昭和33年4月15日、一人の女性が新大久保駅近くのアパートで自殺します。その女性の名前は坂本睦子、銀座では有名なチーママでした。坂本睦子は戦前、戦後を通じて多くの文壇人と関わりを持った女性でした。坂口安吾夫人の三千代さんや武田泰淳夫人となった百合子さんとはちょっと違ったようです。自由奔放のところがあり、特定の文壇人と長続きしなかったことが、最後に自殺した原因の一つだとおもいます。
「…坂本睦子が死んでいるのが発見されたのは、丸一日経った翌日の夕暮れだった。前日に投函された遺書を見て、大家の朴久美子がドアの鍵を壊して睦子の部屋へ入ったら、もう呼吸をしていなかった。まず青山二郎に報され、淀橋警察に遺体が運ばれている間に、二十人ばかりが睦子の部屋に集まった。
……当夜の席には、ジィちゃんこと青山二郎をはじめ、結城さんの小林秀雄、草平さんこと大岡昇平など、昭和の文壇の大所が顔を揃え、一人のバーの女の通夜にしては異様な光景だったという。あっという間に噂が飛んだ銀座界隈でも、あちこちのバーで思い思いの通夜が営まれた。
……誰かが近所の写真屋へ走ったのだろう。睦子の遺体の枕元に、《ブンケ》のカウンターで撮った僻き気味の睦子の写真が飾られていた。その顔があまりに寂しそうなので、隣りにもう一枚、日比谷の《レインボウ・グリル》時代のムウちゃんが笑っている。提灯袖の白いワンピースを着て、両腕をショートカットの頑の後ろで組んだ陸子は、このころ確か十六歳だったはずだ。…」。
久世光彦の「女神」からです。白洲正子の「銀座に生き銀座に死す」からでもよかったのですが、久世光彦の「女神」の方が良くまとまっていましたので、引用させていただきました。ものすごいメンバーの”お通や”です。そのくらい関わり合いがあったのでしょう。凄い女性の一言です。彼女のアパートは新大久保駅 近くと書かれていましたが、職安通りの方が近く、新宿に出るのにもあまり遠くはないところです。
★左の写真は坂本睦子のお葬式がおこなわれた谷中の「瑞輪寺」です。りっぱなお寺でした。お墓は生まれ育った三島にあります。下記を参照してください。
「…肉体に刻まれた男の名前の系列は彼女の成長の跡を物語るかのようだ日く、直木三十五、菊池寛、小林秀雄、坂口安吾、河上徹太郎、大岡昇平etc、etc。彼女が辿った道は、さながら昭和の文学史の観を呈する。もはや古い話とはいえ、私の敬愛する先生達の実名をあえてここに掲げるのも、私にとって、それがつまらない文壇裏話、………」。
登場する文壇人の名前は物凄いですね。戦前から戦後にかけて日本の文壇を支えてきたメンバーです。