<川部駅>
太宰治は昭和19年5月13日、青森に到着、「津軽」の取材で蟹田、三厩経由で竜飛に向い、20日頃引き返して蟹田の中村貞次郎さん宅に宿泊、昭和19年5月21日頃、実家の金木に向います。
まずは太宰治の「津軽 四 津軽平野」からです。
「…北端は竜飛である。まことに心細いくらゐに狭い。これでは、中央の歴史に相手にされなかつたのも無理はないと思はれて来る。私は、その「道の奥」の奥の極点の宿で一夜を明し、翌る日、やつぱりまだ船が出さうにも無いので、前日歩いて来た路をまた歩いて三厩まで来て、三厩で昼食をとり、それからバスでまつすぐに蟹田のN君の家へ帰つて来た。歩いてみると、しかし、津軽もそんなに小さくはない。その翌々日の昼頃、私は定期船でひとり蟹田を発ち、青森の港に着いたのは午後の三時、それから奥羽線で川部まで行き、川部で五能線に乗りかへて五時頃五所川原に着き、それからすぐ津軽鉄道で津軽平野を北上し、私の生れた土地の金木町に着いた時には、もう薄暗くなつてゐた。蟹田と金木と相隔たる事、四角形の一辺に過ぎないのだが、その間に梵珠山脈があつて山中には路らしい路も無いやうな有様らしいので、仕方なく四角形の他の三辺を大迂回して行かなければならぬのである。」。
上記の文章では竜飛で一泊して、翌日、三厩で昼食をとって蟹田の中村貞次郎さん宅まできたと書いています。竜飛の奥谷旅館には昭和19年5月18日に宿泊していますので、蟹田の中村貞次郎さん宅には19日に着いたことになります。翌々日の21日、青森、川部、五所川原経由で金木に着きます。
★写真は現在の奧羽本線「川部駅」です(写真はウイキペディア参照)。太宰治は蟹田から船で青森に着き、青森から列車で金木に向います。奧羽本線は15時15分青森発、16時7分川部着、ここで五能線に乗り換えて16時36分川部発、17時18分五所川原着です。五所川原で津軽鉄道に乗り換え、17時30分五所川原発、18時7分金木着となります。日の入りは18時52分なのでまだ明るいうちに実家に着いたことになります。蟹田から青森の船の便が分りませんでした。もう少し調べてみます。