<旅館 伊勢勘跡> 昭和13年初夏、安吾は京都から東京に戻ります。昭和14年5月、安吾は作品を書くために、竹村書房が探してくれた東京から少し離れた取手の旅館「伊勢勘」に向かいます。「私ははじめお寺の境内の堂守みたいな六十ぐらいの婆さんが独りで住んでいる家へ間借りする筈であった。伊勢甚のオカミサンがそうきめてくれたのである。ところが私が本屋のオヤジにつれられて伊勢甚へ行くと、「六十の婆サンでも、女は女だから、男女二人だけで一ツ家に住むのは後々が面倒になります。別に探しますから、今夜はウチへ泊って下さい」と言った。このオカミサンは四十四五であったが、旅館へ縁づいて、そこで色々と泊り客の男女関係を見学して、悟りをひらいていたのである。この旅館は主として阪東三十三カ所お大師詣での団体を扱うのであるが、この団体は六十ぐらいの婆サンが主で、導師につれられて、旅館で酒宴をひらいてランチキ騒ぎをやるのである。……建物によることでもあるが、あの団体のドンチャン騒ぎというものは、中学生の団体旅行などの比ではない。本当のバカ騒ぎでありアゲクが色々なこととなる。伊勢甚のオカミサンが六十の婆サンを警戒したのは、営業上の悟りからきたところで、私の品性を疑ったワケではなかったらしい。けれども、いきなりこう言われると、人間はひがむものである。」とあります。昔の六十の婆さんたちの”ドンチャン騒ぎ”とは、どんなものだったのでしょう。”色々なこと”って、あ〜こわいこわい……。
★左の写真の道は太師通りで、左側の三階建ての立体駐車場の所が旅館「伊勢勘」があった所です。駐車場の名前が「伊勢勘」になっていますのですぐにわかります。 |