってみることにした。…」。美深駅から分かれた美幸線は営業距離21Km、駅で僅か3駅でした。乗車時間で30分、すぐに着いてしまいます。1978年当時の仁宇布駅周辺の旅館について調べてみたのですが、この仁宇布駅周辺には旅館はなかったようです。美深駅周辺に数軒の旅館があっただけでした。ただ、川はペンケニウブ川(アイヌ語で小川の上流の森)がすぐ横を流れています。この辺からは本格的にフィクションになっていきますね!!

右上の写真は仁宇布駅跡前の交差点です(別方向からの写真も掲載しておきます)。右奥が仁宇布駅舎跡です。現在はトロッコ王国といって、鉄道線路跡をトロッコで走らせてくれます。正面の赤い建物は「こいぶ」というお店です。松山農場のお店で羊関連の商品を販売されていました。私は羊のミルクアイスクリームを食べました。少し癖がありましたが美味しくいただきました。昭和60年頃の地図が残っていましたので掲載しておきます。

この後、主人公(春樹自信か!)は山の上の別荘に向かいます。私の推定では別荘の場所は「松山湿原」を推定したのではないかとおもいました。これから先は「羊をめぐる冒険」で楽しんでください。

現在の美深町地図

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