<太宰治 「未帰還の友に」>
戸石泰一は東京帝国大学を半年繰上げで昭和17年9月、卒業しています。翌月の10月1日、第二乙種で仙台の第二師団歩兵第四連隊に入営します。昭和19年1月、スマトラに向かうため、乗船予定の大阪に向かいますが、途中、上野駅で太宰と会うことになります。太宰はこの時の出会いを「未帰還の友に」、として書いています。
「…昭和十八年の早春に、アス五ジ ウエノツクという君からの電報を受け取った。……
…三時間も遅れた。僕は改札口のところで、トンビの両袖を重ねてしゃがみ、君を待っていたのだが、内心、気が気でなかった。……
…ざッざッざッという軍靴の響きと共に、君たち幹部候補生二百名くらいが四列縦隊で改札口へやって来た。僕は改札口の傍で爪先き立ち、君を捜した。君が僕を見つけたのと、僕が君を見つけたのと、ほとんど同時くらいであったようだ。……
…「酒を飲みたいね。」と僕は、公園の石段を登りながら、低くひとりごとのように言った。
「それも、悪い趣味でしょう。」
「しかし、少くとも、見栄ではない。見栄で酒を飲む人なんか無い。」
僕は公園の南洲の銅像の近くの茶店にはいって、酒は無いかと聞いてみた。有る筈はない。お酒どころか、その頃の日本の飲食店には、既にコーヒーも甘酒も、何も無くなっていたのである。…」。
当時としてはこのような出会いはよくあったのでしょうか。太宰が三時間もよく待ったものです。西郷南州の銅像の傍に当時は三軒ほどのお茶店があったようです(昭和15年の地図)。現在は一軒しか残っていませんでした。
★写真は現在の上野駅構内です。長距離列車の発着ホームがこの奥にあります。戸石泰一はこの先の改札口を抜けて来たのだとおもいます。