<「新潮 」 昭和52年10月号>
檀一雄の幼年時代については本人も書いていますが、今回は母親である高岩とみさんが「新潮」の昭和52年10月号に書いた「漂泊のかたみ」と、野原一夫の「人間
檀一雄」を参考にして歩いてみました。先ず最初は、「新潮」昭和52年10月号「漂泊のかたみ」からです。
「 一雄が亡くなり、はや二度日の秋を、迎えようとしております。明るく笑う
一雄の写真の前に、一人、庭の花を供え、いろいろと語りかけることの多い
日々になりました。
私は、一雄たち四人の幼い子供を残して、檀の家を出ております。この四人の子供たち、ことに一雄に語りたいことが、沢山ありました。けれども、それはお互いに、顔を合わせて語り合うには、その傷は深く、私にはできませんでした。私の思いを、いつか一雄にわかってもらいたいと、十数年前からつたない文に記し始めましたが、一雄は昨年の初、帰らぬ人となりました。
一雄の魂はいま平安を得て、豊かな野や山に、自在に遊んでいるのでしょうか。私もふと、幼い一雄と、故郷の野山に遊ぶ思いに誇われることがあります。…」
母親の高岩とみさんは昭和53年に新潮社から「火宅の母の記」のタイトルで出版していますが、原本はこの「新潮」昭和52年10月号の「漂泊のかたみ」です。
★写真は「新潮」昭和52年10月号です。古い「新潮」は図書館では必ずありますので読むことができます。古本屋でも良く探せば見つけることができます。