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最終更新日:2016年03月07日

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●坂口安吾の新潟を歩く 初版2002年10月5日 <V02L03>

  今週は「坂口安吾を歩く」の最終回として、安吾生誕の地の新潟を歩いてみたいとおもいます。新潟を訪ねたとき、運悪く天候が悪くて写真が今一歩ですがご容赦ください。檀一雄は「安吾・川中島決戦録」の中で、『亀井勝一郎は坂口安吾が死んだ直後に、「坂口にせよ、太宰(治)にせよ、田中(英光)にせよ、揃いも揃った愚弟ばかりだね。彼等の兄貴を見て御覧、みんな堂々たる賢兄ばかりだよ。まるで愚弟賢兄型の見本のようなもんだ」と云っていたそうである。事実、そんなものかも知れない。愚弟が文章をつくるのか、文学が愚弟をつくるのか、そこのケジメのところはシカとわからないが、文学という因果な荒行は、よくよく愚弟向きに出来上がっているらしい…』、と書いています。うまいこと云うなあ〜…、という感じです。

<坂口安吾記念館(大棟山美術記念館)>
 新潟県東頸城郡松之山町松之山の坂口安吾記念館について、ご紹介します。とにかく凄いところにあります。越後湯沢から山を越えて、JR飯山線の越後田沢駅を通り、松之山町までいきます。冬期積雪期間は休館になるそうで、何でこんなところに記念館を造ったのかと思うところにありました。坂口安吾の姉の嫁ぎ先が村山家(記念館が旧村山邸)で、その関係で安吾は何回か訪ねたことがあり、また安吾の作品の、「不連続殺人事件」の舞台にもなっているためのようです。一生のうち一度でも行ければいいところ、という感じです。とにかく遠くて、凄い田舎でした。

左の写真が坂口安吾記念館です。中には坂口安吾の部屋もありました。また、この先の小学校に記念碑が建っています。

<坂口家墓所>
 坂口安吾の本籍地は新潟県中蒲原郡阿賀浦村大字大安寺第十一番戸(現 新津市大安寺五○九番地)です。安吾の「石の思い」では、「私の家は昔は大金満家であったようだ。徳川時代は田地の外に銀山だの銅山を持ち阿賀川の水がかれてもあそこの金はかれないなどと言われたそうだが、父が使い果して私の物心ついたときはひどい貧乏であった。まったくひどい貧乏であった。借金で生活していたのであろう。尤も家はひろかった。使用人も多かった。出入りの者も多かったが、それだけ貧乏もひどかったので、母の苦労は大変であったのだろう。」と書かれています。”勘兵衛どんの小判を一枚ずつ並べたら五頭山より高くなる”ともいわれ、阿賀野川流域では特に有名な、とてつもない大富豪だったようです。大安寺には、現在は坂口家の墓所しかなく、昔の栄華を忍ぶこともできませんでした。

左上の写真が、坂口家の墓所です。磐越西線、信越線の拠点、JR新津駅から2.5Km位、阿賀野川の直ぐそばです。町名が大安寺というのでお寺でもあるのかと思いましたが、まったくありませんでした。墓所もなかなか分からず、捜すのに苦労しました。この他、新津市には駅近く図書館の裏に坂口安吾の碑があります。

坂口安吾年表

和  暦

西暦

年    表

年齢

坂口安吾を歩く

明治39年
1906
南満州鉄道会社設立
0
10月 新潟県新潟市西大畑町で父坂口仁一郎、母アサの五男として生まれる。
明治44年
1911
辛亥革命
6
4月 西堀幼稚園に入園
大正2年
1913
島崎藤村フランスへ出発
8
4月 新潟尋常高等小学校に入学
大正8年
1919
松井須磨子自殺
13
4月 県立新潟中学校に入学
大正11年
1922
ワシントン軍縮会議
17
9月 県立新潟中学校を放校、東京の豊山中学校に編入

<新潟県五泉市>
 「私の母方は吉田という大地主で、この一族は私にもつながるユダヤ的な鷲鼻をもち、母の兄は眼が青かった。母の兄はまったくユダヤの顔で、日本民族の何物にも似ていなかった。この鷲鼻の目の青い老人は十歳ぐらいの私をギラギラした目でなめるように擦り寄ってきて、お前はな、とんでもなく偉くなるかも知れないがな、とんでもなく悪党になるかも知れんぞ、とんでもない悪党に、な、と言った。私はその薄気味悪さを呪文のように覚えている。」と安吾は書いています。母方の実家は新潟県五泉市(新津市から18Km位)にあり、現在も当時そのままに吉田家があります。あまりの壮大さにびっくりしてしまいました。田舎に行くと、こんな大きな家がまだまだあるのですね。

左の写真が五泉市にある吉田家です。写真を拡大してもらうとよく分かりますが、太宰治の金木の実家と比べても負けない、ものすごい豪邸です。手前にある歩道橋の上から撮影した写真と、玄関付近の写真がありますのでご覧ください。

<新潟市西大畑町の旧居跡>
 安吾の父は明治18年、新津市から新潟市西大畑町に住居をかまえます。『私は「家」というものが子供の時から怖しかった。それは雪国の旧家というものが特別陰鬱な建築で、どの部屋も薄暗く、部屋と部屋の区劃が不明確で、迷園の如く陰気でだだっ広く、冷めたさと空虚と未来への絶望と呪岨の如きものが漂っているように感じられる。住む人間は代々の家の虫で、その家で冠婚葬祭を完了し、死んでなお霊気と化してその家に在るかのように形式づけられて、その家づきの虫の形に次第に育って行くのであった。私の生れて育った家は新潟市の仮の住宅であったから田舎の旧家ほどだだっ広い陰鬱さはなかったけれども、それでも昔は坊主の学校であったという建築で、一見寺のような建物で、二抱えほどの松の密林の中にかこまれ、庭は常に陽の目を見ず、松籟のしじまに沈み、鴉と梟の巣の中であった。』と、安吾は西大畑町の家のことを書いています。私から見ると、実家が没落した時代は違いますが、太宰とほとんど同じ環境です。若月忠信の「坂口安吾の旅」によると、邸内の大きさは五百二十坪、母屋六十九坪、離れ二十坪の大邸宅だったようです。

右の写真が西大畑町にあった安吾の実家付近です。実家は写真のもう少し手前右交差点付近です。写真の少し先、右側に新潟大神宮がありま す。実家のところは現在は区画整理による道路が通っており、昔の面影はまったくありません。この道をすごし戻ると、右側に有名な料亭、行形亭があります。

<西堀幼稚園跡>
 明治44年、安吾は西堀通三番町の西堀幼稚園に通います。「尤も私は六ツの年にもう幼稚園をサボって進んでいて道が分らなくなり道を当てどなく さまよっていたことがあった。六ツの年の悲しみも矢張り同じであったと思う。」、と安吾は書いています。当時、新潟には幼稚園は一つしかなかったようです。

左の写真の左側のところに安吾が通った西堀幼稚園がありました。現在はその幼稚園はありませんが、少し先にお寺経営の幼稚園があります。新潟市寄居浜護国神社境内の砂丘上に安吾文学碑が昭和32年、立てられています。

<新潟尋常高等小学校>
 小学生時代のことを安吾は「石の思い」の中で、「私は小学校時代は一番になったことは一度もない。一番は必ず山田というお寺の子供で二番が私か又は横山(後にペンネームを池田寿夫という左翼の評論家か何かになった人である)という人で、私はたいがい横山にも負けて三番であったように記憶する。私は予習も復習も宿題もしたためしがなく、学校から帰ると入口へカバンを投げ入れて夜まで遊びに行く。餓鬼大将で、勉強しないと叱られる子供を無理に呼びだし、この呼びだしに応じないと私に殴られたりするから子供は母親よりも私を怖れて窓からぬけだしてきたりして、私は鼻つまみであった。」、と書いています。

右の写真が現在の新潟小学校です。当時とまったく同じ場所に建っています。鉄筋コンクリート4階建ての立派な小学校になっていました。
 

<県立新潟中学校>
 大正8年、県立新潟中学校に入学します。「新潟中学の私は全く無茶で、私は無礼千万な子供であり、姓は忘れてしまったがモデルという津名の絵の先生が主任で、欠席届をだせという。私は偽造してきて、ハイヨといって先生に投げて渡した。先生は気の弱い人だから恨めしそうに怒りをこめて睨んだだけだが 、私は今でも済まないことだと思っている。先生にバケツを投げつけて窓から逃げだしたり、毎日学校を休んでいるくせに、放課後になると柔道だけ稽古に行く。先生に見つかって逃げだす。そして、北村というチヨーチン屋の子供だの大谷という女郎屋の子供と六花会というのを作り、学校を休んでパン屋の二階でカルタの稽古をしていた。」、と書いており、あまり勉強せず、さぼってばかりだったようです。入学したときの成績は150人中、20番の成績だったようですが、3年に進級するときに落第します。そのあと東京の豊山中学校に編入するわけです 。

左の写真が現在の県立新潟高等学校です。

これで「坂口安吾を歩く」は終わりです。これからは少しずつ改版していきたいと思います。


安吾新潟市内地図




【参考文献】
・評伝 坂口安吾 魂の事件簿:七北数人、集英社
・坂口安吾の旅:若月忠信、春秋社
・定本 坂口安吾全集:坂口安吾、冬樹社
・太宰と安吾:檀一雄、沖積舎
・クラクラ日記:坂口三千代、筑摩書房
・追憶 坂口安吾:坂口三千代、筑摩書房
・新日本文学アルバム(坂口安吾):新潮社
・本格評伝坂口安吾:奥の健男、文藝春秋
・白痴:坂口安吾、新潮文庫
・堕落論:坂口安吾、新潮文庫
・肝臓先生:坂口安吾、角川文庫
・風と光と二十の私と:坂口安吾、講談社文藝文庫
・文人悪食:嵐山光三郎、新潮文庫
・酒場:常磐新平、作品社
・昭和文学盛衰史(上)(下):高見順、福武書店
・新潮2002年9月号:新潮社
 
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