<蟹田の町>
青森を出発してから最初に到着するのが蟹田です。青森駅から約29Km程、当時は国鉄津軽線がまだ開通しておらず、バスが交通手段でした。当時はバスで約二時間弱程度だったとおもいます。
太宰治の「津軽 2.蟹田」からです。
「…津軽半島の東海岸は、昔から外ヶ浜と呼ばれて船舶の往来の繁盛だつたところである。青森市からバスに乗つて、この東海岸を北上すると、後潟(うしろがた)、蓬田(よもぎた)、蟹田、平館(たひらだて)、一本木、今別(いまべつ)、等の町村を通過し、義経の伝説で名高い三厩(みまや)に到着する。所要時間、約四時間である。三厩はバスの終点である。三厩から波打際の心細い路を歩いて、三時間ほど北上すると、竜飛《たつぴ》の部落にたどりつく。文字どほり、路の尽きる個所である。…」。
国鉄津軽線が青森から蟹田まで開通したのが昭和26年(1951)12月、終点の三厩まで開通したのが昭和33年(1958)10月ですから、全線開通までかなり時が掛かっています。津軽海峡線が開通したのは昭和66年(1988)です。太宰が津軽を訪ねた昭和19年当時は、青森合同乗合自動車株式会社が青森〜蟹田〜三厩間で乗合自動車を運行していました。昭和26年の津軽線開通による経営悪化で、昭和28年に青森市営バスに買収されています。当時のバス停は駅前の道を少し歩いた右側になります。残念ながら青森からのバス路線が無く、太宰と同じ道を辿ることは出来ませんでした。
★写真は観瀾山から撮影した蟹田の町並みです。同じ場所から撮影した戦前の絵はがきがあるので見比べてください。