今週は、再び「坂口安吾」に戻って、京都、取手と歩いてみたいとおもいます。彼の奔放さについては友人のe ;檀一雄が「太宰と安吾」のなかで、「彼と会っていると、その自在な活眼によって取捨按配される話の愉快さと放胆さに頤をはずし、誰でも彼と同等の自由人になったような錯覚を、やすやすと与えられたものだ。しかし、その寛濶な魂は、また時によると、たちまち、暗欝で、閉鎖的で、横暴で、独断的で、残忍な時化模様に転移する。この素早い変貌こそ、安吾の文芸の振幅をささえた根源の力であるだろう。」と書いています。現代なら、どんなに奔放さがあっても、横暴さや残忍さがあると認められないのではないかとおもいます。昭和初期から前後までの混乱した時代が、彼を求め、全てを許してしまっているのでしょう。
<伏見稲荷大社> 安吾は”お安さん”や”矢田津世子との別れ”に疲れ、京都に向かいます。「京都に住もうと思ったのは、京都という町に特に意味があるためではなかった。東京にいることが、ただ、やりきれなくなったのだ。」と安吾は「古都」に書いています。尾崎士郎夫妻に両国橋近くの猪屋で送別会を開いてもらい、京都に向かいます。京都では当初、嵯峨にある友人の隠岐和一の別宅に滞在していましたが、隠岐に京都での下宿先を探してもらいます。隠岐は、京都駅から少し南東にいった伏見に下宿先を見つけます。この伏見には全国の稲荷神社の本山、伏見稲荷大社があります。赤い鳥居が山の上までビッシリ並んでいるので有名な稲荷神社です(昔、資生堂のコマーシャルで使われていたのを覚えています)。稲荷神社のお祭りで有名なのが2月の初午です。これは伏見稲荷大社の神が地上に降りた日がこの日であったとされ、全国の稲荷神社でお祭りをします。
★左上の写真は伏見稲荷大社です。坂口安吾の「古都」のなかで伏見稲荷周辺を紹介しています。「伏見稲荷の近辺は、京都でも一番物価の安い所だ。伏見稲荷は稲荷の本家本元だから、ふだんの日でも相当に参詣者はある。京阪電車の稲荷駅から神社までは、参詣者相手の店が立並び、特色のあるものと言えば伏見人形、それに雑肉の料理店が大部分を占めている。ところが、この雑肉が安いのだ。安い筈だ。半ば公然と兎の肉を売っているのだ。この参道の小料理屋では、酒一本が十五銭で、料理もそれに応じている。この辺は、京都のゴミの溜りのようなものであって、新京極辺で働いている酒場の女も、気のきかない女に限って、みんなここに住んでいる。それに、一陽来復を希う人生の落武者が稲荷のまわりにしがない生計を営んでオミクジばかり睨んでいるし、せまい参道に人の流れの絶え間がなくとも、流れの景気に浮かされている一人の人間もいないのだ。」、なかなかおもしろい所です。現在もお土産屋などに当時の面影がありますね。
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