<五所川原駅>
太宰は昭和19年5月25日(木曜日)、木造から深浦を訪ねています。翌日は鰺ヶ沢から五所川原に向かっています。今回はこの五所川原を「津軽」に沿って歩いてみました。
太宰治の「津軽 五 西海岸」からです。
「…、 鰺ヶ沢の町を引上げて、また五能線に乗つて五所川原町に帰り着いたのは、その日の午後二時。私は駅から、まつすぐに、中畑さんのお宅へ伺つた。中畑さんの事は、私も最近、「帰去来」「故郷」など一聯の作品によく書いて置いた筈であるから、ここにはくどく繰り返さないが、私の二十代に於けるかずかずの不仕鱈の後仕末を、少しもいやな顔をせず引受けてくれた恩人である。しばらく振りの中畑さんは、いたましいくらゐに、ひどくふけてゐた。昨年、病気をなさつて、それから、こんなに痩せたのださうである。…」。
今回も時刻表を参照して太宰治を追ってみます。昭和19年4月の時刻表によると、五能線の深浦発9時9分、鰺ヶ沢着が10時22分、鰺ヶ沢発が12時36分、五所川原着が13時13分となります。上記には”午後二時着”と書いていますが、この列車以外はその前後でありませんので、間違いないとおもいます(次の列車は16時50分着)。
上記に書かれている”不仕鱈”の読みは”ふしだら”、鱈は魚の”たら”の字です。これで”ふしだら”と読ますのかなとおもいました。
★写真は現在のJR五能線 五所川原駅です。左側に津軽鉄道の五所川原駅があります。津軽鉄道については別途掲載したいとおもっています。当時の駅の写真を探しましたが、見つけることが出来ませんでした。もう少し探してみます。