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最終更新日:2006年3月26日

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●坂口安吾の檀一雄邸・桐生を歩く 2002年9月21日 V01L02
  今週は「坂口安吾の檀一雄邸と最後の地、桐生」を歩いてみたいとおもいます。檀一雄邸は石神井公園の直ぐ近くにあり、環境もよく、坂口安吾も近くに家を建てようとしたこともあるようです。檀一雄といってもご存じでないかたもいるかとおもいますが、檀ふみのお父さんといった方が今の方にはよく分かるようです。松本清張が坂口三千代さんの「クラクラ日記」の最後に坂口安吾について書いています。「安吾は「芥川賞の選考委員だけは、ひき受けて、これはひどく熱心で、真心こめてうず高い原稿を一字も残さず読むくらいであったが、理由があって止めてしまった」と本書にある。半ば私事にわたるが、わたしの第二十七回下半期芥川賞(「或る『小倉日記』伝」)は坂口安吾委員の推薦を受けた。…小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は賓は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はこれと趣きが変りながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った。」 《殺人犯人をも追跡しうる自在な力》というのは、探偵小説好きの安吾委員評の比喩なのだが、わたしの小説に関して諸家の多くがこの評を引く。坂口安吾氏が芥川賞委員を辞退されない前に、拙作が候補作に上ったのは幸運であった。安吾氏はわたしにとってその意味で恩人である。氏の作品「二流の人」と同じく、人間にはだれでも運不運がつきまとうようだ。」、人の繋がりとは分からないものですね。

ango-dan11w.jpg<ライスカレー事件>
 事件のあらましは、坂口三千代さんの「クラクラ日記」を読むと、「…ライスカレーを百人まえ注文にやらされたこと、などである。檀家の庭の芝生にアグラをかいて、坂口はまっさきに食べ始めた。私も、檀さんたちも芝生でライスカレーを食べながら、あとから、あとから運ばれて来るライスカ レーが縁側にズラリと並んで行くのを眺めていた。当時の石神井では、小さなおそばやさんがライスカレーをこしらえていて、私が百人まえ注文に行ったらおやじさんがビックリしていたがうれしそうにひき受けた。としをとったおかみさんをトクレイしながら、あとからあとから御飯を炊いて、ライスカレーを作っては運んでくる姿が思い浮かぶようだ。それをまた、私たちはニコリともせずに一生懸命に食べた。十人足らずの人で、ムロン百人まえは食べきれなかった。いまはオカシクてしようがないような気持で思い出される。」と書いています。一方、その場にいた檀一雄は、「「おい、三千代、ライスカレーを百人前‥‥」「百人前とるんですか?」 「百人前といったら、百人前」云い出したら金輪際後にひかぬから、そのライスカレーの皿が、芝生の上に次ぎ次ぎと十人前、二十人前と並べられていって、「あーあ、あーあ」仰天した次郎が、安吾とライスカレーを指さしながら、あやしい嘆声をあげていたことを、今見るようにはっきりと覚えている。」と書いています。次郎とは檀一雄の息子さんです。それにしても、ライスカレー(カレーライスではない!)を100人前とは、壮観でしょうね、どうして食べたのでしょうか!

左上の写真が、そのときのライスカレーです。若月忠信の「坂口安吾の旅」によると、この100人前のライスカレーを作ったのは「ほかり食堂」「辰巳軒」の二軒の食堂だぞうです。この二軒とも檀一雄邸から直ぐの石神井銀座にあり、下町の食堂という感じてした。

坂口安吾年表

和  暦

西暦

年    表

年齢

坂口安吾を歩く

作  品

昭和26年 1951 サンフランシスコ講和条約 46 5月 伊東税務署から差し押さえを受ける
9月 伊東競輪事件、東京に戻って大井広介邸、続いて檀一雄邸に移る
11月 檀一雄邸でライスカレー事件を起こす
11月 妻三千代の実家に移る
安吾新日本地理、負ケラレマセン勝ツマデハ
昭和27年 1952   47 2月 桐生に転居する 信長
昭和28年 1953   48 再びアドルムを服用し始める
8月 長男誕生
決戦川中島
昭和30年 1955   50 2月17日 桐生の自宅にて脳出血で死去  

ango-dan12w.jpg<檀一雄邸>
 安吾は、伊東競輪事件で、心身共に疲れ被害妄想が激しくなってきたため、伊東市から離れます。最初は檀一雄に伴われて大井広介邸に落ち着きますが、結局、石神井公園近くの檀一雄邸に移ります。坂口三千代さんの「クラクラ日記」では「このようにして競輪事件のために伊東を捨て、大井家に行き、そして石神井の檀一雄家に行った。檀家に一月余、坂口と私はラモーという犬を連れてひとかたならずお世話になり、一九五一年の十一月十六日に檀家を去った。」と書いています。このときに上記に書いたライスカレー事件が起こるわけです。

左の写真の右側の白い塀の所が檀一雄邸です。檀一雄が東京で最初に購入した建物は練馬区南田中の建売住宅でした(昭和23年10月に月賦で購入)。ライスカレー事件が起こった檀一雄邸は、昭和26年に石神井公園近くで購入した家です。


ango-kiryu11w.jpg<桐生>
 檀一雄邸から一時、坂口三千代の向島の実家へ身を隠します。しか向島も長くは続かず、翌年の2月には桐生に移ります。「桐生の街は、周りが薄い茶褐色のおまんじゅう型の山なみが重なりあったなかにあった。
 私たちが住むことになった家の付近に岡公園というのがあって、この山なみのは ずれの丘陵を公園に変えたもので、この丘のてっぺんに立って、桐生の街や遠くかすむソフトな恰好の山を眺めると、「民のかまどは……」といった仁徳天皇の時代や、もっと遠く太古の昔が彷彿とする。京都のような盆地で、街 の出来具合もだいたい碁盤の目のようになっていた。風花というのを初めて聞き、初めて見た。薄い軽い乾いた雪片が風に乗ってフワフワと吹きおろされて来る。「今日は風花が降って、寒いですね」などと土地の人はいう。赤城につもった雪が、赤城おろしに乗って吹き散って来るのが風花だと教えてもらった。そしてそんな日は本当に寒かった。」
とあります。。

右の写真はJR桐生駅です。桐生市は群馬県県東部、栃木県に接し、三方を山に囲まれ、その中を渡良瀬川、桐生川が流れる京都の雰囲気があるのまちで、古い建物も多く残っています 。「西の西陣、東の桐生」と称され、織物のまちとして知られていますが、繊維不況をもろに被っています。パチンコ機器のシェアは全国一だそうです。

ango-kiryu14w.jpg<終焉の地>
 昭和28年2月、桐生の名門、書上文左衛門邸の母屋に移ります。桐生に移ってしばらくはゴルフを始めたりして、落ち着いた日々を過ごします。「そして十七日の朝、茶の間にそのままやすんでしまわれた貴方は、次の間にねむっていた綱男と私におふとんを掛けに釆て下さった。寒い朝でした。……「みちよ、みちよ」と二度はど呼ばれて、声が少し変な感じだなと思いながら行ってみると、「舌がもつれる」といって、手まねで窓を開けることとストーブに石炭を入れることを云われ、「いったいどうなさったの」と云いながら、貴方はいつも石炭の煙がとても嫌いであったから、窓を開けながら「舌がもつれる」と云ったので、もしや脳溢血では、と思ってふりかえると、貴方は静かに横になられるところであった。……お医者が二人で必死になってあらゆることをして下さったようですが、刻々に心臓は弱まり意識は再びもどりませんでした。舌がもつれるとおっしゃってから一時間半ぐらいしかたっておりません。御臨終と云われても心臓がとまってしまっても、貴方の場合に限り死なんてことが考えられるだろうか。死ぬなんて、こんなことで死ぬなんて。」

左の写真が書上文左衛門邸の母屋跡です。建物は既になく、駐車場になっているようです。この母屋跡の左側には「にしはら花店」、左側には「みや鮨」があり、丁度その間になります。


ango-dan21w.jpg<バー「クラクラ」>
 坂口三千代さんは、坂口安吾の死後、一年半ほどたってから銀座にお店を持ちます。「ひとになぜバーなど始めたの、と開かれることがあるが、作家の死後の印税というものが非常に変動的で、印税の入るときと、入らないときとでは、大波のようだ。周囲のひとがそれを心配してくれて、あなたは何か収入の道を考えなければならない、何か商売でも始めたら、ということであった。……そうそう、もう一つの理由は、これが大きいのだ。バーならば表通りに店を探さなくてもいいので、資本が少なくて済むことだった。それでも半分は借金だった。「ルパン」というバーのある路地で、むかし、戦後間もなくのこと、坂口に連れて行ってもらった店だが、そこの奥に空き店があったので、汚い路地だが懐かしい場所なので、そこに決めた。」とあります。坂口三千代さんは、20年くらいこのお店をきりもりし、平成6年、71歳で亡くなられます。

左の写真は銀座五丁目のバー「ルパン」です。このお店は戦前からあるお店で、昭和21年11月に太宰、織田、安吾の三人が座談会を開き、写真を撮ったところとして有名です。この路地の先の、また細い路地の右側に坂口三千代さんのお店がありましたが、現在はビルが建って、先にあった細い路地が無くなって、跡形もありません。
 


檀一雄邸地図
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【参考文献】
・評伝 坂口安吾 魂の事件簿:七北数人、集英社
・坂口安吾の旅:若月忠信、春秋社
・定本 坂口安吾全集:坂口安吾、冬樹社
・太宰と安吾:檀一雄、沖積舎
・クラクラ日記:坂口三千代、筑摩書房
・追憶 坂口安吾:坂口三千代、筑摩書房
・新日本文学アルバム(坂口安吾):新潮社
・本格評伝坂口安吾:奥の健男、文藝春秋
・白痴:坂口安吾、新潮文庫
・堕落論:坂口安吾、新潮文庫
・肝臓先生:坂口安吾、角川文庫
・風と光と二十の私と:坂口安吾、講談社文藝文庫
・文人悪食:嵐山光三郎、新潮文庫
・酒場:常磐新平、作品社
・昭和文学盛衰史(上)(下):高見順、福武書店
・新潮2002年9月号:新潮社
 
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