<Mさん宅>
太宰は昭和19年5月14日(日曜日)に、蟹田でT君(外崎勇三)、Hさん(樋口定夫)、Sさん(下山清次)、今別のMさん(松尾清照)、N君(中村貞次郎)と宴会をしています。その後の2〜3日はN君宅で原稿を書いており、竜飛に向けて出たのは17日頃になるようです。まだ津軽線は開通しておらず、海路かバスでの旅になります。
太宰治の「津軽 3.外ヶ浜」からです。
「…、私たちのバスはお昼頃、Mさんのゐる今別に着いた。今別は前にも言つたやうに、明るく、近代的とさへ言ひたいくらゐの港町である。人口も、四千に近いやうである。…
…私たちはMさんの書斎に通された。小さい囲炉裏があつて、炭火がパチパチ言つておこつてゐた。書棚には本がぎつしりつまつてゐて、ヴアレリイ全集や鏡花全集も揃へられてあつた。「礼儀文華のいまだ開けざるはもつともの事なり。」と自信ありげに断案を下した南谿氏も、ここに到つて或いは失神するかも知れない。
「お酒は、あります。」上品なMさんは、かへつてご自分のはうで顔を赤くしてさう言つた。「飲みませう。」
「いやいや、ここで飲んでは、」と言ひかけて、N君は、うふふと笑つてごまかした。
「それは大丈夫。」とMさんは敏感に察して、「竜飛へお持ちになる酒は、また別に取つて置いてありますから。」…」。
国鉄津軽線が青森から蟹田まで開通したのが昭和26年(1951)12月、終点の三厩まで開通したのが昭和33年(1958)10月ですから、全線開通までかなり時が掛かっています。津軽海峡線が開通したのは昭和66年(1988)です。太宰が津軽を訪ねた昭和19年当時は、青森合同乗合自動車株式会社が青森〜蟹田〜三厩間で乗合自動車を運行していました。昭和26年の津軽線開通による経営悪化で、昭和28年に青森市営バスに買収されています。当時のバス停は駅前の道を少し歩いた右側になります。残念ながら青森からのバス路線が無く、太宰と同じ道を辿ることは出来ませんでした。
★写真は今別のMさん宅跡です。現在、今別にはMさんのご親族の方がお住まいで、「マツオ調剤薬局」を経営されています。当時は写真のお住まいで、借りられていたようです。現存していたのでびっくりしました。この建物も外ヶ浜太宰会の皆様に教えて頂きました。ありがとうございました。JR津軽線、今別駅も撮影しておきましたので掲載しておきます。