<伊東駅>
伊豆を訪ねるには伊東駅は必ず利用する駅ですが、出来たのは比較的新しく、昭和13年(1938)12月です。殆ど昭和14年です。当時の国鉄網代線(現 伊東線)が伊東まで延長して、伊東駅が完成しています。伊東駅から先が伊豆急になるわけですが、伊東から下田まで開通したのが昭和36年になります。宇野千代の「青山二郎の話」からです。
「…青山さんはあの頃、伊東の家に住んでいた。青山さんは伊東が好きで、伊東でも、いろいろのところへ越して行っていたが、その最初の頃の家であった。…」。
青山二郎が伊東に疎開したのは、昭和17年頃で、正確な日時は分かりませんでした。戦争が始まったのが昭和16年12月ですから、直ぐに疎開したことになります。昭和17年頃に疎開した人は殆どいなかったでしょうから、疎開場所も含めて、先見の明があったとおもいます。
「…疎開したまま七年間、ずっと私は伊東で暮らしていました。…」。
と本人は「目の引越」で書いています。
河上徹太郎や小林秀雄、熱海に疎開していた宇野千代等が大挙して伊東の青山家を訪ねていたようです。当時の奥様は服部愛子で、花園からの付き合いで、伊東では彼女は有名だったようです。
★写真は現在のJR東日本伊東駅です。建物は古そうで、当時のままかもしれません。