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最終更新日:2006年4月2日


●御殿山と旧吉川英治邸
 初版2000年4月15日 <V01/L02>

 今週は品川の御殿山周辺の散歩道をご紹介します。

 JRの品川駅(どういうわけか品川区には無くて港区にあります)を京浜急行側に降りて第一京浜国道を北品川方面に向かいます。すこし上り坂ですが旧東海道の八ツ山橋をすぎて右手の御殿山ヒルズの方に歩いて行きます。この場所は旧品川宿の西方の台地で、室町時代に太田道灌の館があったと伝えられています。また、江戸時代には将軍家の別邸、品川御殿があったそうです。これらのことから「御殿山」と名づけられたといわれています。江戸時代には風光明媚の地として知られ、とくに桜の名所として名高く、浮世絵の題材にも多く取り上げられています。(左の浮世絵は江戸名所四十八景 三十六 御殿山満花 歌川広重です)江戸時代の名所の番付「東都名所記」では東前頭3枚目にランキングされるほどのメジャーなスポットになっていたようです。江戸時代末期になると、「御殿山」は江戸防衛のため、お台場建設用に土を取られ(南側が削られた)、御殿山の上も、イギリス公使館建設用地となり、さらに鉄道建設によって東側も削られてしまいました。桜の名所もごく一部となってしまいました。現在はミャンマー大使館(北品川4−8−26)付近を中心に、桜の木が多く植えられています。八ツ山橋側から見て高輪側は伊藤博文邸でしたが、後に三菱財閥の岩崎家に売却され、岩崎弥之助がイギリス人ジョサイア・コンドルに設計させた豪壮華麗な洋館(開東閣)を建てています(現在は三菱地所所有)。品川側は西郷従道から井上馨の紹介で元横浜正金銀行頭取の原六郎へ売却されています。(現在の御殿山ヒルズの所)その南側は三井物産創立者益田孝の屋敷となっていました。当時は明治、大正の財閥のお屋敷ばかりだったみたいですね。

<原美術館>
原六郎(六郎氏は古美術に造詣が深く、多くの優れた作品を集められました。なかでも三井寺日光院客殿を自邸内に移して慶長館と称し、建物はのちhara1-w.jpgに護国寺に寄贈され、現在月光殿として知られています)の子孫の原邦造邸は、現代美術専門の原美術館として、御ミャンマー大使館近くの北品川4ー7ー25に残っています。殿山交番前の交差点を左に折れると、ユーゴスラビア大使館を過ぎて約200m左側です。(原邦造は昭和16年に設立された、帝都高速度交通営団の初代総裁です)この原邦造氏の邸宅として建てられた洋館は旧日劇や東京国立博物館などを手掛けた渡辺仁の設計で、昭和初期の建築物として貴重なものです。モダニズムのデザインで、柔らかいカーブの曲線とシャープな直線、水平に広がる底層階と垂直な塔屋、初期のモダニズムの象徴である屋上空間の利用も見られます。美術館はトイレの中までも現代芸術になっています。現代美術を見るよりは、建物や庭の鑑賞の方がよっぽど価値があるように思えるのですが!(すこし歳をとってしまったかな・・・ ) 

hara2-w.jpg<渡辺仁(1887〜1973)>
銀座の和光、愛知県庁本庁舎、徳川黎明会本部、日比谷の第一生命(1938)、上野の国立博物館本館(1937)、横浜のホテルニュ−グランド旧館(1927)、品川の原美術館(旧原邸(1938)、旧日劇(1933)などで有名です、デザイン力を持った建築家であり、全体に非常にフラットというか、装飾を排除したデザインが中心ととなっています。(左の写真は2階から階段を撮っています、階段の手すりや窓枠が素晴らしいですね)
明治20年(1887)生まれ。東京帝国大学工科大学校(現東京大学建築科)に入学、鉄道院、逓信省などを経て、大正9年に独立しています。終戦までは、かなり有名な建物を設計しましたが、戦後は恵まれず、昭和48年(1973)87歳の長い生涯を閉じています。

yoshikawa1-w.jpg<旧吉川英治邸>
原美術館から一筋大崎側に離れた所に旧吉川英治邸があります。(表札名が違いますので写真を見て探して下さい)戦時中、吉川英治は西多摩郡吉野村(現青梅市柚木町の吉川英治記念舘)に疎開していましたが、昭和28年(1953)に、子どもたちの進学・通学のため品川区の御殿山(現北品川5丁目)の洋風建築の家に移転しています。この家は昭和8年(1933)に、建築道楽といわれた人が粋をこらして造った豪邸で、内部には、ステンドグラスや1階と2階の問で声を伝える仕掛けなどもあったようです。英治は、昭和32年(1957)までの3年余をこの御殿山に住み、その問、品川区文化人クラブの会長をつとめています。また、昭和25年(1950)に書きはじめた大作『新平家物語』を完成させるとともに、多くの随筆も発表するなど、作家としての円熱期をこの地で過ごしたといえます。この御殿山の旧宅は、今も当時の姿のまま残っています。

<吉川英治(1892〜1962)>
 明治25年(1892)、横浜の生まれ。高等小学校中退後、さまざまな職を経験しながら、文学に魅かれ、独学で詩や小説を書く。大正3年(1914)に雑誌の懸賞小説に入選したのち、『鳴門秘帖』で時代小説作家としての地位を確立、『宮本武蔵』『新書太閤記』などで人気を得た。


<ジョサイア・コンドル(Josiah Conder 1852-1920)>

日本の近代洋風建築の普及に最も功績のあった英国人建築家。ロンドンに生まれ、東京にて没。
1877年来日。工部省技師、工部大学校(現東京大学工学部)教師等をつとめています建築教育の制度を整え、日本人建築家の育成に力を注ぎました。弟子に辰野金吾(東京駅の設計者)等がいます。作品には鹿鳴館(1883)、ニコライ堂(1891、現存)、綱町三井倶楽部(1913、現存)等があります。

【参考文献】
・しながわの史跡めぐり:品川区教育委員会
・東京人no.152:東京都文化財団
・浮世絵図録:品川歴史館

【交通のご案内】
・JR「品川駅」高輪口より徒歩15分
・バス都営90番系統「五反田駅」行、「御殿山」停留所下車、徒歩3分。「御殿山ヒルズ」行、終点下車、徒歩2分。

【見学について】

・原美術館:東京都品川区北品川4-7-25  ??03-5423-1609  原美術館ホームページ

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