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最終更新日:2006年3月26日

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●三島・三津浜を歩く 初版 02/9/28 二版 03/10/13 追加、修正 <V01L02>
  坂口安吾を巡るは、新潟が一回残っているのですが、今週は安吾から離れて、太宰治の三島を歩いてみたいとおもいます(安吾の新潟は次回に紹介します)。太宰治は静岡県に何回か滞在していますが、今回は特に三島と三津浜を訪ねてみたいとおもいます。

<三島駅>
 「八年まえの事でありました。当時、私は極めて懶惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過したことがあります。五十円を故郷の姉から、これが最後だと言って、やっと送って戴き、私は学生鞄に着更の浴衣やらシャツやらを詰め込み、…自信あり気に友人達を汽車に乗せたものの、さてこんなに大勢で佐吉さんの小さい酒店に御厄介になっていいものかどうか、汽車の進むにつれて私の不安は増大し、そのうちに日も暮れて、三島駅近くなる頃には、あまりの心細さに全身こまかにふるえ始め、幾度となく涙ぐみました。…三島駅に降りて改札口を出ると、構内はがらんとして誰も居りませぬ。ああ、やはり駄目だ。私は泣きべそかきました。駅は田畑の真中に在って、三島の町の灯さえ見えず、どちらを見廻しても真暗闇、稲田を撫でる風の音がさやさや聞え、蛙の声も胸にしみて、私は全く途方にくれました。…やがてバスは駅前の広場に止り、ぞろぞろ人が降りて、と見ると佐吉さんが白浴衣着てすまして降りました。私は、唸るほどほっとしました。」、は太宰の「老ハイデルベルヒ」(アルトハイデルベルヒ)の書き出しです。この小説の主人公は太宰治本人で、”三島の酒屋の息子の佐吉さん”とは、友人の坂部武郎のようで、三島を題材にしています。書かれたのは昭和16年に清水に滞在したときです。

左上の写真が、現在のJR三島駅南口です。三島駅はJRの新幹線、東海道線と伊豆箱根鉄道の三本の鉄道が乗り入れています。この小説が昭和7年の頃の三島駅をえがいたとすると、現在の三島駅ではなくて、下土狩駅(丹那トンネル開通前の三島駅)だとおもわれます。

  太宰治の静岡年表

和  暦

西暦

年    表

年齢

太宰治の静岡を歩く

作  品

昭和7年
1932
満州国建国
5.15事件
24
8月 初代と静岡県静浦村の坂部啓次郎方に滞在 思い出
昭和9年
1934
 
26
8月 静岡県三島市の坂部武郎方に滞在 ロマネスク
昭和16年
1941
真珠湾攻撃、太平洋戦争
33
2月 清水市の三保の松原に滞在 新ハムレット
昭和22年
1947
中華人民共和国成立
39
2月 田中英光の疎開宅前の安田屋に滞在 斜陽

<坂部啓次郎方> 二版 03/10/13 追加
 昭和7年7月、太宰は青森警察署に出頭します。その後釈放され、8月に初代と一緒に静岡県静浦村の坂部啓次郎方に滞在します。坂部啓次郎宅は金木の実家の番頭北芳四郎の妻の実家だったようです。猪瀬直樹の「ピカレスク」では、「…坂部啓次郎の家は、さいわいなことに造り酒屋であったから、酒はいくらでもあった。石造りの酒造蔵があり、母屋では対人相手に酒の小売りもしていた。啓次郎には仕事を手伝うでもなくぶらぶらしている弟がいた。坂部武郎である。…」。この弟の武郎は後に三島で酒屋をはじめます。太宰はここで「思い出」を書きます。

左の写真が坂部啓次郎方です。現在も坂部酒店のままで、建物も当時のままだとおもわれます。「英勲」という日本酒をつくられているようです。場所的には三島というよりは沼津から伊豆長岡方面に向かって国道414号を5Km程のところで御用邸のちかくです。

<坂部武郎酒店跡>
 昭和9年8月、太宰は執筆のため、再び三島を訪れます。今回は一人で泉町の坂部武郎酒店に居候します。坂部武郎酒店のことを「老ハイデルベルヒ」では『「佐吉さん。僕、貧乏になってしまったよ。君の三島の家には僕の寝る部屋があるかい。」 佐吉さんは何も言わず、私の背中をどんと叩きました。そのまま一夏を、私は三島の佐吉さんの家で暮しました。……私が二階で小説を書いて居ると、下のお店で朝からみんながわあわあ騒いでいて、佐吉さんは一際高い声で、「なにせ、二階の客人はすごいのだ。東京の銀座を歩いたって、あれ位の男っぶりは、まず無いね。喧嘩もやけに強くて、牢に入ったこともあるんだよ。唐手を知って居るんだ。見ろ、この柱を。へこんで居るずら。これは、二階の客人がちょいとぶん殴って見せた跡だよ。」と、とんでも無い嘘を言って居ます。』、太宰はこれを自分で書いているのですから、自信のほどもすごいですね。

左上の写真の左側数軒が坂部武郎酒店跡です。かなり大きな酒屋さんだったようで現在は複数の家に分割されてしまっています。

<松根印刷所>
 太宰は一人で泉町の坂部武郎酒店に居候しますが、友人の坂部武郎には妹がいたため、気兼ねして、夜は近くの松根印刷所の二階に泊まるようにしていたようです。坂部武郎の妹さんについては、『窓に侍りかかり、庭を見下せば、無花果の樹蔭で、何事も無さそうに妹さんが佐吉さんのズボンやら、私のシャツやらを洗濯して居ました。「さいちゃん。お祭を見に行ったらいい。」と私が大声で話しかけると、さいちゃんは振り向いて笑い、「私は男はきらいじゃ。」とやはり大声で答えて、それから、またじゃぶじゃぶ洗濯をつづけ、「酒好きの人は、酒屋の前を通ると、ぞっとするほど、いやな気がするもんでしょう? あれと同じじゃ。」と普通の声で言って、笑って居るらしく、少しいかっている肩がひくひく動いて居ました。妹さんは、たった二十歳でも、二十二歳の佐吉さんより、また二十四歳の私よりも大人びて、いつも、態度が清潔にはきはきして、まるで私達の監督者のようでありました。』、と書いています。この小説に出てくる佐吉さんの妹の”さいちゃん”は、坂部武郎の妹の”愛子さん”のことで、実在しています。

右の写真は、現在も残っています松根印刷所です。武部武郎酒店から100m位の近さで、この印刷所の二階で太宰は寝ていたようです。

<ララ洋菓子店>
 太宰の小説「満願」も三島について書かれたものです。「これは、いまから、四年まえの話である。私が伊豆の三島の知合いのうちの二階で一夏を暮し、ロマネスクという小説を書いていたころの話である。或る夜、酔いながら自転車に乗り、まちを走って、怪我をした。右足のくるぶしの上のほうを裂いた。疵は深いものではなかったが、それでも酒をのんでいたために、出血がたいへんで、あわててお医者に駈けつけた。まち医者は三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似ていた。……その時刻に、薬をとりに来る若い女のひとがあった。簡単服に下駄をはき、清潔な感じのひとで、よくお医者と診察室で笑い合っていて、ときたまお医者が、玄関までそのひとを見送り、「奥さま、もうすこしのご辛抱ですよ。」と大声で叱咤することがある。お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛抱ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。八月のおわり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横坐りに坐っていた奥さんが、「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと嚇げた。ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくる くるっとまわした。「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。三年、と一口にいっても、−胸が一ばいになった。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。」、と、と、なんと言っていいのか分かりませんが、古典的なおもしろさとも言っていいのでしょうか、なかなかおもしろい短編です。三島アメニテイ大百科のホームページを見ると「 『満願』に出てくる喫茶店は、広小路のララ洋菓子店で、店の菊川千代子さんに対する太宰の好意の逸話はほほえましいものがあります。」 、とも書かれています。文章のなかに”喫茶店”は出てこないのですが、小説上の”小学校の先生の奥さま”とはこの喫茶店の奥様だったのでしょうか。

左上の写真が広小路のララ洋菓子店です。残念ながら時間がなくて味見ができませんでした。場所は伊豆箱根鉄道の三島広小路駅の直ぐそばで、近くに鰻で有名な「桜屋」があります。


<安田屋旅館>
 太宰は戦後の昭和22年2月、下曽我に疎開していた太田静子を訪ねます。この時、太宰は太田静子の日記を預かります。この日記が後の「斜陽」の元になります。またこの出会いで太田静子は身ごもります。太宰は下曽我で太田静子の日記を預かった後、静岡県沼津市三津浜の安田屋旅館に向かいます。友人の田中英光の疎開宅の前が安田屋旅館であったためです。この当りの詳細は「斜陽日記を巡る」を見て頂ければよく分かります。

右の写真が安田屋旅館です。建物は当時のままで、太宰が「斜陽」を執筆した部屋も当時のまま保存されています。


太宰 三島地図


【参考文献】
・斜陽日記:太田静子、石狩書房
・斜陽日記:太田静子、小学館文庫
・あわれわが歌:太田静子、ジープ社
・手記:太田治子、新潮社
・母の万年筆:太田治子、朝日新聞社
・回想 太宰治:野原一夫、新潮社
・雄山荘物語:林和代、東京新聞出版局
・回想の太宰治:津島美知子、人文書院
・斜陽:太宰治、新潮社
・太宰治辞典:学燈社、東郷克美
・ピカレスク:猪瀬直樹、小学館
・太宰治展:三鷹市教育委員会
・人間失格他:文春文庫
・太宰治と愛と死のノート:山崎富栄
・矢来町半世紀:野平健一、新潮社
 
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