kurenaidan30.gif kurenaidan-11.gif
 ▲トップページ著作権とリンクについてメール

最終更新日:2006年3月26日

akutagawa-title1.gif


●文士のカレーライスを歩く (1)
 初版 03/10/11 ニ版 03/12/07 からす亭を追加 <V01L02>

 今週はカレーライスを食べ歩いてみました。すこし一般的ですが、ときたま食べるカレーほど美味しいものはありません。今回は個性的なカレーが多かったので、食べ飽きることもなかったです。

 寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」、ではありませんが、家のなかで本ばかり読んでいては不健康なので、今週は思い切って(減量中なので気になります!)なにか食べ歩きをしてみることにしました。知り合いの女の子で、自由軒のカレーが話題になっていたので、今回はカレーの食べ歩きをしてみようとおもいました。そこで、すこし古い号の雑誌「サライ」に「あの人の愛したライスカレー」の特集があったのを思い出して、この雑誌に掲載されているカレー屋さんを回ってみました。カレーというと夏目漱石の「三四郎」にも本郷通りのカレー屋が書かれています。「…本郷の通りの淀見軒と云う所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒と云う所は店で果物を売っている。新らしい普請であった。ポンチ画をかいた男はこの建築の表を指して、これがヌーボー式だと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものと始めて悟った。…」。アールヌーボーの淀見軒の所在を探してみましたが、残念ながら本郷通りしかわかりませんでした。昭和3年に発行された大東京繁昌記で徳田秋声が「大学界隈」を書いていますが、そのなかに淀見軒が出てきます。「…後小石川にへ移ってから本郷通りの淀見軒という家があることを知ったが、神田の泉屋に比べると非文化的で、食べ物も進歩していないし、気分も粗野であるのが飽き足りなくて余り足が向かなかった。それは後に牛肉屋になったが、直にやめた。…」。三四郎(夏目漱石?)の食したカレーライスはあまり美味しくなかったようです。

左の写真が1993年10月7日号の雑誌「さらい」です。創刊4周年記念特大号で”老舗で味わう あの人の愛したライスカレー”として、特集しています。

<たいめいけん>
 この雑誌「サライ」のなかでは12軒+1軒のカレー店を紹介しています。私が最初に紹介するお店は「たいめんけん」です。このお店は池波正太郎の「銀座日記」や「むかしの味」にたびたび登場するのでよく知れたお店です。「銀座日記」では、「日本橋の[たいめいけん]に久しぶりに行き、新鮮な生ガキで白ワインをのむ。……むかしは[たいめいけん]の先代が、このあたりで小さな店を出していたのだ。その店へ私が初めて行ったのは十五歳の春で、いまだに、そのとき食べたものをおぼえている。ポーク・ソテーにカレー・ライスだった。…」。もうひとつの「むかしの味」では、「…階下の食堂は二階より安直に食べられるが、たとえば二階にあがっても、カレーライスをたのむとき、私は階下の安いほうのにしてもらう。そのほうが、なんだか、むうしの味がするからだ。[たいめいけん]の洋食には、よき時代の東京の、ゆたかな生活が温存されている。物質のゆたかさではない。そのころの東京に住んでいた人びとの、心のゆたかさのことである。…」、いまも昔の面影のあるカレーライスが食べられる「たいめいけん」の一階でした。

左の写真が日本橋の「たいめいけん」です。一昔前なら、白木屋の裏、東急百貨店の裏で、とおったのですが、いまは白木屋も東急もありません。今回は休日に出かけたのですが、かなり並んでいました。昔、会社が近くにあったころはよく食べに行っていたのですが、平日で12時前なら並ばずにたべられました。

<こけし屋>
 「こけし屋」はJR中央線西荻窪駅前にある洋菓子屋(一階)+洋食屋(二階)です。雑誌「サライ」によると、中央線沿線の文化人たちがよく利用したそうで、特に松本清張がよくきていたようです。「…松本清張は、決まって昼頃やって来てはカレーやシチューを黙々と食べ、夕方まで原稿を書いて過ごすのが常だったそう。引っ越してからも足しげく通い亡くなる年の正月にも家族に伴われて食べにきた…」。最初に「こけし屋」に来たころは練馬区上石神井に住んでいた頃とおもわれます。上石神井から西荻窪までは3Km程の距離です。次に引っ越したのは杉並区上高井戸なので、少し離れますが、それでも4Km程です。松本清張の本でこのお店が出てくる場面はないかと探してみましたが残念ながら見つかりませんでした。松本清張は私小説的なものは「「半生の記」以外はほとんど書いていないのではないでしょうか。レストランはお店の二階にあり、本格的なレストランで、ラフな格好ではいるには少し気が引けました。カレーは本格的で、コクのきいた食べ応えのある本格的カレーライスでした。

右の写真が「こけし屋」です。道の左側が西荻窪の駅です。お店の一階は洋菓子屋さんで、美味しそうなケーキやクッキーが並んでいました。私はその美味しそうなお菓子には目もくれず、エレベータで二階に上がり、ひたすらカレーを食べました。

<とんかつ河金>
 +一軒の河金はもともとは浅草国際劇場横にあり、高見順の「如何なる星の下に」では「…何か、ひけらかすようなことばかり書いたようだが、敢えてその調子をつづければ、合羽橋通りを国際通りに出る左角に「今半」があり、そのビルの二階に風呂屋がある。合羽橋通りに向けて、その入口があり、二階に「日本政府登録ロンジン精浴――ガラス湯」という看板が出ているが、……その風呂屋の下には「ときわや食堂」「丸与果実店」、それから「河金」という小屋の人々の間に有名な洋食屋、その三軒があって、さらに地下室には「花月」というビリヤードがある。…」、と書いています。浅草国際劇場も、「河金」も既になく、現存するのは「今半」のみとなっています。この浅草にあった「河金」の入谷店がこのお店です。このお店の名物カレーは丼スタイルのカツカレーです。「…とくに江利チエミちゃんは屋台時代からの常連。ルイ・アームストルングなんかもか国際で公演中は毎日来て、”ドンブリウマイ”って食べてました…」。かなり有名だったようです。この入谷のお店は入谷交差点から路地を少し入ったところにあり、お店の風采は寂しい限りです。ただ、ここの河金丼はうまいのひとことです。なんでこんなにうまいんだろうとかんがえてしまいました。時間がとれるようなら是非とも一度食べて戴きたい一品です。

左の写真が「とんかつ河金」です。お客が10人が入ると一杯になるような小さなお店です。

<レストラン五島軒(函館市)>
 東京からというより本土から離れて函館のカレー屋さんを訪ねました(友人にたのんで写真を撮ってもらいました)。このお店も有名で、函館のレストラン「五島軒」です。ホームページをみると、”新しい日本料理とも言える「函館・五島軒カレー」”と書いています。このお店でよくカレーを食べていたのが亀井勝一郎です。彼の名前を聞くと、太宰治との親交を思い出します。亀井勝一郎の自宅は吉祥寺の三鷹寄りにあり、戦後太宰がたびたび訪ね、あの太田静子ととも飲んでいます。亀井勝一郎は、明治40年(1907年)2月6日、函館で生まれ、弥生小学校、函館中学校、山形高等学校、東京帝国大学文学部と進んでいます。亀井勝一郎が書いた「函館八景」という随筆があるので読んでから追加したいとおもいます。訪ねてないのでカレーは食べられなかったのですが、実はレトルトでカレーを販売していましたので、取り寄せて頂きました。やっぱり、北海道のかれー、函館のカレーという雰囲気?の味でした。

右の写真が旧五島軒ホテル(五島軒本店旧舘)です。


<青山からす亭> 改版 03/12/07 追加
 山田耕筰がよく通った赤坂のからす亭を、今回紹介しようとおもったのですが、残念ながらお店は数年前に閉店していました。後継者がいなかったようです。ただ、親類の方が麹町三丁目で「青山からす亭」としてお店を開いていました。このお店は以前は青山で開いていたそうで、その時の名前を引き継いで、「青山からす亭」としているそうです。このお店のポークカレーは、和風というか、さっぱりした味なのですが、辛さはしっかりしており、赤坂からす亭の味を引き継いでいるようです。赤坂のお店では、山田耕筰が六本木の元防衛庁の裏に住んでいたとき、よく洋食の出前を頼まれたそうです。赤坂は昭和6年からのお店で、カラスに三本足のホークが目印です。

右の写真が麹町三丁目の「青山からす亭」です。なかなか洒落たお店でした。

<カレーライス地図 −1−>



●文士のカレーライスを歩く (2)
 初版03/10/18 二版03/12/26 資生堂パーラーのカレーの写真を追加 <V01L01>

 今週も「サライ」でカレーライスを食べ歩いてしまいました。カレーは食べはじめると、やめられませんね。銀座のお店を二軒、横浜、京都のお店を一軒づつ紹介します。今週も特徴のあるお店ばかりでした。もうカレーが喉まできています。

 村上春樹の「村上朝日堂」の付録のなかにもカレーの話がでてきます。ただ、この付録のカレーのお話は安西水丸が文を書き、村上春樹が絵を書いています(本文とは逆なのですが、村上春樹の絵はよく分かりませんでした)。「…ぼくはカレーライスが好きなのでよく食べる。一週間に三回食べている。……どうもカレーライスは子供が初めて中毒におちいる食べ物のようで、……ぼくにもしも最後の晩餐がゆるされるのだったら迷うことなく注文する。カレーライス、゛赤い西瓜をひと切れ、そして冷たい水をグラス一杯。…」、最後の晩餐にカレーを注文するのはうどうでしょうか。私なら豆腐のようなシンプルなものを注文しそうです。

左の写真は村上春樹、安西水丸の「村上朝日堂」初版本です。村上春樹のことを知るにはなくてはならない本で、私にはバイブルみたいなものです。もっとも、いつも読んでいるのは文庫本の方です。”村上朝日堂シリーズ”は全部で5巻(名前はすこしづつ違います)出版されており、「村上朝日堂」はシリーズの中で一番最初に書かれたエッセイ集です。

<資生堂パーラー> 03/12/26 資生堂のパーラーのカレーの写真を追加
 資生堂パーラーは戦前から銀座通り、銀座八丁目の角にあり、谷崎潤一郎や石坂洋次郎など、文士たちがたびたび訪れた洋食屋でした。「サライ」の中では向田邦子が紹介しています。向田邦子のエッセイはなかなか面白いのですが、特にカレーでは”昔カレー”が一番有名です。「…子供の頃は憎んだ父の気短かも、死なれてみると懐しい。そのせいかライスカレーの匂いには必ず怒った父の姿が、薬味の福神漬のようにくっついている。子供の頃、我家のライスカレーは二つの鍋に分かれていた。アルミニュームの大き目の鍋に入った家族用と、アルマイトの小鍋に入った「お父さんのカレー」の二種類である。「お父さんのカレー」は肉も多く色が濃かった。大人向きに辛口に出来ていたのだろう。そして、父の前にだけ水のコップがあった。…私は早く大人になって、水を飲みながらラィスカレーを食べたいな、と思ったものだ。…夕食は女房子供への訓戒の場であった。晩酌で酔った顔に飛び切り辛いライスカレーである。父の顔はますます真赤になり、汗が吹き出す。ソースをジャブジャブかけながら、叱言をいい、それ水だ、紅しょうがをのせろ、汗を拭け、と母をこき使う。うどん粉の多い昔風のライスカレーのせいだろう、母の前のカレーが、冷えて皮膜をかぶり、皺が寄るのが子供心に悲しかった。…」。やっぱり”寺内貫太郎一家”そのものですね。テレビで放映されていたのをおもいだします。ところで資生堂パーラーにカレーを食べに行ったのですが、カレーよりもチキンライスのほうがとても美味しそうに見えたので、チキンライスコロッケを先に食べてしまいました。日をあらためて、ついにカレーライスも食べました!

左の写真が銀座八丁目角の「資生堂パーラー」です。向田邦子の「父の詫び状」の中の”昔カレー”に実名で登場します。「…出版社に就職して、残業の時にお世話になった日本橋の「たいめい軒」と「紅花」のカレー。銀座では「三笠会館」、戸川エマ先生にご馳走になった「資生堂」のもおいしかった。キリのほうでは、バンコクの路上で食べた一杯十八円ナリの、魚の浮き袋の入ったカレーが忘れ難い。…」、資生堂パーラーのカレーはほんとうに美味しかったようです。「たいめい軒」は前回に紹介しましたし、「紅花」でカレーはどうでしょうか、三笠会館は何処かで紹介したいとおもいます。

<グリルスイス>
 このお店はプロ野球選手の千葉茂がよく通ったお店で有名です。文士たちではなくて残念なのですが、このお店のカツカレーを発明したのが千葉茂なのです。千葉茂は戦前、戦後を通じて巨人の名二塁手として活躍、近鉄バファローズの監督もつとめています。野球が終わった後、カレーをよく食べに来たそうですが(カレーではなくて、銀座に遊びに来ていた!)、カレーだけではもの足りないため、カツを別に頼んでいたのですが、「重ねた方がボリームがある」とおもいつき、カツとカレーを一緒にしてカツカレーにしてしまったそうです。愛称「チバカツ」、なかなかの味です。銀座三丁目なのでお値段も銀座並でした。

右の写真が「グリルスイス」です。戦後、銀座七丁目で開店し、六丁目をへて現在の三丁目のお店になっています。住所は東京都中央区銀座3-5-16です。

<梅香亭(横浜市)>
 東京からすこし離れて、横浜にカレーを食べに行きました。横浜球場のすぐ側の、昔ながらのお店でした。このお店は大仏次郎が昭和6年から開戦まで、ホテルニューグランドに宿泊していたときによく食べに来たお店だそうです。戦前のお店は空襲で焼けてしまいましたので、現在のお店は戦後建てられたお店なのですが、当時そのままの雰囲気で、なんというか、カレーというよりは、戦前の喫茶店という雰囲気です。梅香亭は大正12年の創業で、大仏次郎が執筆に疲れると、梅香亭と近くのバー「マスコット」にきたそうです。飲む前なら醤油味のビフテキ、飲んだ後はカレーと決まっていたそうです。また、かならず10円のチップをくれたそうです(10円で普段着の着物が一着買えた)。

左の写真が「梅香亭」です。お店の前も、中も、カレーも昔のままのお店でした。住所は横浜市中区相生町1-1です。

<東洋亭(京都市)>
 今年の夏に京都を訪ねたときに食べてきました。「サライ」によると、「…社長の山本和子さんがいう。『湯川先生は、大抵は何人かお連れさんといらして、よくビーフカレーを召し上がりました。物静かで穏やかな先生で、私らはノーベル賞をもらうなんて思わしませんから、そのときは本当にうれしくて』…」、と書いています。湯川先生とは、ノーベル物理学賞を受賞された京都大学湯川秀樹博士の事です。つまり、ここのカレーを食べるとノーベル賞が貰える、頭のよくなるカレーなのです。ほんとうかな…!!。この東洋亭は湯川博士の他、ノーベル賞を受賞された朝永博士も来られるそうです。カレー自体はしっかりした味で、食べ応えのあるビーフカレーでした。美味しかった。

右の写真が東洋亭です。河原町通りと丸太町通りの交差点側にあり、京都風に地名をいうなら、”京都府上京区河原町丸太町上ル東側”となります。

しばらくカレーは見たくな〜い !!

<カレーライス地図 −2−>




【参考文献】
・さらい 1993年10月7日号:小学館
・池波正太郎の銀座日記(全):池波正太郎、新潮文庫
・むかしの味:池波正太郎、新潮文庫
・漱石全集:夏目漱石、岩波書店
・大東京繁昌記 山の手篇:平凡社
・村上朝日堂:村上春樹、安西水丸、若林出版企画
・父の詫び状:向田邦子、文春文庫

 ▲トップページページ先頭 著作権とリンクについてメール