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最終更新日:2006年4月22日


●目黒の秋刀魚と行人坂 2000年12月16日 V01L01 

 「歴史と分化の散歩道」を削除しましたので、その中から興味ある散歩道をいくつか取り上げてみたいと思います。最初は私の家から近い所で、落語で有名な"目黒の秋刀魚(さんま)"を取り上げてみます。

筑「それがし、さっそく家来どもに申しつけ、さんまを取り寄せ食したるところ、美味などとはもってのほか、食うにたえぬ魚でござるて…」
出「いや、それはなにか違うでござろう」
筑「いや、違いはいたさん。特に本場と申す房州から取り寄せたのじゃ」
出「いやそれはいかん、さんまは目黒に限る」

は古典落語で有名な”目黒のさんま”の最後の場面です。出は松平出羽守で、筑は黒田筑前守のことです。両者ともさんまを食べたことがなく、松平出羽守が目黒の農家でさんまを食べたら、あまりにも美味しかったので、江戸城への登城の折りに、ご同席の筑前福岡の黒田筑前守に自慢げに話したことから始まります。黒田筑前守は下城の後、家老にさんまを食べたいと申したところ、家来が気をきかせすぎて、脂身をすっかりとったさんまを出したため不味くて食べられなかったのです。左の絵の右下にさんまを食べた茶屋がみえます。

歌川広重名所江戸百選 目黒爺が茶屋」(江戸東京博物館蔵)

 右の写真が”目黒のさんま”の「爺々が茶屋」がある茶屋坂です。坂を少し下った正面辺りが「爺々が茶屋」があったところです。茶屋坂は江戸時代に、江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下がるつづら折りの坂で、富士が良く見えたようです。この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、三代将軍家光や八代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休んでいます。家光は彦四郎の人柄を愛し「爺、爺」と話しかけたので「爺々が茶屋」と呼ばれたようで広重の絵にも描かれています。こんなことから「目黒のさんま」の話が生まれたのだと思われます。(彦四郎茶屋の島崎家に上記のことが書かれた文書が残っているそうです)

<三田用水>
 三田用水は時代とともに飲料用、農業用、工業用として利用され、目黒の人々にとって欠かすことのできない水路でした。江戸初期の寛文4年(1664)、世田谷の下北沢村で玉川上水を分水したのが、三田用水の始まりです。代々木村、中渋谷村を経て、目黒領内にまで引き込まれたこの用水は、初めのうちは専ら飲料用に使われ、そのため「三田上水」の名で呼ばれていました。ところが享保7年(1722)、上水の使用が禁じられ、余った水を農業に回していた農民たちは困り果ててしまいました。そこで今度は、幕府に農業用水への転用を願い出たところ、ほどなく許可がおり、再び用水の清らかな流れが水田を潤すことになったのです。その−万で、この水は水車を回し、製粉や精米などにも活躍しました。明治の半ばになると、豊富で良質な水を使用したエビスビールが誕生、用水は工業用水としても利用され、目黒の工業発展に大きな役割を果たしましたが、戦後は利用が大幅に減り、昭和50年、ついにその流れを止めて300余年の歴史に終止符を打ったのです。(みどりの散歩道より)

左の写真は旧三田用水の陸橋です。茶屋坂の丁度横で、三田用水は分水し易いように一番高いところを選んで作られたため、このように道路の上を通っているわけです。今はもう水は流れておりません。

<行人坂>
 JR目黒駅を山手線の外側に降りて左手の目黒通り側にでます。交差点を渡ってさくら銀行の右手の広い道が権之助坂(目黒通り)、左手の道を少し歩くと急な下り坂の行人坂になります。行人坂は、その途中にあった大円寺の修験道の行者が、坂道を往来したことから名づけられたといわれています。坂の途中の左側に大円寺があります。もう少し坂を下っていくと目黒雅叙園の入り口になります。入り口を左手に見て少し歩くと目黒川です。
<大円寺>
 明和9年(1772)2月29日行人坂大円寺からあがった火の手は、たちまち燃え広がり、折からの強風にあおられ3日3晩にわたる大火となってしまいました。飛び散る火の粉は市中の大半に広がり江戸930余町(江戸の街の約3分の2)を焼き尽くしたといわれています。そのときに亡くなった人々を供養するために作られたのが五百羅漢です。この火災は「行人坂の大火」と呼ばれ、「振り袖火事」、「車坂の火災」とともに江戸3大火災の一つとなりました。

左の写真は行人坂を下から撮影したものです。丁度右側に大円寺があります。かなり人通りが多い道です。(夕方撮影したためホワイトバランスがよくありません(調整したのですが!)御免なさい)

<太鼓橋>
 行人坂の急坂が目黒雅叙園の入り口で終わって少々歩くと太鼓橋に出ます。橋と橋の手前左側に記念碑が立っています。橋にもいろいろ描かれていますので楽しめます。川沿いは桜の木が植わっており春は桜並木がきれいな所だと思います。
太鼓橋は約250年前、大喰上人が作り始め、後に江戸八丁堀の商人達が資材を出し合って宝暦十四年(1764)から六年の歳月を経て完成しました。この美しい太鼓橋も大正9年秋の豪雨で流失してしまい、現在の橋が架けられています。


<太鼓鰻>
右の写真が現在の太鼓橋です。太鼓橋を渡った左側袂の4階建の建物が太鼓鰻屋さんです。江戸時代から続く創業200年以上の鰻屋さんです。「江戸名所図会」の「江戸目黒太鼓橋」の絵にも描かれています。瓦葺きの家に「うなぎ」ののれんが架かっていて、当時の屋号は「はまのや」です。


目黒付近地図


【参考文献】
・歴史と文化の散歩道:東京都生活文化局
・歴史と旅 江戸東京歴史ウォーク(3/10 増刊):秋田書店
・みどりの散歩道 目黒川コース:目黒区都市環境部

【交通のご案内】
・JR山の手線/東急目黒線「目黒駅」下車

【見学について】
・茶屋坂と爺々が茶屋:目黒区三田2-12〜14
・大円寺:目黒区下目黒1-8

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