<天然自笑軒跡> 芥川道草の一中節の友人、宮崎直次郎が明治41年に出した割烹料理屋が天然自笑軒で、芥川龍之介も良く利用していたようです。 『もともと素人の好きではじめた仕事だから、器にも、座敷の掛けものにも、庭のたたずまいにも、趣味をふりかざして大いに凝った。料理人は新井という、会席料理なら日本一の腕という人をさがしてきて任せる。客室は六つ、予約以外の客はとらず、料理は七品で一人前五円、これが並の料金だった。やがて総理大臣若槻礼次郎、渋沢栄一などという、ときの顕官たちのひいきを受けるようになり、自笑軒の名は、有名になった。直次郎の娘で、芥川龍之介の義弟に当る新原得二(父は新原敏三、母はふくやふきの妹に当るふゆ)に嫁いだつるの話によると、「おわんに、お向に、口とりに、焼物に、煮ものに、おつぼ、小づけ、それにお口洗い、さいごにお抹茶をお出しいたしました。いったいに味がうすく、畳もちょんぼりでございました」というから、茶人むきの上品な献立だったと思われる。』、 と近藤富枝の「田端文志村」に書かれています。当時は有名な料理屋さんだったみたいです。
★左の写真の右側が天然自笑軒跡です。今も庭が大きなお宅で昔の趣をそのまま残しています。写真左側が芥川龍之介の掛かりつけの下島勲医師旧宅跡で、当時を忍ばせる跡は今はなにも残っていません。
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