<小説「津軽」の像>
「太宰の津軽を歩く」の最終回となります。青森から今回の小泊で六回にわたる掲載でした。今回は事前にかなり調査してから現地を訪ねたため、二日程で「津軽」に関係する全てを取材することができました。ただ、原稿にすると足らないところも多く、もう一度訪問して追加掲載したいとおもっています。
まずは太宰治の「津軽 五 西海岸」からです。
「…「あすは小泊の、たけに逢ひに行くんださうです。」けいちやんは、何かとご自分の支度でいそがしいだらうに、家へ帰らず、のんきに私たちと遊んでゐる。
「たけに。」従姉は、真面目な顔になり、「それは、いい事です。たけも、なんぼう、よろこぶか、わかりません。」従姉は、私がたけを、どんなにいままで慕つてゐたか知つてゐるやうであつた。
「でも、逢へるかどうか。」私には、それが心配であつた。もちろん打合せも何もしてゐるわけではない。小泊の越野たけ。ただそれだけをたよりに、私はたづねて行くのである。…」。
前回は、五所川原に住んでいる津島歯科医院の叔母きゑを訪ねたところまででした。昭和19年5月26日のことです。太宰は翌日、小泊の”たけ”のところに向かいます。太宰の「津軽」はこの”たけ”のところを訪ねた場面で終わります。太宰らしい終わり方なのかもしれませんが、最後は文章も含めてなかなかの終わり方です。この「津軽」がすばらしいところはこの最後のところかもしれません。(「津軽」の最後の文章は終わりに掲載しています)
★写真は小泊の「小説『津軽』の像記念館」にある”太宰治とたけの像”です。五月の連休に訪ねたのですが、ほとんと人はいませんでした。金木からここまで来るのは大変かもしれません。ここの館長さんはなかなか面白い方です。訪ねられた方は一はお話を伺うといいとおもいます。