今週は趣を変えて、出版社である「中央公論社」の足跡を歩いてみたいと思います。中央公論社は平成11年2月(1999)読売グループ傘下に入り、中央公論新社として再スタートを始めています。経営危機が表面化したのは平成7年(1995)頃からで、これにバブル後の不況も追い打ちをかけて150億円の借金を抱えて、身動きが取れなくなっていました。読売新聞社の渡辺社長が前会長と懇意であり、大学卒業後中央公論社を受験した(満点だった)という因縁もあって、読売グループが支援する事になった様です。中央公論社自体は、明治20年(1887)京都で西本願寺の支援の元に『反省会雑誌』を創刊したのが初めで、明治45年からの滝田樗陰主幹時代には夏目漱石、吉野作造らを登場させ、大正デモクラシーの理論的雑誌として注目され、発刊部数を大幅に伸ばしています。昭和3年(1928)、嶋中雄作氏が社長に就任してからも進歩的言論の伝統を受け継いでいましたが、戦時中の昭和19年、言論弾圧事件として知られている横浜事件で解散を命じられ廃刊となっています。戦後はすぐに復刊し、代表的な総合雑誌として数多くの読者を獲得していました。 |