<本郷区東竹町十七番地>
山崎富栄については、書かれている本が少なく、結局、長篠康一郎氏の「山崎富栄の生涯」を参考にしながら歩いてみました。長篠康一郎氏は太宰治研究の第一人者だとおもっております。残念ながら平成19年に亡くなられています。一度お会いしたかったです。
「…山崎富栄(一九一九−一九四八)は、大正二年本郷お茶ノ水に全国最初の美容学校である東京婦人美髪美容学校を設立した山崎晴弘、信子夫妻の末娘として大正八年九月二十四日東京市本郷区東竹町十七番地に生まれた。……
…山崎晴弘は全国最初の美容と洋裁の学校である東京婦人美髪美容学校(通称お茶ノ水美容学校)を創設した斯界の功労者であるが、骨の髄からの教育者として知られ、また氏が大正十二年に発行した校友雑誌「中外美容」は、現在の美容雑誌の前身といえるものである。…」。
山崎富栄の父 山崎晴弘氏は戦前の美容業界では有名な方でした。山崎晴弘氏が設立した「お茶の水美容学校」(正式名称は東京婦人美髪美容学校)は東京では唯一といってもよい美容学校で、多くの有名な卒業生を輩出しています。山崎富栄本人もこの学校を卒業しており、将来はこの学校を背負ってゆくつもりだったでしょう。
★写真正面に写っている茶色のビルのところが本郷区東竹町十七番地、山崎富栄生誕の地です。現在の住居表示で本郷二丁目9番地となります(左側のビルは順天堂大学です)。山崎富栄の父親が設立した「お茶の水美容学校」(正式名称は東京婦人美髪美容学校)もこの場所に建てられています。住んでいたところも同じですので、この一帯の地所を広く所有していたものとおもいます。山崎富栄は昭和19年12月に奥名修一と結婚しますが、結婚後の住まいもこの住所になっていました。