< 旧豊山中学校> 坂口安吾の生まれ故郷は新潟ですから、中学も当然、新潟中学校だったのですが、出席日数が足らないのと、ろくに勉強をしなかったため、退学させられそうになります。そこで退学させられるのを防ぐため、当時、護国寺が運営(現在は日本大学)していた東京の豊山中学校に転入します。この当時のことを「風と光と二十の私と」の中で「田舎の中学を追いだされて、東京の不良少年の集る中学へ入学して、そこでも私が欠席の筆頭であったが、やっぱり映画を見に行くなどということは稀で、学校の裏の墓地や雑司ケ谷の墓地の奥の囚人墓地という木立にかこまれた一段歩ほどの草原でねころんでいた。私がここにねころんでいるのはいつものことで、学校をサボる私の仲間はここへ私を探しにきたものだ。」と書いています。ここで坂口安吾が才能を発揮したのはスポーツだったのです。学校マラソンでスタートすると韋駄天のごとく飛び出す男がいるので、誰かと思ったら坂口安吾だったそうです。大正13年の第十回全国中等学校陸上競技会の走り高跳びで第一位をとっています。すごいな〜〜!
★左の写真は現在の日本大学豊山中学校・高校学校です。当初は真言宗豊山派の創設(明治36年)で、昭和27年に日本大学に移管されています。この当時、 下宿していたのが東京市外戸塚諏訪六(現在の新宿区西早稲田二丁目)で、早稲田通りから少し入った所です(写真の左側辺りです)。このあとまた 下宿を荏原郡大井町元芝849(現在の品川区東大井三丁目)の借家に転居します。
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