<木造駅>
太宰は昭和19年5月25日(木曜日)の太宰治を「津軽」に沿って、追ってみました。前日まで金木の実家に泊っており、25日になると木造の父親の生家に向かいます。
太宰治の「津軽 五 西海岸」からです。
「…私は金木を出発して五所川原に着いたのは、午前十一時頃、五所川原駅で五能線に乗りかへ、十分経つか経たぬかのうちに、木造駅に着いた。ここは、まだ津軽平野の内である。私は、この町もちよつと見て置きたいと思つてゐたのだ。降りて見ると、古びた閑散な町である。人口四千余りで、金木町より少いやうだが、町の歴史は古いらしい。精米所の機械の音が、どつどつと、だるげに聞えて来る。どこかの軒下で、鳩が鳴いてゐる。ここは、私の父が生れた土地なのである。金木の私の家では代々、女ばかりで、たいてい婿養子を迎へてゐる。父はこの町のMといふ旧家の三男かであつたのを、私の家から迎へられて何代目かの当主になつたのである。この父は、私の十四の時に死んだのであるから、私はこの父の「人間」に就いては、ほとんど知らないと言はざるを得ない。…」。
昭和19年4月の時刻表によると、津軽鉄道線の金木発9時57分、五所川原着が10時33分で上記の”午前十一時頃”とほぼ合います。乗り継ぎですが、この時間帯で五能線の木造に向かうには五所川原発が10時38分で、うまく乗り継げます。この列車だと、次の駅の木造に到着するのが10時52分となります。
大正7年(1918)、陸奥鉄道が川部(奥羽本線) - 五所川原を開業しています。大正13年には太宰治が下車した木造駅が開業します。昭和2年になると陸奥鉄道は国に回収され、五所川原線に編入されます。深浦まで開通するのは昭和9年になります。現在の五所川原
- 津軽中里間を走っている津軽鉄道は、陸奥鉄道が国に買収されたのち、買収によって陸奥鉄道設立時の出資額の倍の支払いを受けた株主たちが津軽における次なる鉄道として五所川原
- 中里間(金木駅も含まれる)の鉄道を計画し、昭和5年に五所川原 - 中里(現在の津軽中里)間が全通します。(ウイキペディア参照)
★写真は現在のJR五能線 木造駅です。JR五能線は奥羽本線川部駅から五所川原、鰺ヶ沢、深浦を通って東能代までの線です。木造駅は大正13年開業で、駅舎は平成4年に建て直されており、現在の駅は東北の駅100選に選ばれている駅です。以前の駅舎の写真があるのですが、昭和19年当時の駅舎かどうかは不明でした。