<「私の遍歴時代」 三島由紀夫>
三島由紀夫の「私の遍歴時代」は昭和38年1月10日から5月23日まで、東京新聞に連載されたものです。太宰治と三島由紀夫が出会ったのが昭和21年12月ですから、16年も経っています。それにしても、三島由紀夫はよほど太宰治が嫌いだったようです。
「 多少時間が前後するかもしれないが、太宰治氏とのつかの間の出会も、記録しておかねはならぬ出来事にちがいない。……
…古本屋で、「虚構の彷徨」を求め、その三部作や「ダス・ゲマイネ」など
を読んでいたが、太宰氏のものを読みはじめるには、私にとって最悪の選択であったかもしれない。それらの自己戯画化は、生来私のもっともきらいなものであったし、作品の裏にちらつく文壇意識や、笈を負って上京した少年の田舎くさい野心のごときものは、私にとって最もやりきれないものであった。…」
三島由紀夫はエリート意識が強いのでしょうか。私小説が嫌いだったようです。読者から見れば、私小説ほど面白いものはありません。実際に起こっていることなのですから、(小説は事実そのものなのですから!) 三島由紀夫には面白い私小説は書けませんね。エリート意識が強いため、太宰のような生活はおくれません。(羨ましかった?)
「…太宰氏を訪ねた季節の記憶も、今は定かではないけれど、「斜陽」の連載がおわった頃といえば、秋ではなかったかと思われる。……
…場所はうなぎ屋のようなところの二階らしく、暗い階段を昇って唐紙をあけると、十二畳ほどの座敷に、暗い電燈の下に大ぜいの人が居並んでいた。……
…しかし恥かしいことに、それを私は、かなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で、言ったように思う。即ち、私は自分のすぐ目の前にいる実物の太宰氏へこう言った。
「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」
その瞬間、氏はふっと私の顔を見つめ、軽く身を引き、虚をつかれたような表情をした。しかしたちまち体を崩すと、半ば亀井氏のほうへ向いて、誰へ言うともなく、
「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」…」
太宰治と三島由紀夫が出会った日については、昭和22年1月等いろいろ書かれていましたが、昭和21年12月14日が正しい日付です。下記の中村稔氏の書いた「私の昭和史 戦後編上」にも書かれていますが、三島由紀夫の日記に太宰治と亀井勝一郎に出会った日が書かれていました。2005年発行の新潮社版「三島由紀夫全集補巻」の中に会計日記が掲載されており、ここに昭和21年12月14日(土)の日記を掲載します。
「○12月14日(土) 帰途カマクラ文庫へ寄り
木村氏に原稿みてもらふために渡す
午後四時中野で待合せ。
高原君のところにて酒の会、
太宰、亀井両氏みえらる。
夜十二時帰宅 …」
間違いなく12月14日です。
★写真はちくま文庫版の「私の遍歴時代」です。三島由紀夫のエッセイ集としては面白いです。率直に自身の意見を述べています。