<「東北文学」 河北新報社発行>
太宰治は昭和20年7月の甲府から青森
金木への疎開の道すがらを、昭和21年11月の「東北文学」に掲載しています。このエッセイ?を元に、上野から金木までの道筋を辿ってみました。
「東北文学」昭和21年11月号から、太宰治「たずねびと」の書き出しです。
「 この「東北文学」という雑誌の貴重な紙面の端をわずか拝借して申し上げます。どうして特にこの「東北文学」という雑誌の紙面をお借りするかというと、それには次のような理由があるのです。
この「東北文学」という雑誌は、ご承知の如く、仙台の河北新報社から発行せられて、それは勿論(もちろん)、関東関西四国九州の店頭にも姿をあらわしているに違いありませぬが、しかし、この雑誌のおもな読者はやはり東北地方、しかも仙台附近に最も多いのではないかと推量されます。
私はそれを頼みの綱として、この「東北文学」という文学雑誌の片隅を借り、申し上げたい事があるのです。
実は、お逢いしたいひとがあるのです。お名前も、御住所もわからないのですが、たしかに仙台市か、その附近のおかたでは無かろうかと思っています。女のひとです。…」。
相変わらずの太宰の書き出しです。”わずか拝借して”とか、”私はそれを頼みの綱として”とかを読むと直ぐに太宰治だと分ります。
★写真は河北新報社「東北文学」創刊号です。昭和21年11月の「東北文学」は入手困難のため創刊号を掲載しました。文学雑誌らしい表紙です。