<津軽鉄道 金木駅>
「太宰治の金木を歩く(上)」は津軽鉄道 金木駅(かなぎ)から歩き始めます。津軽鉄道 金木駅が出来たのは昭和5年で太宰治が東京帝国大学に入学した年なので、それまでは下記の「思い出」に書いてあるように馬車や徒歩で五所川原まで通っていたようです(五所川原は既に鉄道が通っていました)。
太宰治の「思い出」より
「… 私は姉たちには可愛がられた。いちばん上の姉は死に、次の姉は嫁ぎ、あとの二人の姉はそれぞれ違ふまちの女學校へ行つてゐた。私の村には汽車がなかつたので、三里ほど離れた汽車のあるまちと往き來するのに、夏は馬車、冬は橇、春の雪解けの頃や秋のみぞれの頃は歩くより他なかつたのである。姉たちは橇に醉ふので、冬やすみの時も歩いて歸つた。…」
“三里ほど”と書かれていますので、約12Km弱ですから、“汽車のある町まち”は五所川原とおもわれます。
JR五能線の前身である川部駅 - 五所川原駅間の鉄道を運営していた陸奥鉄道が国に買収されたのち、買収によって陸奥鉄道設立時の出資額の倍の支払いを受けた株主たちが津軽における次なる鉄道として五所川原 - 中里間の鉄道を計画し、これを建設・運営するため設立された。昭和5年(1930)7月五所川原 - 中里間が開通した。(ウイキペディア参照)
★写真は現在の津軽鉄道 金木駅です。改築される前の金木駅の外観と、改札口の写真を掲載しておきます。