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最終更新日:2006年3月26日

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浅見光彦とは、東京都北区西ヶ原3丁目在住。年齢33歳、独身
三流私立大学を卒業後、会社を転々としたが現在は「旅と歴史」などのルポライター(フリー)

亡き父親は大蔵官僚、母親(雪江)、兄夫婦と同居、愛車はソアラ(ローンに苦しんでいる)
兄・陽一郎は、東大法学部を主席で卒業。警察庁に入り、現在は警察庁刑事局長

非常によくもてるが女性には奥手、高所恐怖症のため飛行機が大嫌い
好きな食べ物は平塚亭の団子

●浅見光彦と西ヶ原・王子を歩く(第一弾) 初版00/09/02 <V02L01>

 今日は推理小説ファン必見の浅見光彦ミステリー紀行第一弾としてJR上中里駅から西ヶ原一里塚まで歩いてみました。
 ※浅見光彦が分からないとあまり面白くありません!!

kaminakazato1w.jpg JR京浜東北線は山手線と平行に走る区間、昼間の時間帯は快速になり、品川から田町、東京、秋葉原、上野、田端まで軽快に走ります。どういう訳か快速でないときは京浜東北線より山手線のほうが早いのです。今日の目的地は山手線が分かれる田端駅の次の駅、上中里駅です。上中里駅は出口が田端側の一カ所しかなく、東北上越新幹線の高架と西ヶ原の台地に挟まれた小さな駅です。「神社の脇の坂道を下ってゆくと、JR京浜東北線の上中里駅がある。坂は朝と夕方、通勤通学の人びとで賑わう。坂下から直接境内へ登る急な石段もある。千賀は美容と健康のために、駅からの帰りには、なるべく石段を登り、境内を通ることにしている。」浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)「金沢殺人事件」に出てくる上中里駅の場面です。左の写真は上中里駅から平塚神社へ登っていく蝉坂です。右側に平塚神社があり、上記の「坂下から直接境内へ登る急な石段もある。」の階段も坂の途中にあります。本当に内田康夫さんの小説はその場面の描写が非常にうまく、読者がまさにその場面にいる雰囲気を作り出します

<平塚神社>
 「生まれ育って三十年も見慣れた風景だが、浅見は、上中里駅から西ケ原にかけての一帯の街並みが好きだ。おそらく、東京二十三区のどこよりも開発が立ち遅れていると思われるこの街には、旧い東京のたたずまいが色濃く残っている。hiratsuka1w.jpg上中里駅から旧電車通りへ登ってゆくダラダラ坂の右側には、源 頼朝を祭る平塚神社の宏大な境内が続く。」は同じく浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)「平家伝説殺人事件」です。右の写真の通り、森に囲まれた簡素な神社です。平塚神社の参道を岩槻街道の方へ歩いていくと、途中から浅見光彦がソアラでいつも使っている駐車場になります。

 平塚神社一帯は豊島郡の郡衛があった所で、平安末期に豊島近義がここに平塚城を築いています。「平塚明神縁起」によれば、後三年の没(1083〜1087年)の帰途、平塚城に宿泊した源義家・義綱・義光の三兄弟が近義の厚いもてなしに感謝し、鎧一領と十一面観音像を下賜したそうです。近義は城の鎮護のためにこの鎧を城内に埋め、甲冑塚を作って一社を建立しています。これが平塚神社の興りと伝えられています。平塚城は文明十年(1478)、太田道灌に攻められて落城しました。江戸時代にこの地に住んだ鍼医で当道座検校山川城官貞久は、三代将軍家光の病の平癒を平塚明神に祈願し、願いが叶ったので社殿と別当の城官寺を再興したといわれています。このため、家光は二百五十石を与えています。(江戸東京歴史ウォークを参照)

 
hiratsuka2w.jpg<平塚亭 つるをか>
 「浅見は『平塚亭』に寄って、串団子を甘辛五本ずつ、買った。ここの団子を母親の雪江が好物で、母を籠絡するにはこれに限った。この日、”籠絡”の必要性があったわけでもないのに、どういうわけか団子を買う気になったのは、虫の知らせの続きのようなものかもしれない。思いもかけぬ珍客が、浅見の帰宅を待ち佗びていたのだ。」も同じ浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)の「平家伝説殺人事件」からです。平塚神社の横の蝉坂を登って岩槻街道(本郷通り)に出ると、すぐ左の平塚神社入り口の横に「平塚邸 つるをか」があります。昔はお店の中でも団子等を食べさせていたそうですが、今はお店で販売するのみです。私も串団子と豆大福を買い求めました。残念ながら味はそれほどでもありません。ただ串団子か出来立てだったのですぐに食べると美味しかったです。家に持ち帰って食べると?それと豆大福がそこそこの味でした。きなこおはぎが美味しそうでしたが、まだ食べていません。やはり自らが浅見光彦になって、白のソアラで本郷通りを軽快に走ってきて、平塚神社の駐車場に停めて、平塚亭にさっそうと入って団子を買う。これです。これでないと平塚亭の串団子は美味しくないのですね!!

<西ヶ原一里塚> 《国指定史跡》
  平塚神社、平塚亭を過ぎて岩槻街道を更に王子方向に歩いていきます。「地震の科学館」、「滝野川公園」、「大蔵省印刷局滝野川工場」と順に歩いていくと「滝野川警察署前」に西が原一里塚(国指定史跡)があります。西ヶ原一里塚は、本郷追分の次の一里塚で、日本橋から数えると日光御成道の二番目の一里塚にあたります。(日本橋から二里になります)岩淵宿から船で川口宿に渡ると、幸手宿で日光街道に合流しました。岩槻藩主の参勤交代にも使用されたので岩槻街道とも称されました。都内唯一の一里塚で貴重な文化財となっています。当時の位置に左右の塚が保存されているのは、ここだけです。塚上に二本榎保存之碑があります。

 作家の内田康夫はこの西ヶ原一里塚バス亭の裏に住んでいたそうです。今は軽井沢の作家先生になっています。

<内田 康夫 うちだやすお(昭和9年11月15日〜:62歳)>
推理作家、日本推理作家協会会員、日本文芸家協会会員
東京都北区生まれ 東洋大学文学部卒
 コピーライター、テレビCM制作会社を経て、昭和55年「死者の木霊」で作家としてデビュー。57年から文筆に専念。特にフリーライター・浅見光彦を主人公とする作品に人気があり、映画化、テレビ化された作品も多い。作品に「本因坊殺人事件」「後鳥羽伝説殺人事件」「『萩原朔太郎』の亡霊」「平家伝説殺人事件」「遠野殺人事件」「高千穂伝説殺人事件」「天河伝説殺人事件」「華の下にて」「蜃気楼」「透明な遺書」「姫島殺人事件」「幸福の手紙」などがあります。

第二弾は浅見光彦の自宅を探しながら、王子駅まで歩いて見たいと思います。

西ヶ原付近地図


【参考文献】
・金沢殺人事件:光文社 内田康夫
・浅見光彦のミステリー紀行:光文社 内田康夫
・江戸東京歴史ウォーク:歴史と旅3/10増刊号

【交通のご案内】
・平塚神社:京浜東北線「上中里駅」下車すぐ
・平塚亭:京浜東北線「上中里駅」下車すぐ

【見学について】
・平塚神社:東京都北区上中里1-47
・平塚亭:東京都北上中里1-47-2 電話03-3915-0277


●浅見光彦と西ヶ原・王子を歩く(第二弾) 初版00/09/16 <V02L01>

 今日は推理小説ファン必見の浅見光彦ミステリー紀行第二弾として滝野川警察署から西ヶ原一里塚バス停付近を歩いてみました。
 ※必見!!浅見光彦の自宅を探しだします。

 前回の西が原一里塚から引き続いて王子駅まで歩いて見たいと思います。西ヶ原一里塚の手前に滝野川署が右側にあります。「その夜遅く、滝野川警察署内に平塚神社殺人事件捜査本部が開設された。捜査本部長は署長の馬場警視正、捜査主任として、警視庁捜査一課の宮本警部が着任した。宮本は『佐渡伝説殺人事件』 の際も捜査主任を務めたことがあって、警視庁内で比較的、この方面の事情に詳しい点を重宝がられたらしい。馬場署長とも小掘刑事課長とも顔馴染みで、仕事がしやすいということもあったのだろう。」は浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)の「金沢殺人事件」に出てくる滝野川署の場面で、その他の殺人事件でも度々登場しますので皆様よくご存じですね。左の写真が滝野川署で、警察署の左側に鳥居が少し見えていますが、七社神社の鳥居です。名称が示すように祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・応神天皇・仲哀天皇の七神です。(ほとんど読めませんね!)

ichirizuka1w.jpg<浅見家を探す>
 ここから西ヶ原三丁目にあるといわれています浅見家を探してみたいと思います。まず必要なデータをさまざまな浅見光彦に関する本から集めてみたいと思います。「浅見家のある北区西ヶ原へは、東大前からバスで一直線であった。東京にはめずらしく、あまり大きなビルのない古い住宅街だ。バスを降りて表通りのパン屋で訊くと、すぐに分かった。長い板塀に囲まれた瓦葦きの宏壮な二階家である。」は浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)の「後鳥羽伝説殺人事件」の中に書かれています。この文章から、東大から一直線の表通りは本郷通り/岩槻街道と考えました。でバン屋さんを探しましたが残念ながら小説の中のパン屋さんでした。次にバス亭は右の写真の「一里塚」と推定しました。前後のバス亭では遠すぎます。

asamike1w.jpg<浅見家は此処だ>
 次のデータは「「通り道」だからと塚原は言ったが、浅見は恐縮して、自宅の五、六百メートルばかり手前の表通りで降ろしてもらった。/元は都電が走っていた表通りから、浅見の家へは車一台がやっと・・・という細い路地になる。しかも一方通行の出口で、車はずっと回り道をしてこなければならない。」は浅見光彦ミステリーシリーズ(作家は内田康夫)の「平家伝説殺人事件」の中に書かれています。自動車から降ろしてもらったのは「一里塚」のバス亭近くで、其処から自宅へは5,600mと考えていいと思います。ただ車一台しか通れない一方通行出口の道がありません。これも小説の道なのかもしれません。その他のデータでは「滝野川警察署から500m、とげ抜き地蔵までは染井霊園を通るのか最短ルート、平塚亭までは7,800m」とあり、西ヶ原3丁目交差点から滝野川警察署方面に少しいった所が本命の場所と考えられます。番地でいうと西ヶ原3丁目23から30位と推定しました。(下記の地図を参照して下さい)その地域で「長い板塀に囲まれた瓦葦きの宏壮な二階家」を探す訳です。荘厳な二階家では左の写真、板塀の荘厳な家では右下の写真の家になります。 ほんとうかな!

asamike2w.jpg浅見光彦倶楽部
■開館時間  AM10:00〜PM5:00(入館はPM4:00まで)
■休 館 日 毎週火・水曜日(当日が祝日の場合は開館)
■入 館 料 会員は無料(会員証を提示)
         非会員は、大人500円、高校生以下200円
◎入会方法
1.80円切手を貼った返信用封筒を同封し、浅見光彦倶楽部事務局へ「入会申込み資料請求」をします。
2.事務局から申込み用紙と振込用紙が送られてきたら会費を振込み、申込み用紙に必要事項を記入して事務局へ送ります。
3.会員証と「浅見ジャーナル」の最新号が送られてきます。

◎浅見光彦倶楽部事務局の連絡先(資料請求先)
 〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町長倉504

<テレビでの浅見光彦シリーズ放映状況>
テレビ局系列 名称 放送日 出演者
日本テレビ系列 火曜サスペンス劇場 火曜日午後9:03〜10:54放送中 浅見光彦:水谷豊
浅見陽一郎:高橋悦史
浅見雪江:乙羽信子

第8作まで放映されました。、現在は、立花陽介通信局シリーズとし放映されています。
TBS系列 月曜ドラマスペシャル 月曜日午後9:02〜10:54放送中 浅見光彦:辰巳琢郎
沢村一樹(第14回目から)
「後鳥羽伝説殺人事件」で9月4日に放映されています。
浅見陽一郎:村井国夫
浅見雪江:加藤治子
フジテレビ系列 金曜エンタテイメント 金曜日午後9:00〜10:52放送中 浅見光彦:榎木孝明
浅見陽一郎:西岡徳馬
浅見雪江:野際陽子


第三弾は飛鳥山公園から王子駅周辺(扇屋、石鍋商店等)歩いて見たいと思います。

浅見家付近地図
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【参考文献】
・金沢殺人事件:光文社 内田康夫
・浅見光彦のミステリー紀行:光文社 内田康夫
・江戸東京歴史ウォーク:歴史と旅3/10増刊号

【交通のご案内】
・平塚神社:京浜東北線「上中里駅」下車すぐ
・平塚亭:京浜東北線「上中里駅」下車すぐ

【見学について】
・平塚神社:東京都北区上中里1-47
・平塚亭:東京都北上中里1-47-2 電話03-3915-0277


●浅見光彦と西ヶ原・王子を歩く(最終回) 初版00/09/30 <V02L01>

 今日は最終回として飛鳥山公園から王子駅付近を浅見光彦とは特に関係なく歩いてみました。

shibusawa1w.jpg 今回は一里塚バス停から王子駅周辺を紹介します。一里塚バス停の道の反対側が丁度渋沢邸跡です。木々に囲まれた渋沢栄一の旧邸は「晩香廬」、「青淵文庫」、「渋沢資料館本館」からなっており、いつでも見学する事ができます。
<曖依村荘>
 曖依村荘と呼ばれた旧渋沢邸は、明治11年(1878)に接待用の別荘として建設され、明治34年(1901)から渋沢栄一が亡くなるまでの30年間は本邸として使用されていました。この邸の名は、中国の詩人陶淵明の詩の一節「曖々遠人村、依々墟里煙」によるものと伝えられています。昭和20年のの東京空襲により大部分の建物を失いましたが、「晩香廬」「青淵文痺」(いずれも東京都の歴史的建造物)は焼失を免れ、今日に至っています。「晩香廬」は栄一の喜寿を祝って、清水建設から贈られた建物です。竣工は大正6年(1917)。暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具も添えられた洋風茶室です。その名の由来は諸説ありますが、自作の詩「菊花晩節杏」から取ったとも、また「バンガロー」をもじって栄一が付けたとも言われています。「青淵文庫」は栄一の80歳のお祝いと男爵から子爵への昇格のお祝いをかね、竜門社が寄贈した建物です。栄一の雅号「青淵」にちなんで名付けられ、栄一の書庫として使用されました。(渋沢資料館パンフレットより)
左の写真は「青淵文庫」です。ステンドグラスや家紋のタイルが素晴らしいです。是非一度見て下さい。

<渋沢栄一>
 渋沢栄一は、天保11年(1840)2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。一橋慶喜に仕え、のちに慶喜が15代将軍職になると幕臣となっています。その後、慶喜の弟・昭武に随行してパリ万国博覧会へ赴き、ヨーロッパ各地を見聞、新しい世界に目を開きました。明治維新後は大蔵省に仕えましたが、自ら経済活動に携わり国を豊かにしようと大蔵省を去り、第一国立銀行の総監役となりました。「道徳経済合一説」を唱え古希を機に大部分の企業の役職から引退するまで、約500にのぼる会社の設立や経営に関わり、昭和6年(1931)11月11日、91歳の生涯を閉じました。(渋沢資料館パンフレットより)

<飛鳥山公園>
 桜の名所として有名な飛鳥山公園ですが、徳川八代将軍吉宗がこの地をoujijinjya1w.jpg王子権現に寄進(元文2年、1737)したことから始まっています。享保5〜6年(1720〜21)に、1,270本もの苗木を植えています。当時、桜の名所といえば上野で、そこでは武家中心でした。それに対して、飛鳥山は向島とともに庶民に開放されており、仮装した人たちによるにぎやかな花見が行われていました。明治6年には、我が国最初の都市公園に指定されています。

<王子神社>
 王子神社は、元亨2年(1322)この地の領主であった豊島氏が、紀州熊野三社より勧請したことにはじまり、王子権現として親しまれてきました。王子の地名はここに由来するといわれています。ここの大イチョウは、都の天然記念物に指定されています。この王子神社には「関神社」があり、百人一首で有名な蝉丸法師を祭っています。又この神社は「髪の祖神」として知られ、全国のかつらやさんや理容業界の神とされています。

oujiinari1w.jpg<王子稲荷>
 JR王子駅から京浜東北線沿いに森下通り商店街を少し歩くと、左手に王子稲荷神社が見えてきます。この神社は江戸時代には関八州の稲荷神社の総社となっています。毎年大晦日の晩に関東地方の狐が集まって、装束稲荷神社のところで高級女官の装束に改めて、行列を調えてここに参拝したという装束狐の伝説が残っています。二月の初午の日には、火難厄除けのお守りの火伏せの凧をもとめる参詣客で大賑わいとなります。

<石鍋商店のくず餅>
 森下商店街沿いに王子稲荷神社へ行く途中、右側にくず餅で有名な石鍋商店があります。「石鍋商店」は明治20年代より料理屋・茶屋等に食品を提供していた老舗です。戦後は客売りのみとし、名物の「久寿餅」は、くず粉ではなく、小麦のでんぷんを水と混ぜて1年以上かけて発酵させています。手間をかけて伝統の味を守り続けており、味は最高、特にきな粉が独特で私は大好きです。口の中に入ったときの触感は最高です。

oogiya1w.jpg<扇屋のたまご>
 「・・・王子稲荷の狐は、昔から人を化かすことで有名でした。・・・草むらで狐が一匹頭の上に草を載せている。・・・くるっと宙返りをして22、3の美しい女性に化けた。・・・ここは一つ化かされた振りをしてやれと、狐に声をかけます。「玉ちゃん、玉ちゃん。俺だよ。忘れた? こんなところでどうしたの。お稲荷さんのお参り? 奇遇だね。俺もそうだよ。ここで会ったのも何かの縁だ。よければ、そこの店で食事でも」 なんてことを言って、玉ちゃんに化けた狐を、近くの扇屋という料理屋に連れて行きます。」これは江戸落語の「王子の狐」の一節で、騙したつもりの狐が逆に人間に騙されてしまう話です。柳家小さん 古今亭志ん生が得意なのかな。また、ここに出てくる「扇屋」さんは創業350年という老舗です。特に有名なのは大名にも供していたという名物の「釜焼き玉子焼き」です。右の写真で、値段は1260円(消費税込み)食べてなかなか美味、熱いうちも美味しいですが、冷めても又これが美味しい、値段は少々高いですが普通の折り詰め位の大きさなので食べ応えがあります。
最後に落語の落ちで 「翌日、狐を化かした男は、昨日のお詫びに手みやげを持って、王子稲荷にやって来ます。昨日は悪いことをしたと謝っといてくれと言って子狐にみやげ物を渡します。「おっかさん、昨日の人間がまた来たよ」「よくここまで突き止めやがった。まだいるのかい」「ううん、もう帰った。それで、昨日のことは悪かったって頭を下げて、これをあたいにくれたよ。あ、ぼた餅が入っている。食べていい?」「だめよ! 馬の糞だったらどうするの!」

王子付近地図
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【参考文献】
・渋沢資料館パンフレット
・北区景観百選:北区都市整備部
・江戸東京歴史ウォーク:歴史と旅3/10増刊号

【交通のご案内】
・JR京浜東北線王子駅南口下車、営団地下鉄南北線王子駅下車、都電荒川線王子/飛鳥山停留所下車

【見学について】
・渋沢資料館:東京都北区西ヶ原2-16-1 電話 03-3910-0305
 個人一般:300円 
・王子神社:東京都北区王子本町1-1-12 電話 03-3907-7808
・王子稲荷神社:東京都北区岸町1-12
・扇屋:東京都北区岸町1-1-7 電話 03-3907-2567
・石鍋商店:東京都北区岸町1-5-10 電話 03-3908-3165
 

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