<「小説 太宰治」 檀一雄>
太宰の葬式にも行かなかった檀一雄が、太宰について数多く書いています。まあ、頼まれるから(お金になるから)書いているとおもいますが、この「小説
太宰治」が本命だとおもいます。檀一雄自身については「青春放浪」が一番面白いとおもっています。今回は先ず、檀一雄と太宰治の出会いから初めてみたいとおもいます。「小説
太宰治」からです。
「 向うから、その男がやってきた。ハンチングを斜めに冠り、二重まわしの袖をマントのふうにそよがせて、「ヤ、先日は」
「僕んとこ?」と古谷は云った。すぐ側の、古谷の自宅を訪ねてくる途中かという意味だ。
「でもいいんだ。出かけるとこだろう?」
と、その男はハンチングの庇に手をやったまま、しばらく頬を染めるようである。出かけるところに、訪ねて来た。それを自分の負目に転化するふうの素早い苦悶。
瞬間私は、秀抜な写楽の似政絵を見るようだった。
「うん、済まないけど、ちょっと出かけるとこなんだ。檀さん、紹介しよう。こっち、ほら、太宰さん」楷さされて、男はハッキリとハンチングを脱ぎとった。油の切れた蓬髪が叩頭につれてパラリとかぶる。
「ダ、ザ、イです」
「こっち、檀さん」
「檀です」
「じゃ、又」と太宰は云った。古谷は気の毒そうにためらって、
「明日にも、出直して来ない? 今日ちょっと約束があるんで」
「いいんだ。いいんだ」と太宰は、それを甘く揉み消すように、くるりと後がえり、それから歩いていった。背丈は五尺七寸ぐらいか。
心持猫背の長身が、いわば憂愁に耐えるふうに歩み過ぎた。
昭和八年の、何月のことだったか、今思いおこせない。私が古谷網武と知合になってから、ようやく十日目ぐらいのことだったろう。…」
古谷網武と檀一雄の二人が古谷邸から中井駅に向かって歩いていると、向うから太宰がやってきたシチュエーションです。もっと詳細に考えると、太宰はその頃杉並区天沼一丁目に住んでいましたから、西武鉄道下井草駅から乗車して中井駅で降りて、上落合銀座商店街を西に歩いてきたところを檀一雄達と出会ったシチュエーションとなります。なかなか素晴らしい出会いだなとおもったら、野原一夫が、違う出会いを書いていました。野原一夫の「人間
檀一雄」からです。、
「…太宰に会いたいと檀は古谷に言った。その機会はまもなくきた。檀がまだ自宅で寝ているとき、古谷の家の女中が、太宰が来ているからと呼びにきたのである。
古谷家の二階の居間で檀は太宰に会った。「此家の性格」を太宰に読ませていたらしく、その感想を古谷は訊いた。「いいもんだ。随分、いいもんだ。井伏さんも賞めていたよ」と太宰は答えた。
「檀さんがまた、君の小説を馬鹿に賞めている」と古谷が言うと、太宰はドギマギした。照れ臭さと嬉しさが、咄嗟に交錯したのだろう。…」
檀一雄の出会いは、なにか小説的です。実際は野原一夫の「人間 檀一雄」の方ではないかとおもいます。
★写真は審美社版の「小説 太宰治」です。タイトルに小説が付いていますから、内容の真実性については余り追求せず、楽しめばよいのかなともおもっています。