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最終更新日:2006年3月26日


●ダイエー創業者 中内功を歩く
  初版2005年10月29日 
<V01L01>

 ダイエーの創業者 中内功氏が九月に亡くなられました。横溝正史を歩いているうちに、サカエ薬局に突きあたり、中内功まで歩いてしまったようです。



<カリスマ 中内功とダイエーの戦後>
 現在のダイエーは中内家を離れ、全く関係のない会社になっています。中内功を中心とした中内家がダイエー一号店をオープンするまでを歩いてみました。「…卒業アルバムの末尾に、卒業生一人ひとりの言葉が載っている。そこには、中内とは神戸三中以来の同期生だった大森実が、「さようなら、達者で暮らせよ」と書きつけるなど、青年期特有の客気と、戦局と正面から対峠せざるを得なかった世代の屈折した心情が多く記されている。だが、中内のそれは彼らとはかなりニュアンスを異にしている。そこには、意外なパロディ精神をまじえた中内の哲学青年、文学青年ぶりが、顔をのぞかせている。中内はここでもゲーテの 『ファウスト』を原文で引用している。引用している箇所は、悲劇第一部の 「夜」。…」。戦前の神戸高等商業学校の卒業アルバムです。中内功は結構文学青年だったようです。

左の写真は新潮文庫の「カリスマ 中内功とダイエーの戦後」です。中内功さんの自伝もあるのですが、佐野眞一が書いた「カリスマ 中内功とダイエーの戦後」で歩いてみました。


中内功の神戸年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

山内功の足跡

大正11年
1922
ワシントン条約調印
-
8月2日 大阪市で父秀雄、母リエの長男として生まれる
大正15年
1926
蒋介石北伐を開始
NHK設立
4
神戸市兵庫区東出町でサカエ薬局を始める
昭和3年
1928
最初の衆議院選挙
張作霖爆死
6
4月 入江尋常小学校に入学
昭和9年
1934
丹那トンネル開通
12
4月 兵庫県立神戸第三中学校に入学
昭和14年
1939
ノモンハン事件
ドイツ軍ポーランド進撃
17
4月 兵庫県立神戸高等商業学校に入学
昭和16年
1941
真珠湾攻撃、太平洋戦争
19
12月 繰り上げ卒業
4月 日本綿花(ニチメン)に就職
昭和17年
1942
ミッドウェー海戦
19
12月 召集される
昭和19年
1944
マリアナ海戦敗北
東条内閣総辞職
レイテ沖海戦
神風特攻隊出撃
22
7月 満州からフイリッピンに転戦
昭和20年
1945
ソ連参戦
ポツダム宣言受諾
23
11月 復員、闇屋商売を始める
昭和23年
1948
太宰治自殺
26
神戸元町高架下で友愛薬局を始める
昭和26年
1951
サンフランシスコ講和条約
29
8月 大阪市東区平野町でサカエ薬局を始める
昭和32年
1957
コカ・コーラの日本販売開始
35
4月 神戸市長田区に大栄薬品工業を設立
9月23日 大阪市千林に主婦の店・ダイエー薬局始める


サカエ薬局跡>
 横溝正史の実家の薬屋から川崎造船所に向かって200m、右に曲がった正面辺りに中内功の実家「サカエ薬局」がありました。「…JR神戸駅から海側に歩いて十分ほど行ったところに、九七年春まで中内の事実上の生家が残っていた。付近にはホルモン焼き屋、一杯飲み屋が点在し、神戸という地名から一般的に連想されるファッショナブルな街、ハイカラな都市というイメージとは、およそ雰囲気を異にしている。道をへだてた筋向かいには赤い鳥居がとりつけられた小さな神社があり、その奥は時代を三十年も前に戻したような古ぼけたマーケットになっている。…」。大正15年に開店していますから、横溝正史とは若干の繋がりがあったかもしれません。赤い神社の鳥居は「横溝正史の神戸を歩く」にも書かれている松尾稲荷で、古ぼけたマーケットは稲荷市場です。サカエ薬局跡前から撮影した松尾稲荷と稲荷市場の写真も掲載しておきます。

左の写真がサカエ薬局跡の記念碑です。写真をクリックすると、空き地全体の写真になります。このサカエ薬局の建物が保存されています。神戸市垂水区の流通科学大学に移築されていました。移築されたサカエ薬局の写真を掲載しておきます(写真の真ん中の部分がサカエ薬局です)。

友愛薬局跡>
 中内功は昭和20年11月、フイリッピン戦線の生き地獄から生きて帰還します。「…「サカエ薬局」は、庶民相手の細々とした小売商売から、業者相手の闇屋商売へと大きく方向転換を図っていた。…… 砂糖が極端に欠乏していた敗戦直後、アイスキャンディーなどの甘味剤となるズルチン、サッカリンは仕入れればたちまち売れるドル箱の商品だった。 その商品を生む”魔法の薬” のフェナセチンを扱っていたのが、その後、神戸・元町の国鉄高架下のブラックマーケット内に中内と共同で「友愛薬局」という店を出すことになる井生春夫という男だった。…」。帰国後、サカエ薬局を起点として薬関係の闇屋商売を始めます。当時は物さえあればいくらでも売れた時代でした。特に神戸の国鉄高架下の商店街は関西でも有数の闇商店街でした。現在でも三ノ宮から神戸駅までガード下の商店街があり、昔の面影を留めています。

右の写真が「友愛薬局」があった高架下商店街です。場所は元町駅から一区画神戸駅寄りで、写真の入り口を入って右側に曲がった左二軒目にありました。「… 「友愛薬局」を中内と共同経営した井生は、生前、私に闇取引の実態と、商売の繁盛ぶりについて、次のように語っている。「いまの神戸大丸のところだったと思うが、元の陸軍病院がありました。そのすぐ下に神社があり、境内に散髪屋が出ていました。この男が中間ブローカーだったんです。話をつけると、散髪屋は元の陸軍病院に向かって手旗信号をおくる。しばらくすると、窓が開き、ペニシリンを投げてよこすんです。だけど、これだけじゃとても間にあいません。すぐに香港や台湾から密輸されるペニシリンに替えました。中国人ブローカーと神戸の波止場で待ちあわせ、現金とペニシリンをサッと交換するんです」。…」。凄い取引ですね。

大阪平野町 サカエ薬局跡>
 中内家は「友愛薬局」で大儲けした資金を基に大阪道修町(薬問屋街)の近くに「サカエ薬局」をオープンします。「…中内が井生と共同で、「友愛薬局」をはじめてから約三年半後の一九五一年八月、秀雄は古くから薬の問屋街として知られる大阪・道修町に隣接する平野町に、やはり父親の名前からとった「サカエ薬品」という医薬品の現金問屋を出店し、息子の博を社長に据えた。……「サカエ薬品」 の繁盛ぶりはすさまじく、大阪の新聞が「乱売の元祖、サカエ薬品」とセンセーショナルに書きたてたことも一度や二度ではなかった。朝の九時に店を開けると、店の前にはもう長い行列ができていた。道修町に本社を置く武田薬品や塩野義製薬の社員まで、「社員割引より安い」といって買いにきた。東京から大阪へ出張する会社員は、「大阪へ出張するんだけど、何か薬の注文はないか」と開くのが日常会話となった。…」。昔から、良く儲かっている業態(業種)には必ず低価格を武器にした新規参入があると言われていますが、まさにその通りになります。

左の写真の左から二軒目に「サカエ薬局」がありました。暫く前までローソンになっていたのですが、現在はローソンも無くなっていました。

大栄薬品工業跡>
 平野町のサカエ薬局から中内功は自立します。「…「サカエ薬品」を去ると同時に、功を社長に、力を専務にして神戸市の長田区に資本金四百万円で設立されたこの会社は、社名の示す通り、薬品の製造メーカーだった。… … ここで中内は大手製薬メーカーから仕入れたビタミン剤を小さく詰めかえ、「メタポリン」というプライベートブランドの薬品として売り出した。だが、無名ブランドのビタミン剤を買おうとする消費者は皆無に近かった。…」。神戸市長田区に自ら製薬会社を設立しますが、長くは続きはしませんでした。結局、小売りに戻ります。

右の写真の高台の上に「大栄薬品工業」がありました。

主婦の店ダイエー第一号店跡>
 主婦の店ダイエー一号店は大阪市旭区千林二丁目の京阪千林駅前でした。昭和32年9月の開店で、当時はダイエー薬局でしたが、近所に薬局が二軒もあり、競争の激しい地域でした。「…中内が読売新聞の三行広告をみて借りたのは、千林駅前の二十六坪の店で、元は台湾人オーナーが経営するパチンコ屋だった。開店前日、中内以下十三人の従業員はベニヤ板を敷ブトンにして、棍棒片手に店に泊まりこんだ。暴力団の殴り込みに備えるためだった。というのは、「サカエ薬品」 の繁盛で”安売り・中内” の名は業界に鳴り響いており、製薬メーカーや薬の小売商たちが暴力団を雇って中内の店をつぶす、という噂が流れていたからである。……翌二十三日午前九時、ダイエー第一号店はオープンした。ダイエーのマークはまだなく、看板の真ん中には”主婦の店”の「主」という文字を二重の丸で囲んだマークが飾られた。中内はジャンパーにゴム草履で陣頭指揮に立ち、夜十時までの十三時間、全員が立ちん坊のまま売りに売りまくった。初日の売り上げは二十八万円だった。千林の繁盛店でも一日一万円の売り上げは至難とされていた時代である。終日、客はひきもきらず、従業員が客にはじきとばされ、店内に入れなかった。…」。低価格を武器に売りまくりますが、直ぐ近くの薬局二軒も低価格路線で対抗してきたため、暫くすると売れなくなります。薬だけではだめだということでお菓子を置き始めます。これが現金仕入れによる薄利多売方式のスーパーの走りとなるわけです。この千林商店街は空襲に遭わなかったため心斎橋商店街と肩を並べるほどの集客力があったそうです。

左の写真のドラッグストアの所が主婦の店ダイエー第一号店跡です。建物も当時のままで現在も薬局ですね。近くにトポスがありますがこれはダイエー千林2号店となります。11月には閉店するそうです。


<中内功神戸地図>
<主婦の店ダイエー一号店跡>
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