<露路>
今回は上海市内の観光地を巡ります。まず最初が”上海の城内”です。上海の地図を見ると市内の南側に直径約1.5Kmの丸く囲まれたところがあるのが分かります。この地区が”上海の城内”です。中国の町は普通城壁を持っているのですが上海は当初無かったようです。安土・桃山時代に日本の倭寇の襲撃を受けたため、これに対抗すべく城壁が築かれています。城壁の高さは約7メートルあったそうです。残念ながらこの城壁は1912年に取り壊されてしまいますが、その跡が環状道路として残っています。
講談社文芸文庫 「芥川龍之介 上海游記」より
「 六 城内 (上)
上海の城内を一見したのは、俳人四十起氏の案内だった。
薄暗い雨もよいの午後である。二人を乗せた馬車は一散に、賑かな通りを走って行った。朱泥のような丸焼きの鶏が、べた一両に下った店がある。種々雑多の吊洋燈が、無気味な程並んだ店がある。精巧な銀器が鮮かに光った、裕福そうな銀楼もあれば、太白の遺風の招牌が古びた、貧乏らしい酒桟もある。
── そんな支那の店構えを面白がって見ている内に、馬車は広い往来へ出ると、急に速力を緩めながら、その向うに見える横町へはいった。何でも四十起氏の話によると、以前はこの広い往来に、城壁が聳えていたのだそうである。
馬車を下りた我々は、すぐに又細い横町へ曲った。これは横町と云うよりも、露路と云った方が適当かも知れない。その狭い路の両側には、麻雀の道具を売る店だの、紫檀の道具を売る店だのが、ぎっしり軒を並べている。その叉せせこましい軒先には、無暗に招牌がぶら下っているから、空の色を見るのも困難である。其処へ人通りが非常に多い。うっかり店先に並べ立てた安物の印材でも覗いていると、忽ち誰かにぶつかってしまう。しかもその目まぐるしい通行人は、大抵支那の平民である。私は四十起氏の跡につきながら、滅多に側眼もふらない程、恐る恐る敷石を踏んで行った。。…」。
「湖心亭」に通じる道は細い路地(露地)ばかりです。その上、訪ねたのが休日だったので凄い人出でした。人をかき分けて路地を歩き進みました。芥川龍之介が書いた露地そのものでした。ただ、お店は食堂がほとんどで3階建て以上になっています。
★左上の写真は「湖心亭」に通じる細い露地です.人混みに圧倒されました。