●芥川龍之介の鎌倉・横須賀を歩く 2003年5月11日 V01L02 今週から「芥川龍之介を巡る」を少しづつ改版していきます。最初の掲載が2年前ですので、今読むと不十分なところがかなり多く、内容も今一歩というところです。もう少し詳細な内容にするために大幅な追加更新を行います。まず最初は未掲載分の「芥川龍之介の鎌倉・横須賀を歩く」から掲載を始めたいとおもいます。
<江ノ島電鉄> 芥川龍之介は大正5年7月、東京帝国大学を卒業しますが、すぐに就職口が見つからず、一高の恩師畔柳教授の紹介でその年の12月から横須賀の海軍機関学校に勤めます。東京から横須賀までは一時間以上掛かり遠すぎるため、鎌倉の江ノ島電鉄の沿線に下宿します。江ノ島電鉄は明治35年(1902)に藤沢−片瀬(現 江ノ島)間が最初に開通します。藤沢−鎌倉(当時は小町)間が全通したのは明治43年11月です。江ノ島電鉄の当時の鎌倉駅は横須賀線を潜って八幡宮二の鳥居前、つまり横須賀線鎌倉駅の東側、若宮大路にあったわけです。現在の西側に移ったのは昭和24年です。芥川龍之介が鎌倉に下宿していたのは大正5年から8年ですから、横須賀線の鎌倉駅で下りて若宮大路にある江ノ島電鉄鎌倉駅から乗っていたわけです。
★左の写真は江ノ島電鉄和田塚駅です。電車はどんどん新しくなっていくのですが、線路はあいかわらず単線で(もう複線にするのは不可能?)、電車同士のすれ違いが大変です。でもこのすれ違いと単線がノスタルジックでなんともいえませんね!!
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